第27話 臆病でかわいそうな人。
ガディが両腕を持ち上げた。空間が微震するほどの魔力の高まりを感じる。肌が粟立った。
なにかがくる――!
リサが俺の長衣の背をつかむ。
「ヴァン……!」
「大丈夫だ。ダニエル、防げるか?」
ダニエルはすでに魔導書を開いている。
これがなくても魔術は使えると豪語していたが、どうやら開かねば使えない魔術もあるようだ。欺されちゃいたが、そのくらい用心深い方が実力は信用できる。
「対魔導結界を張る。ただし、守れるのは娘と術者である私だけだ。それ以上に広げれば強度が大きく下がる。せいぜい生き延びたまえ」
「十分だ。カケイ、フォロー頼む。今回は頼ってもいいんだよなぁ?」
カケイが頭を掻いた。
「ま、元々あれを殺すためだけに召喚されたのが俺だからね。正しくは、誕生前に殺すことだけど」
「……言い方が気になるがいまはいいや。それよか依頼じゃねえから無料だよな?」
言質は取っておきたい。
あとで借りだのなんだの言われて暗殺を押しつけられるのが一番困る。なんせ俺はもう、暗殺者を引退するつもりなんだからな。
こいつを屠ることが“王都の影”最後の仕事だ。
カケイがニタリと笑った。
「ハハハ、財布の心配は生き残ってからにしなよ。――と、くるよ!」
光る。王の巨大な掌が。
俺たちはダニエルとリサをその場に残し、左右に分かれて散った。その直後、ガディから立ち上っていた魔力が膨大な量の炎と化した。
やつは頭上にできた巨大な炎の塊を左右の手でつかんで引きちぎり、小さな炎の塊を俺たちへと次々にぶん投げる。狙いなどつけもせず、デタラメに、そして何度もだ。
おそらく、先ほどダニエルが近衛騎士らを一掃した魔術の強化版だろうか。
「く……っ」
最初の一発をかいくぐり、二発目を跳躍で躱す。後方の壁面に着弾したそれは石壁を爆散させて貫通し、居館と王座の間を囲むように展開していた外の騎士らを大量に巻き込んで中庭で弾けた。
悲鳴と熱波が一気に広がって、パニックとなった騎士らが我先にと逃げ出す。だがいまの俺にそんなもんを気にしている余裕はない。掠りでもしたら終わりだ。
三発目、身をひねりながら走り、後方を振り返る。
「リサ!」
「――ッ」
軌道の先にダニエルの結界があったからだ。当然その中にはリサもいる。
振り返った俺の視界の中、炎の塊が結界に着弾する。橙色の炎が広がり、立ち上り、空間を灼く――が、魔導書を広げたダニエルは片手を挙げて立っていた。
無事だ。もちろんリサも。
「フ、集中したまえ、息子よ!」
「おめえに息子言われる筋合いはねえ!」
むしろ集中力が切れるからやめて欲しい。
「おまえではない。義父さんと呼んでくれたまえよ」
「死ね!」
「早速反抗期か……」
リサが悪戯顔で口を開いた。
「ヴァンはわたしと結婚してくれないの?」
「~~っ!? い、いやそりゃまた別の話……だ……ろ……」
ああ、いつもの顔だ。リサの、いつもの悪戯顔。クロフト邸で見せていた、あの顔だ。そうか、それは父親譲りだったか。
こんなときなのに俺は、嬉しくなってしまう。
「ぼっ立ち禁止だ、オッサン!」
唐突に肩口に衝撃を受けて、俺はすっ転んだ。
「んがッ!? 痛ェなオイ!」
カケイだ。カケイが俺の右肩を蹴って転ばせたんだ。
俺の立っていた場所に炎の塊が着弾し、石造りの床を赤く染める。融解して火山口のようにグズグズだ。あのまま突っ立ってたら、俺はもう蒸発していただろう。
どうやら早速救われてしまったらしい。
「プロポーズは後にしてくんないかな!? 俺だってオッサン助けてる余裕ないんだからさァ!」
「すまん。いまの無料だよな?」
「さっきも言ったが――」
カケイは身軽にひらひらと炎の塊を躱しながら、投擲用の暗器をガディへと投げた。だがガディは躱しもせずにそれを眼球で受け止めたあげく、あろうことか、ただの瞬きではたき落とす。
嘘だろ。カケイの投擲技術は達人級だが、眼球で刃物を受けて平気なガディは魔物以上、伝説級のバケモン。あの頑丈さはまるで竜種だ。
