第5話 嘘つきよりも正直者。
朝食を済ませてから、俺は洗い物をしてくれているリサに尋ねた。
「その格好で買い物に行くつもりじゃないだろうな」
洗い終えたリサが、手ぬぐいで手を拭きながら振り返った。
「大丈夫だよ。まだ洗濯してないから、修道服で行くつもり」
「そうか」
「さすがに穿いてるか穿いてないかわかんないような格好じゃね」
自覚はあったようだ。どうか同じ皿に恥じらいもそっと添えて欲しいね。
「こんな姿、ヴァンにしか見せられないな。じゃあ、着替えてくるね」
「聞き捨てならんことが聞こえたが――」
「あ、帰ったらまとめて洗うから、ヴァンも洗濯物出してね」
無視か。
ところで俺は自分の洗濯物を、どこまで出していいんだ?
「恥ずかしがらないで全部ね。平気だから。かぶったりもしないし」
「お、おお。……心を読むな」
「あはっ、読めないよ。神さまじゃないもん。そんなのいないけどね」
修道女ってわけじゃないのか。さっき修道服と自分で言ったのに。
俺は神を信じている。信じなきゃ救われないからだ。だが目に見えないそれへの信仰を他者に強要するつもりはない。
「そうか」
「そうだよ」
寝室に駆け込む背中を見送ってから紙たばこに火をつけ、俺は郵便屋によって窓枠に置かれていたグラントタイムスを広げた。
このタイムスは、とある魔術師が王都の情報屋をまとめて雇い、昨年開始したばかりの新事業だ。まだ世間にはあまり浸透していない。
土系魔術によって文字盤を形成し、インクをつけて紙に写す。魔導活版印刷術というそうだが、魔術に疎い俺にはよくわからん。
タイムスには、このグラント王国で起こった事件や事故が事細かに記されている。情報屋が必死でかき集めた情報を、魔術師が紙にまとめているんだ。世の中が平和なら薄くなるし、事件事故が多ければ分厚くなる。最小で2頁、最大でも6頁くらいだが。
俺が毎朝欠かさず熱心に目を通している頁は、賞金首の載る頁くらいのものだ。
暗殺だけで食いつなげなくなったときは、これに限る。なんせ賞金首ってのは、街中を大金が歩いてるようなもんだからな。滅多なことでは遭遇しないから、あまり期待はできないのだが、それでも何もしないよりはマシだ。
賞金稼ぎはヴァン・クロフトの表の顔の一つでもある。騎士団に正規登録をしているんだ。そいつが裏じゃ追われる側だってんだから、なかなかにリスキーな話だが。
賞金稼ぎという真っ当な仕事がありながら、俺がなぜ薄汚い暗殺業を続けているかだが、それだけ賞金稼ぎが賞金首に巡り会える確率は低いってことだ。要するに、専門職としては食えない。フリーの暗殺者よりよっぽどな。
タイムスに載る賞金首のランクは様々。ケチなコソ泥から、青天井の生死問わずまで。犯罪者はピンキリだ。
「ふぅ~……」
紫煙を吐き出す。
いつも載ってやがる常連もいる。
暗殺者ギルドの連中だ。現ギルドマスターのカケイは三億を超える賞金首だが、相変わらずの正体不明ときたもんだ。本名も似顔絵もない。背格好さえつかませねえのは大したもんだ。
ちなみに先代のギルマスを殺したのは俺だ。つまり幼少期から青年期までの俺を利用していた非合法組織こそが、暗殺者ギルドだったってわけだ。頭を潰して一度は解体してやった組織だが、カケイという暗殺者の下、こうしてまた再結成に至っている。
もしも“影”としてではなく、ヴァン・クロフトとしてカケイを殺すことができたなら、平民生活なら生涯遊んで暮らせるだろう。三億ってのはそれだけの額だ。
ま、無理だ。依頼もないのにカケイを追うのは、正直割に合わん。危険過ぎる。
それを言うなら、先代マスターを賞金稼ぎ登録をしてから殺しておけば……いや、過去を悔いたとて切りがない。でもぶん殴って説教をしたい。世間知らずだった過去の自分に。
タイムスの賞金首頁に載る常連は他にもいる。
例えば、賞金総額二億の王都の女盗賊団“レッドバルーン”のメンバーや、単身賞金額八千万の“王都の影”とかな。後者はもちろん俺だ。
要するに俺は、カケイに続いて王都の高額賞金首個人部門、第二位の額なんだ。殺した数というより、旧暗殺者ギルドの頭を単身で暗殺したことで、王族貴族連中から脅威度や危険度をかなり高く見積もられてしまったらしい。勘弁してほしいね。
あとは数百万がずらりと並んでいる。昨夜、リサのおかげで殺り損ねたやつの名もそこにあった。百万ちょいってとこだ。他人の命を安く見積もるやつは、自らの命をも安くしているってことだ。
頁をめくる。
こっちは十万から三十万に収まるような小物ばかりだ。ここらへんまで落ちると、殺すと賞金はパァになる。面倒だが、生かして捕らえてなんぼだ。
