第3話 ノーガードで粘っていこう。
帰宅以降、立ちっぱなしだったことに気づいて、俺はリサにテーブルにつくよう薦めた。彼女はおとなしく従い、着座してから頭巾を取る。
陽光のような色の輝く髪が、さらりと流れた。いまはガキだが、数年後にはとんでもない美女に化けるだろう。
現時点でも、そこらの舞台に立っている踊り子より、よほど美少女だ。まあ俺の知る踊り子の舞台なんぞ、場末の酒場くらいのもんだが。貴族どもが観劇するような舞台では、女優の質もまた違うのかもしれない。
「案外、舞台女優かなんかかもしんねえな」
それなら、とんと見慣れねえ白の修道服にも納得できる。
「え~? それってわたしの容姿を褒めてくれてると取ってもいい? 女優みたいに美人だなんて、照れるぅ」
リサは口元に手を当てて顔を逸らし、挑発的な視線を俺に向けた。
「ヴァンってば、わたしみたいなのがタイプなん?」
「そういう話じゃない。白い修道服だ。俺は時々教会で懺悔するんだが、そんな色の修道服を見たことがない」
「へえ、意外。何を懺悔してるの?」
「なんだっていいだろ」
これは外縁時代からの習慣だ。
暗殺者の俺が神に祈るようになったのには、それなりに理由がある。聞いた話じゃ神ってやつはセカイより広い心を持っていて、信仰さえありゃどんな重罪人でも赦し、死後に天の国へと無料で導いてくださるヤバいやつらしい。
バカげた話ではあるが、そんなものに縋り付いてでもいなきゃ、俺のようなやつは外道に堕ちてしまいそうになる。
先ほどの件で言えば、目撃者を消してしまうような。
だがそこに躊躇や罪悪感がある限りは、俺はこの信仰心を保持していたいと思っている。卵が先か、鶏が先かって話でもあって、若干の危うさは自覚しているが。
だから俺は、毎朝起きたらまず王都中央教会の方を向いて祈ることにしているし、殺しの翌日は教会に出向いて懺悔をする。正確な祈り方なんてのは知らんが、神はおおらかだから、別にかまわんだろう。
そんなわけで、立ち入り禁止の王都中央や貴族街以外の教会は、大体訪れたことがある。そして、そのどこにも白い修道女なんていなかった。
だが、舞台ならば話は別だ。そこに立つ演者ならば、騎士の甲冑はおろか剣でさえ金ピカでも珍しくはない。修道服は言うまでもなくな。
そんなことを考えていると、リサが座ったまま嬉しそうに口を開いた。
「さては純白の服の似合うわたしが、とても魅力的に見えるってことだ! 今晩ヤバ!」
「舞台なら不思議じゃないってこった。つーかおまえ、さっきからわかってて言ってるだろ。独身のオッサンをからかうのが楽しいのか?」
う~、とうなったリサが、突然テーブルに突っ伏す。
なんだなんだ……。
「ヴァン、冷たいぃ~……。もっと甘やかしてよぉ~……」
「どちらの娘さんですかね。子持ちになった覚えはないんで」
ガバっと頭が上がった。
太陽のような金髪が、さらさらと肩から流れる。
「あ、いま思い出した! 記憶! わたし褒められて伸びる子だった!」
「適当過ぎる」
「だからいま褒めてくれたら、明日はもっといい女になってると思う! どうかなー? どうだろなー? えっへっへ!」
まあ、楽しそうだよ。笑ってるもん。何言ってんだかわかんないけどな。深夜だし。
正直言ってツラは上等だし、将来性は間違いない器量の持ち主だ。だが、ここで認めてやるのもなんとなく癪だ。
舌打ちをして紫煙を吐き出し、紙たばこの先を灰皿で押しつぶす。
だがまあ、くだらんことに向きになるほど子供じゃない。なにせ俺は渋い中年男性ってやつだからな。女を褒めるくらいチョロいぜ。
「………………十分だろ……」
「ん~? んんんん? あれ? いま褒めてくれた?」
してやったりの顔がむかつく。
俺は歯を剥いて視線を逸らした。
「これで満足か?」
「わたしのこと好きになる?」
「そうだな。三年も経ちゃ、いい女かもな」
褒めたというのに、今度はなんだか難しい顔をしている。
「三年……」
「キッチンにくみ置きの水がある。顔を洗うなら使っていい。ベッドは奥の部屋だ。加齢臭の染みついた枕しかねえが、そこは我慢してくれ」
「あ。うん。ありがとう」
俺は開け放しておいた窓を閉める。
「ヴァンはどこで寝るの? ご一緒するの?」
「バカ。そこだ」
俺は居間のソファを指さす。
一人座り用だ。骨董市で買った安物だが、なかなかどうして座り心地は悪くない。寝心地はいまから確かめることになる。
リサが顔をしかめた。
「え~。いいよぉ。わたしがソファで寝るから。わたしの方が小さいし。何ならベッドでご一緒でもいいよ」
「子供がくだらん遠慮をするな」
額に手を当てて、リサは大げさに天を仰ぐ。