「財布の心配はァ、あーとーにーしーろォ!! クソジジイ! さっさと立て!」
「お、おう」
カケイがマジギレの目をしている。糸目をかっ開いてるもん。怖いね、最近の若いやつは。
投げつけられた炎の塊を、俺は転がって躱した――直後、目を疑った。ガディが俺の頭部ほどもある拳を握りしめ、眼前を跳んでいたんだ。あの巨体で。俺やカケイ並みの速さで。
同時に発生した大音量の声が頭蓋で反響し、視界が揺らぐ。
――ひれ伏せ。
「~~ッ」
完全に意識の虚を突かれた俺だったが、肉体だけは無意識に反応していた。身を逸らせながら後方へと飛び退き、両手を地面について後方へと回転する。
直後、ガディの拳がフロアを貫いた。石造りのフロアを拳で貫いたんだ。突き刺さった腕を中心として爆音と衝撃波が走り、フロアがめくれ上がる。
「う、おおおおっ!?」
バケモンめ……!
発生した飛礫に打たれながらさらに後退した俺の視界の中で、カケイがクナイを両手で逆手持ちにしながら、ガディの頸部へと振り下ろすのが見えた。
だが――!
「冗談きついね……!」
刺さった。刺さったが、浅い。巨体に対してあまりに浅すぎる。刃が半分も埋まっていない。
医者か暗殺者なら誰でもわかる。生物の急所にまで届いていない。脳からの命令を断絶させなければ、やつはいくらでも再生しちまう。
「おおおおっ!」
――崇めよ。
なおも力を込めようとしたカケイを、ガディの右腕が振り払った。たったそれだけでカケイの全身は吹っ飛ばされ、石壁へと叩きつけられる。
ぐちゃり、と肉のひしゃげる音がした。
――恐れよ。
「ぐ……」
「カケイ!」
「だいじょー……ぶ……ッ」
叩きつけられる直前、かろうじて壁を手で叩くのが見えた。受け身はギリで間に合ったらしい。だがその代償だ。カケイの片腕は力なく垂れ下がっている。
折れたか……!
腕を犠牲にしなければ、全身が血袋のように破裂していただろう。
――神の御前である。
そのカケイへと標的を変えたガディが膝を曲げる。直後、無数の炎弾がガディへと降り注いだ。
ダニエルだ。結界を張りながら援護をしてくれている。
――ひれ伏せ。
王が腕を振るった。ただ振るっただけだ。
その腕から発生した魔力風の刃が、ダニエルの結界を襲う。フロアをめくり上げながら親子に迫ったそれは凄まじい衝撃波となって、まるでガラスを砕くように結界を弾け飛ばした。
「ぐう……!」
「お父さま!」
ダニエルの全身が血を噴く。
膝をつきかけたダニエルの脇に入り、リサが支える。
直後、ダニエルが吼えた。
「まだだ! 貴様のようなバケモノに喰わせるために、私はこの子を育ててきたわけじゃないッ!」
ダニエルがリサを突き放し、魔導書を掲げる。
高く。両腕で。
「お父さま!」
「くるな。離れていなさい。――雷よ!」
雷の魔術は、達人でも見切ることのできない高位魔術だ。威力に上限こそあれど、疾風を遙かに凌駕する速度で敵へと着弾する。
だが反面、魔導技術としては未完成と言われている。
それは制御ができないからだ。つまり、雷は術者の肉体をも蝕む。
迸る青い稲妻がガディを襲う。同時にダニエルの全身が破裂した。血管が破れ、全身から一掃激しく血液が噴出する。
それでも、ダニエルは魔術は止めない。眼窩から血が流れてもだ。
「おおおおおおおお!」
ガディは雷撃を正面から受け止めながらも、カケイの頭上で掌を広げた。叩き潰すつもりだ。やはり対魔術装備は貫けない。
だが。ああ、だが。
そんなことは最初から想定済みだ。ダニエルは。わかっていた。俺もだ。あらかじめダニエルからそう教えられていたから。ガディに魔術は通用しない、と。
つまりこれは、俺への繋ぎなんだ。
このとき俺はすでに長衣を翻し、ガディの後方を跳んでいた。やつに気づかれぬよう静かに、闇と影の中だけを移動して、すでに狙いを定めていた。
カケイが刺したクナイだ。刃の半分まで頸部に埋まっている。
不老不死? 大いなる力?