それでも、最低額のやつでさえ一匹で一ヶ月は食いつなげるだろう。切り詰めれば。
頁をめくる。
あとは王都近郊に現れるモンスター退治くらいか。
そっちは冒険者ギルドの領分だから、あまり儲けにはならない。騎士団から直接賞金が出る賞金首とは違い、モンスター退治は冒険者ギルドというものを挟んでいるせいで、中抜きがひでえんだ。だからこっちは最終手段だな。
ちなみにこれでも冒険者ギルドは暗殺者ギルドとは違い、歴とした合法組織だ。
隅から隅まで確認したが、リサらしき賞金首はない。昨夜の態度から、その可能性も考えてはいたのだが。
胸をなで下ろしてから気づく
「なんでホッとしてんだ、俺ぁ……」
紫煙を吐いて、行方不明者の頁にも目を通した。だが、彼女と同じ性別年齢の不明者を探してみても、それらしき記事は載っていない。
どうやらハズレのようだ。あるいは王都外からやってきたか。
グラントタイムスを丸めて屑籠に投げ込む。似顔絵と名前を頭に入れたら、あとは用なしだ。
ちょうどリサが寝室から出てきた。
出逢ったときと同じ修道服だが、スカプラリオは掛けておらず、シンプルに白のトゥニカのみだ。その上から、俺の短めの上衣を掛けている。
「えっへっへ」
袖はぶかぶかだ。“影”としてではなく、ヴァン・クロフトとして使うために購入した上着だ。
リサが両腕を広げて俺に全身を見せた。くるりと回ると、トゥニカの裾がふわりと上がる。
「どう?」
「何が?」
とぼけてやった。
「褒ーめーてぇ」
紫煙を吐いて、石造りの灰皿で紙たばこをねじり潰す。
「かわいい」
「なぁ~んで灰皿見て言うかなあ!? こっち見てもう一回! 心を込めて、さんっ、はいっ!」
俺は彼女に視線を向けた。
「ガキの頃な、スラムで白い子犬を拾ったんだ。野良のくせにずいぶんと賢いやつでな、失せ物を見つけるのが得意だった。ふわふわしてて、人懐っこくて、俺もずいぶんとかわいがったのを思い出したよ。ありがとな、リサ」
「ヴァ~~~~~~~~~~~~~ンッ!」
「おわっ!? な、何だよ……」
大声にびっくりした。
「冗談だよ。ただちょっと……その……」
俺は言うべきか言わざるべきかで迷う。
だが、期待に満ちた目で見つめられて、照れくさくなっちまっただけだ。
「ただちょっと? 何っ!?」
怒っている。両手を腰にあてて。猫のように目をつり上げて。行動は犬なんだがな。
俺は長衣に袖を通しながら、ため息をついた。
「自分の服を着ている年若い少女に、昨夜から戸惑ってはいる」
「うん? どゆこと?」
「さてな。俺にもわからん。ああ、その姿だが、別に変じゃないぞ。似合ってる。コーディネートがうまいな」
「なんか想定と違う褒められ方ぁ~……」
じゃあもうどうしろというんだ。
「ま、いいや! 行こ!」
リサがテコテコとよってきて、俺の片腕に両腕を絡めた。
「おい」
「胸? わざとあててるから気にしないで。結構あるでしょ」
俺は彼女の肩をつかんで、冷静に腕を引き抜く。
「そうじゃない。昨夜言ったことをもう忘れたのか? ここで暮らしていることは秘密にする約束だろ。外出りゃ他人だ」
「あ~……」
ずいぶんと寂しそうな顔をする。
だが、ここは譲れん。ただでさえいい年した独身の中年だというのに、こんな小娘を連れ込んでいる変態だなどと近所に思われてしまっては、平民街に居づらくなってしまう。
引っ越し資金もないし、スラムに逆戻りは嫌だ。あそこは用心していても盗みに入られるし、住民登録のない住民が大半だから見回り騎士も動いてはくれない。そもそも見回りのルートに入ってすらいないくらいだ。
リサが唇を尖らせた。
「わかったよー。じゃあ出先でならいい?」
「誰が見てるかわからんだろ。逆になんで俺なんかと腕を組みたいんだ。組み技でもかけるつもりか」
「好きだから」
自分が一目惚れされるような年齢容姿をしていると思ったことなど一度もない。無精髭だし、夜に出歩くことが多いから顔色は悪いし、いつも疲れてる。
「アホ。さすがに嘘だとわかるわ。昨夜逢ったばかりでそんなわけあるか。適当抜かすな」
「もー! ほんとだってば!」
まあ、そう言われて悪い気はしないが。
俺は先に立ってドアを開けた。
久しぶりに見た朝の光がまぶしくて、目を細める。と。
「あらぁ、クロフトさん。おはよう。今朝は珍しく、ずいぶんとお早いのねえ」
のんびりした老婆の声がした。
隣家の老婦人リドネーさんだ。どうやら家の前を清掃中だったらしく、箒を手にしている。
「あぁ……おはようご――ざ!?」
