第21話 ねずみのように逃げ回る。
騎士たちのけたたましい足音が近づいてくる。
後ろには逃げられない。だからといって、いまさら中庭に戻る選択肢はなおさらない。だが隠れられる部屋はない。覗き窓の部屋になど隠れてしまったら袋のネズミだ。
「しゃあねえ。隠密はここまでか」
俺は長衣の下に手を入れて、腰から二本のナイフを抜いた。少し迷って、腰に吊した麻痺毒の瓶に切っ先を浸す。
狙いはあくまでも国王ガディ・イスパルのみだ。騎士たちはなるべくなら殺したくはない。皮膚や肉を薄く裂いて、可能な限り昏倒させる。
俺はフレクルたちを振り返った。
「フレクル、仲間を連れてさっさと逃げろ。いまならまだ引き返せる。なんのお宝を狙ってるかは知らんが、盗みのために命を捨てるのはもったいない」
「はあ? あんたが命令すんな」
す~ぐ噛みつく。躾のなってねえ犬だ。
まあ好きにすりゃいい。世の中から高額賞金首が三つ減るだけのことだ。賞金稼ぎヴァン・クロフトとしてはそれも少し惜しいが、かまっていられる状況じゃない。
いまの俺は、暗殺者だ。
俺は彼女らの存在を一旦脳裏から消した。
右目だけを閉じ、騎士どもの足音の響く方へと、ゆっくりと進む。廊下の壁に数歩起きに設置された魔導灯のスイッチをひねって消しながらだ。
俺の通った道はすべて、闇に呑まれていく。女盗賊団の姿もだ。城内には月光は届かず、ほとんど何も見えなくなる。
足音がかなり近づいた。
当然まだ進行方向は明るい。だが、こういうときには道々で長衣のポケットに詰めてきた小石が役立つ。
俺は小石を取り出して、進行方向にある魔導灯へとぶつけて破壊していく。光の範囲が闇に掻き消される。そこに先頭の騎士が踏み込んだ。
「暗いぞ、どうなってる!?」
「知らん! 誰か手持ちの灯りを持ってこい! 急げ!」
「おいッ!? おまえの足下――ッ」
体勢を低くして待っていた俺は、先頭の騎士の喉へと刃を滑らせる。意図して浅く。太い血管は破らぬように。
ひゅっ、と風切り音がした直後、喉元を両手で押さえた先頭の騎士が膝から崩れ落ちた。二番目の騎士と目が合った俺は、闇に変えた通路へとバックステップで戻る。
「いたぞ! テシーが殺られた! 喇叭を――」
振り返って叫んだそいつの首を背後からつかみ、闇へと引きずり込んで絞め落とした。仲間を追って闇へと踏み込んで来た騎士の鎧の継ぎ目へと刃を入れ、昏倒させる。
いいぞ。城内には固定式の魔導灯が設置されているからか、やつらは手持ちの灯りを持っていないらしい。
“影”としては実に都合のいい話だ。
「クソ! 賊風情がァ!」
次のやつは剣を抜いて走り込んできた。
闇の中でデタラメに振り回すが、そんなもんにあたるようじゃ二流だ。
「うおおおおおおおおっ! どこだッ!? どこにいるッ!? 正々堂々と勝負しろ!」
いやいや。するわけないだろ。
暗殺者を相手に何を言っているのか、このぼんくら騎士は。
「……」
俺は静かにそいつの脇を抜けて背中を取り、背後から喉を挽いた。あっという間に毒が回って、すぐに膝から崩れ落ちる。
これで三名。まだ進行方向には山ほど詰めかけている。気が遠くなるね。
だが、やつらに俺の姿は見えない。一方俺は、光の中では左目のみで、闇の中では右目のみを開くだけで、どちらも見渡せる。
やつらの目が届かないであろうギリギリのラインで、俺はまた小石を取り出して、壁の固定式魔導灯へと投げつけた。
「うおっ!?」
騎士が驚いて悲鳴を上げる。けたたましい音がして光が後退し、闇がまた勢いを増した。
これで少し進める。それでも、こんな小手先でどこまで行けるか。この一本道の廊下にいる限り、俺が追い詰められていくのは時間の問題だ。手持ちの魔導灯を携えた騎士らがやってくるまで、そういくらもないだろう。
喇叭が鳴ったのは、そのときだった。
だめか。ここを中央突破するのは不可能だ。
