第23話 なんでそんな人連れてきちゃったの。
ダニエル・ファン・ヘルデン公爵。
俺はとんでもない野獣を、牢から野に解き放ってしまったのかもしれない。そう気づいたのは、もはや取り返しのつかない状況に陥ってからのことだった。
「……これでいいのか?」
ダニエルに言われるがまま、俺はやつの首に腕を回してナイフを喉元に押し当てていた。
つまりはダニエル・ファン・ヘルデン公爵さまを暗殺者“影”が人質に取ったという体で、この窮地を脱出しようという案だ。
「ああ、構わんよ。いや、やはりもっとナイフを遠慮なく押し当てたまえ。そんなソフトフェザータッチではバレてしまうかもしれん。ほれ、ほ~れ」
「バカやめろ! 喉を刃に押しつけてくるな! 俺のナイフは特別性だから、ほんとに切れちまうぞ!」
「うんうん。それくらいの方が迫力が出ていいではないか。演技は真に迫ってなんぼだからね」
なんだよ、こいつ……。
だが投獄中とはいえ、ダニエルは公爵位だ。一介の騎士が見捨てるにはあまりにも位が高すぎる。グラント王国において、ヘルデン公爵より位が高いのはそれこそイスパル家の面子のみだ。効果はある、と信じたい。
「では、閂を抜いて扉を開きたまえ」
「言われなくてもわかってる」
「そんで、遠慮なく叫ぶのだぞ、“影”くん」
「わかってるっつってんの!」
俺は閂を足で蹴り落とし、監獄塔の扉を乱暴に蹴って開く。
当然、扉の周囲には騎士どもが大勢詰め寄せていた。いくらなんでも多勢に無勢。
さらに言えば、どいつもこいつも“王都の影”を討ち取ろうと殺気立っている。忘れがちだが、何せ俺は、こんなでも賞金額8千万の賞金首だ。カケイに次ぐ王都二位。生死問わずで捕まえても、遊んで暮らせる大物なんだ。
騎士の数に唖然とする俺にだけ聞こえる声で、ダニエルが囁く。
「……さあ、“影”くん。早く彼らに言ってやりたまえ……」
ああ、クソ。他に選択肢がねえ。
本来、窓から抜けて屋根から屋根へと飛び移って脱出するつもりだったんだ。でも「キミと違ってそんなエテ公のような真似は私にはできない」というダニエルに小馬鹿にされた結果、ダニエルのアイデアである人質案を取らざるを得なかった。
大貴族である公爵家の当主を人質にするなんざ、完全に賞金額が上乗せされる事案だ。へたすりゃ今日以降、額はカケイに並ぶかもしれん。平穏な暮らしがさらに遠のいちまう。
だが仕方がない。リサのためだ。リサの。
「……ほら、早く……」
こういうのは“影”の流儀に反するんだがなあ。
俺は破れかぶれになって泣きそうな表情で、騎士どもに叫んだ。
「てめえら武器を下ろせッ! 少しでも妙な動きを見せたら、このダニエル・ファン・ヘルデン公爵の喉を掻っ捌くぞッ! 遠くから矢をつがえてるやつらもだッ!! 万が一にでもこのニヤけ公爵のツラに当ててみろ! てめえらは一族揃って打ち首だッ!! わかったらいますぐに武器を下ろして道を空けろッ!!」
「う~わ~っ、たぁ~すけてくれぇ~い! 私には愛する妻と娘がいるんだぁ~!」
おい! 演技へたすぎだろ! 真面目にやってくれ!
だがそんな心配をよそに、どうやら効果はあったようだ。騎士たちは殺気立ちながらも戸惑いの表情を見せ、二の足を踏んでいる。
「く、卑劣な暗殺者め」
「絶対に赦さぬ!」
ダニエルが静かにぼやいた。
「……うまいうまい、さすがは凶悪犯罪者だ……が、ニヤけ公爵は傷つくから、よしたまえよ……」
「……おまえの演技はクソ以下だったけどな……」
「……よしたまえよ、そういうこと言うの……」
この作戦、正直どうかと思っていたが。意外にも騎士らは苦渋に満ちた表情で、剣の切っ先を地面へと下げた。
ちなみにダメだった場合、ふたりしてすぐに監獄塔に引っ込み、再び閂を掛けるつもりだったんだ。
騎士らは口々にダニエルの名をつぶやき、不承不承といった具合に道を空ける。
「……あんた、そんななのに人望あんの……?」
「……愛されて四十年、ふふふ……」
なんかむかつくな。この俺を小馬鹿にする態度、誰かに似ている気がする。
リサ? カケイ? それとも俺の体質がこういう輩を惹きつけてしまうのか?
