第6話 空気は読まずに踏みにじる。
王都平民街の東端には、平民御用達の繁華街がある。
ここでは生活に必要なものが何でも揃う。朝食の材料から水、寝具、果ては騎士の使う武器鎧。一本路地を入れば娼婦が立っていたり、暗殺の道具まで売っているし、さらに暗部ではそれこそリーリクードの花さえ手に入れることができる。
ここら一帯を牛耳っているのは商人ギルドの連中だ。物価は彼ら次第だが、スラムを拠点とする商会連合とは違って合法的組織であることから、大きな価格の乱高下は、よほどのことがない限り起こらない。
商人ギルドは治安の維持にも一役買っている。商会連合が本格的に平民街にまで進出してこないのは、商人ギルドが武力を保持する冒険者ギルドと提携しているからだ。冒険者が外で得た戦利品を捌くのは彼らってわけだ。
それでなくとも、お上がバックにいると思えば、連合的には割に合わんのだろうよ。
もっとも、花売りの半数は商会連合からの出張なのだろう。花を売らない花売りや、リーリクードを初めとするヤクの花を売る連中だ。
リサを連れて表通りを歩く。
やたらと若い男連中がこっちを見てくると思ったら、どうやらリサ目当てのようだ。そらそうか。太陽のようなプラチナブロンドの直毛に、整ったツラ。まだガキとはいえ、これだけの上玉だ。
だが、だからこそ。
俺は少し早足になって、リサから距離を取る。
「ヴァン? 待ってよ」
むろん、照れくさいなんて理由じゃあない。俺にゃもうそんな若さはないし、リサの態度を誤解するほど自惚れてもない。それでも周囲は、きっとそうは見てくれないだろう。男は特にだ。
「も~」
こんだけの年の差だ。親子と見てくれりゃ上等だが、残念ながら俺たちは微塵も似ていない。だったら、あの隣の小汚えオッサンは誰だよってなる。
いたたまれねぇ~……。
けれどもリサは小走りで追いついてきて、俺の長衣の背中をつかんだ。
「歩くの速いってばぁ」
「いや、なんか……そうだな。すまん」
ほれ見ろ。視線がやたらと突き刺さりやがる。
リサから俺へと照準を変えた視線が。勘弁してくれよ。職業柄、目立ちたくないってのに。
リサが両手を腰にあてて、鼻息を荒げた。
「見失ったら、わたしはヴァンの家にも帰れなくなるんだから」
「ああ、そうか。帰り道か。まだ覚えてないか。そらそうだよな」
「そうよ」
これが演技ではないのだとしたら、やはり王都の内側に位置する貴族街の出身である可能性が高い。
あるいはさらに内側の――。
王都中央、貴族街を挟んだ遠方に威風堂々と聳え立つ、グラント城を見上げる。
まさかな。王子や王女の顔は見たことがない。だがそんなやつらが消えてたりしたら、もっと大騒ぎになっているはずだ。
見回り騎士の数は、普段と変わらない。
「うん。だから、手繋ご?」
「……いやぁ~、空気を読んでくれるとありがたいんだが」
「読んだ。繋ご?」
言うや否や、俺の右手をリサがつかむ。俺よりも体温が少し高いらしく、暖かくて柔らかい手だった。
他者の血塗られていない手に触れるのは、いつぶりだろう。
じんわりと、何かが染みこんでくるようだ。
「……わかったよ」
「あれ? てっきり照れて振り払われるかと思ったのに。いいの?」
「照れるほど若くないんだ。振り払いはしないが、でもこっちにしてくれ」
俺は左手でリサの右手をつかみなおす。
利き腕は血まみれだ。左手もそう変わらんが、右手よりはいくらかマシだろう。リサの手をあまり汚したくない、そう思ったんだ。
バカげてるね。ああ、バカげてる。
しばらく無言で繁華街を歩く。俺はあえて周囲の視線を気にしないことにした。リサは嬉しそうにしている。
「服、一緒に選んでね」
「自分で選べ」
「え~っ、なんで? ヴァンの好みに合わせたいのにぃ~」
「一皮剥けば人間なんてみんな同じだ」
内臓も、骨も。貴族だろうが、平民だろうが、スラムの住民だろうが同じだ。大小はあるがね。なのに王族からスラムの民まで、圧倒的格差とも言うべき優劣ができてしまうのは不思議なもんだ。
リサはポカ~ンとした表情で俺を見上げてから、目を細めて悪戯な笑みを浮かべた。
「……ヴァンのえっち。そゆこと言っちゃう人だったんだぁ」
「いや、そういう意味じゃないんだが」
そういう意味にしか取られないか。そうだな、うん。
やっちまったな~。完全に失言だわ。やっちまったわ~。
「え~? じゃあどういう意味だったの~? わたしとお話しながら、どんなこと考えてたの~?」
結構グロいことだ。内臓とか骨とか。身分差とか。
「オッサンからかって楽しい?」
満面の笑みでリサがうなずいた。
「うん、とっても」
「だよな」
素直だねえ。ちくしょうめ。
「意地の悪いツラしてんぞ、いま」
