第25話 もうすでに人間じゃないから。
ダニエルが信用ならないとはいえ、いまはそんなことで無駄に時間を食っている場合じゃない。
居館と王座の間をつなぐ大扉に手を掛けた。だが押しても引いても動かない。鍵が掛かっているんだ。
大扉の前で待機していた鍵持ちの近衛騎士は――。
「……」
「……」
未だ赤熱状態のフルプレートの中でこんがりと灼け、臭気を漂わせていた。
鍵は魔法が直撃した際に手から離れて吹っ飛んだらしく、歪な形状にねじ曲がり、壁際に落ちていた。
俺はそれを手に、まじまじと眺める。
鍵穴に差し込むも、半分も入らない。そらそうだ。こんだけ曲がってりゃ、もはや使いもんになるわけがない。
「おい」
ダニエルを睨むと、彼はすっと視線を逸らす。
「なんで鍵持ちまで狙ったんだよ」
「仕方ないだろ。あの魔法は私が精神的に敵であると認識した対象へと向けて自動で飛んでいくように組まれた術式なのだから」
その言い分が正しければ、俺に魔法が飛んでこなかったのは一応味方だという認識があったかららしい。
「その証拠に“影”くんには飛んでかなかったろ。お友達だと心から思ってるからね」
口に出されると、かえって胡散臭く思えるのが不思議だ。
「ほんとにー?」
「ほんとほんと。私の目を見たまえよ。嘘をついているような目をしてるかい? まるでブラックパールのように曇り一つなく、幼子のように無垢なる眼――」
「曇天のように濁ってて、陸に打ち上げられた魚のようにくすんで見える」
「ひどい」
だが弱ったぞ。
この規模の大扉など、鍵がなければ開けようがない。先ほどの魔術は手前の騎士を狙ったものだったとはいえ、大扉にも多大な影響を与えたはずだ。なのに表面が焦げただけで、歪んでさえいない。頑丈なんだ。
それに。
いくら居館とはいえ、これだけの騒ぎだ。いまにも住人が――……なぜこない?
いま気づいた。
静かすぎる。あまりにも。
居館に逃げ込んだというのに、内壁の騎士らが居館扉を開けようとする音さえしない。
「ダニエル。居館の王侯一族はどうなってる」
「そんなのとっくにいないよ。何年も前からね」
「ああ?」
ダニエルが腰に手を当て、片手で器用に魔導書を開けた。
「未だ居館にいるのは、リーリクード漬けにされた近衛騎士とその候補、あるいは同じく廃人にされた使用人くらいのものだ。爆発が起ころうとも、誰も起きてはこないよ。ガディの命令でなければ」
「騎士が俺たちを追ってこない理由は?」
「恐れているんだよ。居館への立ち入りを。正しくはガディをだ」
グラント王国はいったいどうなっているのか。
「王子や王女はいまどこに? 王妃も存命だったよな?」
「外国に亡命された。何年も前の話だ」
「なんで?」
「グラント王国に残ったってガディに殺される。ガディはリーリクードを使用しない人間を信用しない。一族であろうが側近であろうが、それは同じだ。他者の意思に対し、異常なまでの警戒心を持っている」
俺は少し考えて、別の質問をした。
「政権の運用は誰が?」
「ガディが傀儡を通じて教会に下している」
「貴族ではなく?」
ダニエルが魔導書のページをめくりながら、肩をすくめた。
「教会だよ。リーリクードを作り出す技能を持った彼らだけは、ガディも排除しない」
「確かか?」
「王妃や殿下方に亡命を手引したのは私だ。おかげで家族を人質に取られ、監獄塔にぶち込まれてた。キミは信じられないかもしれないけれど、この国の一部の貴族は、国家国民のために教会と王侯からの盾となっている」
驚いたね。価値観がひっくり返っちまう。
ギルドを出てからも、俺は多くの貴族を屠った。そういった依頼があるのは確かだが、何より平民やスラムの敵だと思ったからだ。
そんなことを考えた瞬間、ダニエルが魔導書から視線を上げて俺の目を見た。
「キミが気に病むことはないぞ。“影”はこの数年で多くの貴族を手に掛けたが、彼らは紛う事なき悪党だ。私腹を肥やすことしか考えていない。国を去れば財が残らないから仕方なく私に従い、王侯や教会と事を構えることを選んだ輩も少なくないのだよ」
「……」