悩ましい。
俺とダニエルは戦々恐々としながらも、騎士どもが空けた道をいく。むろん、その間もダニエルの喉には刃をあてている。
「そこ、動くなよ。手元が狂っちまうことだってあるんだぜ。クク」
「う~わ~っ、や~めてくれ~い! 手元狂わないでくれ~い!」
だというのに、こいつはどんどん進もうとしやがる。へたすりゃ刃が喉に食い込みそうな勢いでだ。
「……おい、ダニエル。もう少しゆっくり歩け、ほんとに切れちまう……」
「……」
眉一つ動かさず、ダニエルはスタスタ歩く。ニヤけ面からは何も読み取れない。だが、どこか焦っているように見える。己の命など省みぬかのように。あるいは単にイカれてんのか。
やがて俺たちは内壁にできた騎士の道を通って居館へと入り、木製の扉を閉ざして中から鍵を掛けた。監獄塔の鉄扉ほどの強度はないが、それなりに時間は稼げるだろう。
「成功したな。さすがは私だ」
「かなり危なかったけどな」
互いに肩の力を抜いて脱力し、顔を見合わせる。
俺はあきれて口を開いた。
「ダニエル、あんた魔術師だろ。睡眠魔法かなんかでもっと楽にいけなかったのか?」
「私が魔術師? そんなことを言ったかね?」
「あんたが監獄塔で読んでた分厚い本は魔導書だろ。一般人はあんなもん読まないし、そもそもが読めない」
俺も例に漏れずだ。
魔術師は才能だ。大地から発生する魔素を体内に取り込み、魔力へと変換できるやつだけがなれる選ばれし職業なんだ。魔物や魔族ならいざ知らず、人間では極めて稀だ。リーリクードの花で開花するやつも中にはいるらしいが。
「ああ、これのことかね」
ダニエルがサーコートの懐から一冊の本を取り出した。
監獄塔の牢で読んでいた魔導書だ。表紙には魔術六要素を示す六芒星と、俺にはグニャグニャの線にしか見えないような文字が記されている。
「これはね――」
ニヤリと笑って、ダニエルが右手に持った魔導書を高く持ち上げた。俺の頭上で。
「ん?」
「こうするために持ってきた」
そうつぶやき、凄まじい勢いで振り下ろす。
「――ッ」
完全に虚を突かれた俺は、反応すらできなかった。
居館入り口で鈍い音が響く。
「か……っ!?」
どさり、と何かが倒れるような音がした。
俺に衝撃はない。振り返ると、俺の背後にはひとりの門衛が倒れていた。どうやら分厚い本で殴打されたのは、この門衛だったようだ。
「……」
鼻の骨が砕けているのか、顔面がへこんでいる。遅れて鼻血が大量に流れ出した。
たぶん暗殺者に捕まったダニエルを助けるべく、俺を背後から襲おうとしていたところを、救出対象であるはずのダニエル本人にぶん殴られたのだろう。
気の毒すぎる。
ダニエルは魔導書をぶんぶん振り回しているが。
「鈍器代わりだ。重さといい、角の堅さといい、これくらいの分厚さがちょうどいい」
「……ああ、そう……」
変わってんな、こいつ。
だが魔術師でないとするなら、まともな戦力として見るのはやめておくべきか。
「さて、“影”くん。この居館の隣にあるのが王座の間だ。いよいよガディに謁見するわけだが、覚悟はできているかね」
「ああ」
「それと、言うまでもなくガディの側には一騎当千の近衛騎士…………」
ダニエルがそうつぶやいたとき、王座の間へと続く扉が開いた。
そこからぞろぞろと十名あまりのフルプレートの黄金騎士らが現れる。おまけに最後のひとりがきっちりと王座の間へと続く扉を閉ざし、全員がその前に立ちはだかった。
俺はナイフを抜いて軽口を叩く。
「言うまでもなかったな」
「だからそう言ったろ?」
やつらは無言で一斉に剣を抜くと、その切っ先を俺たちへと向けた。
「……?」
だが妙だ。
先ほどまでの騎士らとは違い、殺気をまるで感じない。俺には彼らが人形のように思えてくる。あるいはゴーレムか。
「ダニエル、公爵閣下のご威光でどうにか退いてもらうわけにゃいかねえのか? 位はあんたの方が遙かに上だろ?」
ダニエルが肩をすくめた。
「彼らは王の直属だ。ガディ以外の誰の命にも従わない。それにもう、個人としての意思はないだろうからね」
「意思がない……?」
「リーリクードの花に肉体を冒された、ガディの傀儡だ」
あ……?
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