第22話 そんな罪まで被るつもりなの。
気を失った衛兵の腰に吊されていた鍵束を奪い、俺は塔を駆け上がる。二階の牢には、見るからに凶悪そうな顔面をしたオッサンどもがいた。
「飯はまだかよ、看守ゥ! あ? 看守……?」
「誰だこいつ?」
「おい、こいつ、看守の鍵束を持ってるぜ!」
「てめえここ開けろォォォォ!」
ひげ面のオーガのような男が、格子の隙間から丸太のような腕を伸ばしてきた。別のやつなんて格子をつかんで壊さんばかりに揺らしている。
「開けろ開けろ開けろけろけろけろひゃひゃひゃ」
うわぁ……。
怖かったから目を合わさずにスタコラ通り過ぎてやった。
「待てこらぁ! 開けねえとぶっ殺すぞてめえ! ツラ覚えたからなァ! 釈放されたら真っ先に、てめえとてめえの家族をぶっ殺しにいってやる!」
ひぇ……。強面は苦手だ……。
だがそのひげ面を羽交い締めにして、慌てて他の男が格子から引き剥がした。
「おい、やめろ! よく見ろ、そいつの格好を。仮面に長衣だ。誰に言ってんのかわかってんのか。 殺されちまうのはおまえの方だ」
「は? へ? ……あ……! も、もしかして、おまえ――いや、あなたは、か、か、“影”なのか!?」
俺はゆっくりと振り返った。
ひげ面がマヌケ面へと変化する。顔面蒼白だ。
ここぞとばかりに俺は強気に出る。
「ああ。先ほどおまえは釈放されたら、と言ったな。まだおまえに死罪の判決が下っていないのなら、少しおとなしくしておいた方がいい。でなければ、いますぐにここで死ぬことになる」
「ひ……」
ひげ面が腰を抜かした。
牢を揺らしていた男は、いつの間にか牢の奥へと引っ込んで小さく丸まり隠れている。ひげ面を羽交い締めにした男が、ぽつりと漏らした。
「なんてやつだ。王城の監獄塔にまで暗殺に入ってくるとは……」
ちょっと違うんだけどね。だが、それはまあいい。
「こんなところにぶち込まれてるおまえたちとて、同じようなものだろう」
「違うね。俺たちは山賊だが、ただの小悪党だ。あんたと違って、人を殺したりはしていない」
「……」
「王都近隣の村はどこもガディ・イスパルの圧政により苦しんでいる。郊外の村はもはやスラムと変わらない。だから山賊行為を働かざるを得なかった。それだけだ」
そんな凶悪な顔面してて!?
さっきはそこのひげ面が、俺と俺の家族とやらをぶっ殺すと言ってたくせに。
俺がひげ面を睨むと、そいつは照れくさそうに後頭部を掻いた。
「へ、へへ。実は俺っち、ただの農民でして」
「……この野郎」
びびらせやがって!
「す、すいやせん! どうか、どうか暗殺だけは!」
「依頼もきてねえのに殺すわけないだろ。まあいい」
俺は幾分冷静そうな、ひげ面を羽交い締めにした囚人に尋ねる。
「ところで、ここに少女が連れてこられなかったか?」
「いや、俺は知らない。さっきも言ったが、俺たちはただの山賊団を装う農民だ。監獄塔は上にいくほど身分が上がり、同時に機密が強くなっていく。俺たちは最下層だ。ここより上に何者が囚われているかはわからない」
違うね。最下層はスラムの民だ。
犯罪が露見した瞬間、逮捕どころか無条件に斬って捨てられるのだから。最初から存在しない扱いであるスラムの民がひとりふたり消えたところで、イスパル家にはなんの関係もないのさ。
むしろ牢に捕らえて飯を与える方が無駄だとまで考えている。
だが、郊外の村の民にそんなことを言ったって仕方がない。
「そうか。わかった。感謝する」
続けて、俺は男に告げる。鍵束を持ち上げて。