「あははははっ。ヴァンは楽しそうな顔してるね」
「…………俺が?」
そうか。言われて気づいた。俺はいま、楽しめているのか。
饐えた臭いのする街で産まれ、親からは金で売り飛ばされ、暗殺者になって多くの人間を殺して生きてきた俺が。楽しんでいるのか。
「あ! ねえねえ、あの仕立屋さん、いいかも!」
「お、おお……」
笑うリサに手を引かれて、俺はつんのめった。視界の端に何か気になる人物を見たような気がしてだ。
「どしたの?」
「……」
人通りを凝視する。
奇妙な違和感だ。赤ん坊を抱いて買い物中の主婦、客を呼び込んでいる商売人、石畳の道路を貴族の馬車がゆっくりと走っている。向こう側から走ってきている若い男は、特徴的な鞄から察するに郵便屋か。
「――!」
「ヴァン?」
あの主婦。
どこかで見た顔だと思ったら、女盗賊団レッドバルーンのメンバーじゃねえか。それも幹部クラスだ。
ウィッグに眼鏡、化粧で誤魔化しているつもりだろうが、特徴的な位置に黒子がある。よくよく見てみりゃ、おくるみの中の赤ん坊も人形だ。へたすりゃ中に武器でも仕込んでやがるか。
おいおい。こんな大物を街で見かけるなんて始めてだぞ。
「こいつぁラッキーだ」
「何が?」
生死を問わずの賞金首。ン百万だかはタイムスを広げなきゃわからねえが、かなりの額になるはず。
彼女は道路を進む貴族の馬車と平行して、貴族街の方へと足早に歩いている。どうやら今夜の獲物を見定めているようだ。哀れな貴族はそれにまったく気づいていない。
二重尾行になっちまうが、こっそりついていけば、運がよければレッドバルーンのアジトを見つけられるかもしんねえ。そうなりゃ額は十倍だ。
ヴァン・クロフトのまま彼女ら全員を狩ることができれば一攫千金。残りの人生を慎ましくなら生きられる程度の金にはなる。仮にアジトが見つからなくても、あの幹部ひとりでも一年くらいは暮らせる額になるはずだ。
念のために仮面は長衣の襟首の中に隠している。ナイフは腰のベルトに常備。相手はクズで遠慮は無用。いつでも仕事に移行できる。
くっくっく。悪く思うなよ。
「ヴァンったら、聞いてるの!?」
強く袖を引かれて、俺はようやくリサの呼びかけに気がついた。
「お? おお……。あ……」
「なにっ!? なになに!? なにがあったの!? すっごいイヤラシい顔してたよ!?」
イヤラシいってなんだ!
ああ、リサがいたんだった! くっそ! だが、千載一遇のチャンスだぞ! 人生一発逆転の唯一の方法だぞ! こんな好機は十年に一度もない!
「何があったって、そりゃ――」
「ん?」
かわいらしく、首を傾げる。
言えん。子供にこんな綺麗な目で見られたら、俺には言えん。
凶悪賞金首を見つけたから、ちょっとだけ殺しに行ってくるね~、とか言えるわけがない。むしろ通報される。俺が。
や、でも!
あああああ。ぐだぐだしているうちに、馬車と主婦が遠のいていく。俺の大金が立ち去っていく。
「ほら、お買い物付き合ってくれるんでしょう?」
「あ、いや、その前に、暗さ――」
「だめだめ。わたしの用事が先。じゃないとまたヴァンの下着借りるんだから」
心ここにあらずの俺の腕へと、リサが両腕を絡めて引っ張る。
意外と力強いな、オイ。足速ええし力強えし、これが若さか。
「いまさら女物の仕立屋に入るのが恥ずかしいなんて言わないでよねっ」
「そ、そういうわけじゃ……。いや、そういう問題でもなくて……あ……あああぁぁぁぁ……」
馬車は角を曲がって貴族街へと入っていった。もう視界の外だ。行っちまった。
もちろん俺の大金――あ、いや、賞金首の女盗賊も、それに倣って。あとには雑踏が残されるのみ。
「ほらほら、行くよ~。恥ずかしがんないで。何だったら下着も選ばせてあげるからぁ」
「バカ、そんなもん自分で選――」
いますぐに追えばまだ間に合うか?
「照れない照れない。どうせ見せる人ヴァンしかないんだからぁ」
「誤解を招く言い方――」
「かわいいやつが好き? それとも大人っぽいの? ヴァンなら大人っぽいのだよね?」
中身さえ入ってりゃどっちも好きだ。どっちも好きだが、いまはそれよりも。
「俺の話を聞いて!?」
「あとでねっ」
未練がましく馬車の去った方角を見つめる俺を、半ば強引にリサが仕立屋へと引きずる。
「あ、ちょ――もおおお」
「あーとーでー」
子供の腕を乱暴に振り払うこともできず、なすすべもないまま店内へと連れ込まれた俺の目の前で、やがて仕立屋のドアは閉ざされた。
エプロンドレス姿の若い売り子たちが、俺たちを出迎える。
視界が滲んだね。少しだけな。
俺は天井を見上げた。
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