「もっとも、そんな愚かな輩でも使い道はあったんだけどね。正直、人手不足には悩まされた。まあ、革命後のことを考えれば追放自体は早いか遅いかの違いではあったが」
「……ぐっちゃぐちゃじゃねえか……」
まるで地獄の釜だ。
人を人とも思わんバケモンが中枢にうじゃうじゃいる。そんなやつらが政権を取り合って争い続けているのが、このグラント王国だったとは。
スラム問題が些事に思えるほどだ。
「公爵、つまりおまえが監獄塔に入れられたことをガディ・イスパルが国民に向けて発表しなかったのは、現政権の執政を革命派であるダニエル・ファン・ヘルデンになすりつけるため?」
「だろうね。理由は他にもあるが、いまは伏せておこう。余計な情報は刃を鈍らせる」
老獪だ。
ガディ・イスパルは狂ってなどいなかった。緻密な計算の上で狂人を演じている。いや、違うな。そんなことができるのは狂っているからか。
人喰い然り、国家の私物化然り。
「だからガディの暗殺だけは躊躇わないでくれたまえよ」
「……ああ。けど、この扉が開かねえことには――」
「あったあった」
大扉の前に立ったダニエルが指を二本そろえて立て、何かしらの詠唱をする。その直後、彼の人差し指と中指の先から、高熱の閃光が迸った。
闇を白く斬り裂くそれを、ダニエルが大扉前で斜めに振り下ろす。次に真横に、最後に斜めに振り上げて、白い閃光のような刃は消滅した。
ダニエルが片足を持ち上げて、扉を蹴る。
ガン、と音が響き、三角形に切り取られた扉がゆっくりと王座の間の方へと倒れた。凄まじい振動が床を這う。
「さて、我が王にご対面だ」
「お、おお……。……俺いる?」
「いるいる。私の盾になってくれたまえよ」
「ふざけろ」
ダニエルが先に立ち、大扉に空いた三角形の穴をくぐった。その後に続いて、俺も大扉の穴をくぐる。
「――!」
静かなる王座の間には、ふたりの人物が俺たちを待っていた。
玉座に腰を下ろした白髪白髭の老人と、うつむき、そして目を伏せている少女だ。
「リサ!」
俺は叫んだ。
ナイフは残り二本。最速で走ってすれ違いざまに玉座の王の命を絶ち、リサをかっ攫う。そのつもりで膝を微かに曲げた直後。
「……どうして、きてしまったの?」
リサの冷たい声だけが、静かな間に響いた。
それは冬の朝に張る、鋭く尖った薄氷のように冷え切った声だった。この日、リサが俺にぶつけてきた最初の感情は、強い拒絶だったんだ。
俺は曲げた膝をゆっくりと伸ばす。
「“影”!」
ダニエルの鋭い声がした瞬間、ガディ・イスパルが伸ばした枯れ木のような手の指先から、五つの閃光が走った。
「~~ッ!?」
ほとんど本能だった。回避に意識すらなかった。
だが、長年培った経験は技能となり、俺を突き動かした。
産毛が逆立つ瞬間、俺はとっさに身をよじりって空中で回転し、地面と平行になって両手から地面に着地する。
掠った長衣には、穴が空いてしまっていた。
もしも避けなければ、もう死んでいた。
――ひれ伏せ。ひれ伏せ。ひれ伏せ。
響く声。大地から雷轟のように全身を貫いた低く割れた大きな声に、俺は戦慄した。耳を塞ごうが、何度も頭蓋の中で反響する。頭痛に顔をしかめた。
ガディ・イスパルが玉座からゆっくりと立ち上がる。
驚愕した。でかい。あまりにも。
目は落ちくぼみ、頬は痩け、豪奢な袖から覗く手は杖と同じく枯れ木のようであっても、その肉体があまりにも大きかった。
絶句する。
すでに人間ではない。俺や俺より背の高いダニエルでさえ遙か見上げなければならぬほどに、ガディ・イスパルは巨大だった。
その体躯は、まるで神話に出てくる神のように。
地の底から再び頭蓋に声が響く。雷轟のように割れんばかりの声量で。朗々と。
――崇めよ。崇めよ。崇めよ。
遅れて全身から冷たい汗が一気に噴出した。あまりの威圧に吐き気すら催した。
落ち窪み、穴のようにしか見えない目で、ガディは俺とダニエルを見下ろす。
生まれて初めて自覚した。
死は、すぐ隣にあったのだと。
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