しまった、そう思ったときにはすでに手遅れだった。リサがすでに、ひょっこりと俺の背中から覗いていたんだ。彼女が気づいて顔を引っ込めたときにはもう遅い。
リドネーさんが目を丸くして俺の横へと回り込み、リサを見ていた。
「あら?」
終わった。俺の人生。
明日からは“影”に続いて、平民ヴァン・クロフトも日陰者だ。しかも民衆から石をぶつけられるタイプの。
俺は膝から崩れ落ちた。
「あらあら、まあまあ。かわいらしいお嬢さん。クロフトさんのお子さんかしら。でも確か、ご結婚はまだでしたわよね」
絶望した。運が悪すぎる。
いつも生活の時間帯がずれていたため、警戒を怠ってしまっていた。暗殺者は夜に動くからな。たまに早起きしたら、この有様だよ。
俺は震えながら膝を立てて、口を開く。
「いや、リドネーさん、か、彼女は、ですね――……」
口ごもってしまった。
リドネー婦人はにこやかだが、その笑顔が俺の不安を一層あおる。
「あらやだ。おほほ。人生色々ありますものねえ。……で、いつ頃のお子さんかしら?」
「!?」
どうやら隠し子か何かだと思ってくれているようだ。リサは俺とは似ても似つかん美形だというのに。
だが、ああ。都合がいい。
ならばそれで話を進める他ない。若き日の過ち程度の認識で済むのなら安いものだ。
「いやあ、実はですねえ――」
俺の言葉をリサが遮る。
「違います。隠し子なんてとんでもない。ヴァンはとっても誠実な人だから、不貞を働いたりは絶対にしません」
はぁぁああああッ!? ちょ、ちょちょ、ちょ、やめ――。
心臓が、あ、心臓が痛い! なんかいきなり痛い! フォローの方向性を激しく間違ってる!
「わけあって、わたしが家に帰れなくなっちゃったから、むりやり転がり込んで住ませてもらってるだけなんです。だからヴァンは全然悪くないの。助けてくれただけ。彼、とっても親切よ。このままずっと一緒に住みたいくらいだもん」
「~~ッ!?」
余計なこと言うな!
血流がどうなったのかはわからないが、俺は意識を飛ばしかけた。かろうじて持ち直すも、老婦人とリサの会話は続く。
「あらぁ~。そうだったの。てっきりわたし、クロフトさんの隠し子さんなのかしらと思ってしまったわ。失礼な勘違いをしてしまってごめんなさいね、クロフトさん」
「え? あ、いや……なあ?」
なあって! なんで俺、リサに同意求めてんの!? いや求めてんのは助けか!? 情けない! 自分が情けない!
「あはっ、わたしは隠し子なんかじゃないですよ。ヴァンは紳士だもん。人道に外れたことはしません」
そう。そこらへんもっと押して。本当は外道な暗殺者だし、いまなんてもう何が正しいのかもわからないくらい頭がパニクってるけども。
「でもわたし、ヴァンとなら、このまま本物の家族になってもいいかもしんないな~とか思ったり? にひひっ」
「おいっ!?」
全身震え上がりそうな俺をよそに、老婦人は嬉しそうにパンと手を合わせた。
「まあまあ。仲良しなのね。でも、クロフトさんにとってはずいぶんとまた若いお嫁さんだこと」
「だめ?」
「うふふ。私はいいと思うわ」
いいの!?
「あ、申し遅れました。わたしのことはリサって呼んでください」
「そう、あなたリサさんっていうのね。ずいぶんとお若い恋人さんねえ、クロフトさん」
「そ、そういうわけでは……ないんです……が」
だがすでに老婦人は楽しげにリサと話している。
「今日からお隣さんだから、仲良くしなくちゃいけないわね。そうだわ。あとから何か差し入れを持って行かせていただこうかしら。リサさん、リンゴのパイはお好き?」
「わあ、大好き! ありがとう、リドネーさん!」
「おほほほ。いいのよ。クロフトさんは偏屈そうだし、難しい人だと思うけれど、頑張るのよ。私、応援しちゃう」
「うんっ」
俺の認識が間違っていたのだろうか。それとも彼女らが大らか過ぎるのだろうか。
小娘にしても、老婦人にしてもだ。どうやら女ってのは、俺には理解できん生き物のようだ。いや、それ以前に。
俺はたったいま、リサの立ち回りに救われたのかもしれない。自身がへたな嘘をついていたら、とんでもない事態を招いていた気がする。考えるだに恐ろしい。
だがリサのおかげで犯罪臭はうまく消された気がする。
俺は老婦人と楽しげに語るリサの姿を盗み見た。
何も考えていなさそうに見えて、意外としたたかだ。だが、だからこそ気になる。彼女が記憶喪失のふりをしてまで、平民ヴァン・クロフトの家に転がり込んできた理由が。
あるいは暗殺者“王都の影”のもとに……か?
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