「か~っ、勇気出して二回も言ったのに無視されたわっ。か~っ、子供扱いだわっ」
「いやそれやったら、朝まで何もなくても社会的に死ぬんだよ。俺だけが。冷たい目線向けられてお天道様の下を歩けなくなるだろ」
昨今は王都にも少女好きの変態が多いからな。騎士団は毎日大忙しだ。
「わたしが誰かに話せばでしょ。誰にも言わないよ?」
時折。大人びた笑みを浮かべる。
女性としてではなく、うまくは言えんが生物的にだ。失った記憶の中で、まるで多くの死を見てきたかのようにだ。だがそういう輩は、笑顔をうまく作れない。まともであればあるほどだ。
俺のように、笑おうとすると顔面が歪むんだ。
組織にいた頃は生きるため、命じられるまま善人も悪人も殺した。そんな人間には生きる資格はおろか、他者を愛する資格もない。奪った多数の命を糧にしてながらえ、あまつさえ戯れに他人を愛し、わずかばかりの新たな生命を作り出す。
バカげてるね。おまえは命の引き算もできねえのかよ。
「どしたの? ヴァン? 一点見つめちゃって……」
「何でもない」
気分の悪さを隠すように、俺は愛想笑いを浮かべた。
リサは少し困ったような表情で俺を見ていた。表情に出したつもりはなかったんだが。
「ヴァンは聞かないんだね。慣れてるのかーとか、物語なんかじゃお決まりの台詞なのに」
「記憶がない設定なんだろ? 聞くだけ無駄だ」
「そうでしたっ。ちなみに、紳士なヴァンさんは興味がないかもしれませんが、わたしは慣れていませんよ~」
リサは、“設定”という俺の言葉に、否定も肯定もしなかった。
「なら、ガキがしょうもないことを言うな。本気にされたら大変だ」
ニヒヒと笑って、彼女は口を開く。
「怒ってる? ちょっとは期待してくれてた? 本気になってもいいんだよ?」
「いんや。怒ってねえし期待もしてねえ。本気にもなれん」
「即答で全否定は傷つくぅ……」
俺たちは少し笑った。
その後、キッチンで並んで顔を洗った。
「じゃあな」
「うん、おやすみ」
リサが寝室に入っていくのを見送ってから、俺はソファに座って長衣を頭までかぶる。だがすぐに長衣を下げて顔を出した。ドアを開く音がまた聞こえたからだ。
「ヴァ~ン~」
「ん?」
「服、貸して。トゥニカもスカプラリオももう汗臭くてダメ。ベッドに臭い残っちゃう」
「んなもん気にすんな」
どうせヤニと加齢臭に紛れたベッドだ。いまさら小娘臭が加わったところで……ちょっとはマシになるかもな。
そんなことをブツブツ言いながら長衣を再び頭からかぶると、リサが俺の長衣を引っ張って剥いだ。
「お~い……。寝かせてくれよ……」
「わたしが気にするの! 女の子だよ!?」
顔が赤いのは、ランプの明かりのせいじゃないだろう。どうやら本気で言っているらしい。先ほどまでの会話とのギャップが凄まじいな。確かに慣れてはいなさそうだ。
俺はため息をついてソファから身を起こし、頭を掻く。
「女物なんて持ってないぞ」
「それは期待してないよ。ヴァンのシャツでいいから」
「ならクローゼットから勝手に選んでくれ。寝室の隅にあったろ」
「は~い。ありがとねっ。あ、明日洗濯したいから――」
「――裏の小屋で水浴びができる。使っている間、鍵はしろ。洗濯もそこで勝手にやってくれ。道具は揃ってる」
「うん。じゃ、今度こそおやすみ」
「ああ」
俺は長衣をかぶる。
しばらく無言だったが、足音は去っていない。いまなら簡単に俺を暗殺できるだろう。長衣の上からブスリだ。まあ、この長衣は防刃繊維だから、刃は通らないだろうが。
そんなことを考えていると、降ってきたのは刃ではなく、嬉しそうな声だった。
「やっぱりご一緒するぅ? わたし、ヴァンなら平気だよっ。添い寝までならね」
添い寝だけで済むかどうかは、その日の体調と気分次第だ。
君子危うきに近寄らずってのは、どこぞの遺跡から発掘された古代語だったか。いや、暗殺者ギルドの誰かが言ってた言葉か。
「信用してくれてんのはありがてえが、いい加減寝ろぉ。俺ぁもう眠いんだよぉ」
「へえ? 信用は全然してないけど?」
どういう意味だよ。まったく。最近の若いやつらは。
俺はあえて深く考えないことにした。
「やかましい。寝ろ」
「はぁ~い。おやすみなさい、ヴァン」
おざなりに返事をする。
「ああ」
「……おやすみなさい?」
「……ああ」
「おやすみなさぁ~い?」
おまえは俺の母親か! 挨拶くらいできるわ!
「お・や・す・み!」
「んふふ」
立ち去る音とともに、ようやく気配が消えた。
変なやつだ。
俺はまた少し笑った。
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