「だが、おまえたちをここから出すことはできない」
こいつらは根っからの悪党ではなく、国王ガディ・イスパルの犠牲者だ。本来ならこんなところにいるべき人々じゃあない。それでもだ。
男はうなずく。
「わかってる。さっきは何も考えてないうちのバカが好き勝手わめいていたが、俺たちがここを脱走すれば村が家族ごと灼かれるだけだ」
「ああ。加えて、監獄塔はいま騎士らに取り囲まれている。逃げ切ることはできない。むろん、俺以外はだが」
男が再びうなずいた。
「ありがとう、“影”。あんた、暗殺者には向いてなさそうだ。畑でも耕してみるといい。きっと気持ちがいいぞ」
「……かもしれないな。おまえらも山賊には向いていない。もうやめておけ。きっとグラント王国を出た方がマシだ」
「褒め言葉として受け取るよ」
去り際、俺はふと立ち止まる。
「そうだ。一月ほどこの牢で待ってりゃ、もしかしたら恩赦が下るかもな」
「それは一体どういう……」
「新国王の戴冠時には、死罪の適用者でなければ恩赦が下る。罪の軽減だ。誰も殺していないなら、おまえたちは解放される可能性が高い」
「新国王? ……まさか、あんたの暗殺対象って……!」
振り返り、俺は唇の上に人差し指を立てる。
その先は口に出してはならない。共犯者はもちろん、計画を知って黙っていた者も、追われる身になるからだ。
「あんたがこの圧政の時代を終わらせてくれるのか!? 暗殺者“王都の影”が!?」
「さてなあ。まあ、なんにせよ。もうちょいとおとなしくしとくことをおすすめする」
立ち去りかけた俺に、男の声が追ってきた。
「ヨゼフだ! ログ村のヨゼフ! 俺の名を覚えておいてくれ! あんたがもし時代を変えることに成功して、自分も新しい人生を歩みたいと思ったなら、そのときは暗殺者ではなく、ひとりの人間として村を尋ねてくれ! 向いていないことなどお互い投げ出して、それで……」
「……」
「……ともに畑を耕さないか?」
その言葉が染みた。バカみたいに染みこんだ。ぐずぐずの暗闇に沈みいく俺を、引き上げようとしてくれる手だ。眉間に熱がこもるくらい、嬉しかった。
野菜を収穫して喜んでるリサの表情が浮かぶ。土の匂いなら、こびりついた血のニオイも消せるような気がした。
「……」
「案外、悪くないもんだよ。何かを育てるってことは」
でも、返事はできねえや。俺はヨゼフたちとは違う。そんなことが赦されるわけがないのだから。
だから、その場から逃げるように走り出した。三階の牢を走りながら覗いていく。主にぶち込まれているのは王都の平民らしく、先ほどのように大騒ぎするやつらはあまりいない。うつろな瞳で走る俺を見るだけだ。
だが、端から端まで見回してもリサの姿はなかった。
四階牢。下級貴族どもだ。
牢というより、質素ではあるが生活が十分にできる立派な部屋だ。宿屋に似ている。しかも郊外民や平民の牢とは違い、格子の向こうには個室が用意されている。
リサはいなかった。
五階牢。順当にいけば中級貴族の牢にあたるのだろうが、無人だ。平民やスラムの民よりよほどあくどいことをしているのに、滅多なことじゃ逮捕なんざされねえんだ。ガディ・イスパルは貴族に甘い。
不安が胸に湧き上がる。
残るは最上階の牢のみだ。無人であったならどうしようと、そんなことばかり考えてしまう。それでも足を止めるわけにはいかない。いつ、監獄塔の扉が破壊されるかもわからない。急がなければ。
俺は階段を走って上がっていく。
ぼんやりと、暗闇に光が広がった。六階から漏れる魔導灯の白い光だ。
誰かいる!