つまんねえやつだなあ、おまえ。もっと大切なことなんて、いくらでもあったろうに。ガキ染みた夢はもう終わりにしようや。
――崇めよ。崇めよ。崇めよ。神の御前である。
「――なあ、ガディ・イスパルッ!!」
全力を込めたナイフの先で、クナイの柄を打つ。
甲高い音が鳴り響き、刃の残り半分が王の頸部へと埋め込まれた。ガディの全身が前方へと揺らぐ。カケイの前に膝を落として。
カケイが残る腕でガディの喉へと、もう一本のクナイを突き刺した。
ごぼり、とガディが血の泡を噴く。
「……悪い……けど……、あんたに……未来は渡せないね……。この時代で……死んでいけ……」
俺が後退した瞬間、たたみ掛けるように魔術の炎が降り注いだ。
おそらく、ダニエルの最後っ屁だ。これまでと比べても低位の魔術なのは、素人の俺から見てもわかる。
効かない? いいや、効くはずだ。
俺は右手のナイフでクナイを埋め込みながら、左手のナイフでガディのマントを切り離し、引き千切ってやったのさ。このひらひらと鬱陶しいマントだけが、炎を受けても雷を受けても焦げ付かなかったからだ。
これがガディの対魔術装備だ。そいつを失ったガディは、一瞬にして炎に包まれた。
再生が追いついていない。頸部に刺したクナイが、脳からの命令を阻止している。
「終わりだ!」
その頸をめがけて、俺はナイフを振るう――が、刃は持ち上げられた燃える腕によって防がれた。半分まで食い込んだ刃は、押しても引いても動かない。直後、ガディの豪腕が俺へと叩きつけられる。
「があッ!?」
まるで丸太で殴られたかのような衝撃が、胸を突き抜けて背中まで抜けた。てめえの骨が砕ける音を聞いたのは、後にも先にもこのときだけだ。
背中からフロアに転がされ、激痛の中で息が詰まった。起き上がろうと両手を突っ張ると、大量の血が口から流れ落ちる。
……ああ?
持ち上げた視界の中で、カケイが投げ出された人形のように吹っ飛ばされるのが見えた。フロアに叩きつけられ、赤い線を引きながら対面側の壁まで転がったやつは、もう動かない。
ガディ・イスパルは炎に包まれながら、リサを求めるように足を引きずって歩き出す。ダニエルが次々と放つ魔術をすべて受け止め、肉体を破壊されながらだ。肉は焼け焦げ、至るところから焦げた血を流し、震えながら、それでもリサへと。
――我が元へ。
次の瞬間、ダニエルが薙ぎ払われた。その手から魔導書が離れる。
ガディの前には、毅然と立つリサだけとなった。その瞳におびえの色はない。そこにあるのは、ただの哀れみだ。
――さあ、無垢なる贄よ。真の神となろうぞ。
リサが静かに告げる。
暖かく、優しい声で。
「臆病で、かわいそうな人。ずっと怖かったのね」
――……。
炭化して砕けたガディの膝が落ちる。それでもリサへと両手を伸ばす。届けばもはや、リサには逆らいようもないだろう。
だから。俺は。
「ヒトは神にはなれねえ。おまえは嫌になるくらい人間だったよ」
俺は残り一本となったナイフを持ち、すでにガディの背後についていた。逆手に持ったナイフの刃を頸部左側へと突き刺し、力を込めて右側まで一気に引き裂く。
裂けた喉から嘆きのような呼気と大量の血液を流した王は、ようやくその目から生命の輝きを失って、ゆっくりと崩れ落ちた。
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