「リサ……?」
足を速める。階段に躓くが、手をついてすぐに体勢を戻し、数段飛ばしで駆け上がった。
「リサ……リサ……リサ……ッ」
三段、二段、一段、飛んで光に張り付くように、俺は格子を両手でつかんだ。
「リサ!」
だが。
そこにいたのは、椅子に腰を下ろして本を読んでいる中年男だった。
丁寧に整えられた髭は威厳を保ち、生命力に満ちた全身や穏やかな眼差しからは、生来の気品さえ感じ取れる。
身なりなど囚人とは到底思えない。
丈長のサーコートにはいくつもの装飾が施されているが、大多数の貴族どものそれとは違い、決して下品には見えない。
六階の牢は三つだけ。他の二つには誰も入っていないし、この牢にはこの男だけだった。
いない……のか……。
だとすれば……どこだ……。
絶望に、肉体が重くなった気がした。
俺はうなだれる。
まだだ。まだ諦めるな。別の場所を探すんだ。
そんな俺を見るように、男は静かに眼差しを上げた。
「どなたかね? ああ、いや、あててみせよう。“王都の影”だ」
「…………仮面に長衣だからな。他にはいないだろうよ」
「はは、そうだな」
男は楽しそうに微笑み、開いていた本をパタンと閉じた。魔導書だ。
妙に艶のある男だった。何やらいい匂いまでしやがる。オッサンの分際で。俺なんてヤニと加齢臭が消えねえんだぞ。あと血のニオイもな。
「ならば、さては私の暗殺でも請け負ったのかな。ふむ。だとするならば依頼人はさしずめ――」
「請け負っていない。人違いだ」
イラ立ち、吐き捨てる。
少なくとも牢に入れられている貴族を殺してくれ、などという依頼は請けていないし、こんなやつのおしゃべりに付き合っている時間もない。
そう思い、立ち去ろうとしたが、男は構わず続けた。
「依頼人は、ガディかな?」
その言葉が俺の足を止める。
「……なぜそう思う?」
「私がイスパル家の圧政に口を出したからさ」
「あんた、誰だ?」
「ああ、挨拶が遅れたね」
男が立ち上がり、格子の向こう側の俺へと向けて恭しく礼をする。
「ダニエル・ファン・ヘルデン。公爵だ。ガディの従兄弟だよ。といっても、ガディは私よりも四十近くは上だけれどね」
ヘルデン公爵家は王侯の血を色濃く次ぐ名家だ。
上級貴族の中でも最も王家に近しく、執政の中心でもある。つまりは圧政を敷く側の人間だということだ。
そんなやつがどうして牢獄に閉じ込められているんだ。いや、どうしてもこうしても、ガディ・イスパルに意見をしたとさっき自ら言っていたか。だとするなら、圧政はヘルデン公爵家ではなく、イスパル王家の所業ということになる。
悲壮感とは皆無の表情で、男は格子の隙間から手を出してきた。
「気軽にダニエルと呼んでくれたまえ。“王都の影”くん」
警戒しながら、俺はその手を観察する。毒針のような仕込みもなさそうだ。
手を取った。握手を交わして互いに放す。本当にただの握手だった。
「有名な暗殺者に会えるとは、私は運がいい。じっくりと話を聞きたいところだ」
「悪いが、あまり付き合っている時間はない。少女を捜している。プラチナ――」
「クラリッサのことかね」
「あんた、リサを知っているのか!?」
「ああ。ガディが彼女にしようとしていることもだ。実におろかだと思うよ。私はね。ガディの夢は叶わない。そもそも不老不死にも大いなる力にも、美を感じられない」
俺は格子から牢へと手を入れて、ダニエルのサーコートの胸ぐらを両手でつかんだ。
「どうでもいい! 教えてくれ! リサ――クラリッサはいまどこにいる!?」
「……今日なのかね?」
「そうだ!」
おそらくクラリッサが喰われる日のことだろう。
ダニエルが顔をしかめる。
「ひとつ問いたい。“影”、キミは何らかの理由があってクラリッサを救うためにここにきたのだろうが、そこらへんの関係性はどうでもいい。そのとき暗殺者であるキミは、ガディをどうするつもりなのか。それだけ教えてくれないか」
どう答えるべきだ? どう答えれば、こいつはリサの居場所を教えてくれるんだ? 迷ってる場合じゃない。
俺はきっぱりと言い切る。
「………………殺す。身元は明かせないが、依頼があった。国王ガディ・イスパルを殺せという依頼だ。だがそれを抜きにしても、俺自身、人喰いのバケモンにかける情けはないと思ってる」
「数百の命を喰らったキミがかね?」
「……ああ。俺は自身のことも赦せない。だが、王に逆らったあんたは別だろ」
どこか戯けたような表情の男が、鋭い視線で俺を見ている。見定めようとしている。
言葉を誤ってはならない。一言たりともだ。
「あんたにまだ正義があるのなら、ガディというバケモンに対して“王都の影”というバケモンをぶつけるだけとでも考えてくれ。……王殺しの罪は俺が持っていく」
グラント王国はあまりに歪みすぎている。その元凶を叩く必要がある。
ダニエルが俺の手を払いのけ、襟元をただした。
そうして微笑む。
「いいだろう。手を貸そう。この牢を開けたまえ」
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