となると。
俺は長衣を翻して闇の中へと戻っていく。盗賊団はすでに逃げたのか、姿がなかった。突然、背後から白い光が迫った。
手持ちの魔導灯だ。つまり新手が来たらしい。
「……早ええな……」
その光に照らされる前に俺は脇道のような階段を駆け上がり、先ほど侵入した部屋に駆け込んだ。
覗き窓の部屋だ。そこに入って扉を閉じ、麻痺毒で昏倒している二名の門衛を引きずって、扉の前に椅子やテーブルと一緒に置いた。
ただの時間稼ぎだ。
覗き窓から降りれば中庭へと戻れる。だが、わざわざ来た道を戻る気はない。
俺は木の窓枠に足を掛け、地面ではなく夜の星空を見上げた。ここから屋根に抜ける。手が掛かりそうな部分はない……が、右手のナイフを覗き窓の部屋外部の壁へと突き立てる。
この部屋は石造りじゃなく、木造だ。おそらく侵入者を監視するために増設された部分なのだろう。
これなら先ほどと同じようにナイフを使えば登れる。すでに残り四本だが、迷ってる時間はない。
「……!」
ガン、と扉が鳴った。重しにした昏倒中の門衛の肉体が床を滑ってわずかにずれる。微かに扉が開いていて、その隙間からは白い光が覗いていた。
時間がねえ。
突き立てたナイフを足場にして跳躍し、左手のナイフをさらに上の壁へと突き立てる。見渡しのよい高さに設置された覗き窓の部屋の屋根に登るのはちょいと無理だが、内壁の一番低くなっているところになら飛び移れそうだ。
「頼むぜ……」
ナイフ一本でぶら下がり、思いっきり足を前後に振る。
けたたましい音が響いて部屋の扉が破られた瞬間、俺は突き立てたナイフから手を放し、足を振った反動で宙を舞っていた。
空を掻いて走り、どうにか内壁に両手を掛ける。あとはよじ登るだけだ。
ナイフを二本失ったのは痛いが、まあ仕方がない。靴裏で壁をひっかくように登ると、そのすぐあとにクロスボウの矢が突き刺さった。
だが間一髪、どうにか逃げ切れた。
「くそ! なんて身軽なやつだ。人間業じゃないぞ」
「おまえ、跳んで追いかけろ」
「あんなんできるわけないでしょうが!」
「急いで引き返せ! 内壁だ!」
そんな声を聞きながら、俺は内壁に並べられた設置型バリスタの隙間を縫うように走った。先ほど喇叭が鳴ったせいか、ここらの騎士の大半が階下にある廊下に駆けつけたようだ。
ちらほらと騎士の姿が残ってはいるが、単身なら――!
「うわっ、なんだッ!? 誰だ貴さ――」
闇から疾風のように飛び出して、俺は麻痺毒を染みこませた刃を内壁の騎士へと振るった。鎧の継ぎ目に入った刃は騎士の肉体を浅く引っ掻き、毒がすぐさま彼の肉体の自由を奪う。
「う……、卑怯者……め……っ」
「悪いね。急いでんだ」
別の騎士が背後から足音を忍ばせて迫っていることには気づいている。隠密が素人丸出しだ。昏倒寸前の騎士が言葉で俺の気を引こうとしていたようだが、不意打ちはこちらの専売特許。
頭上から振り下ろされた剣を、振り返りざまにナイフで弾いて逸らせ、もう片方の手に持つナイフで手甲の隙間を斬り裂く。
そいつが麻痺毒で崩れ落ちるのを確認することなく、俺はすでに走り出していた。風を切って何かが飛来する音がしていたからだ。
「~~っ!!」
トトト、と音がして矢が地面に突き刺さりながら追ってくる。
試したことはないが、さすがにクロスボウの矢は金属糸の長衣でも防げないだろう。仮に防げたとしても、俺の骨や内臓が衝撃でいかれちまいそうだ。
「うひぃ、勘弁してくれ……!」
内壁に並ぶバリスタでもぶちかましてやりたいところだが、足を止めたら俺の肉体は穴あきチーズのようになってしまいそうで。
前から剣を抜いて迫った騎士を麻痺毒のナイフで切って躱し、俺は内壁を駆け抜けて塔へと続く扉を乱暴に開けた。
「ちょいと失礼する」
「な――っ!? だ、誰だ!?」
驚く衛兵を尻目に後ろ手で鉄扉を閉ざし、内側から素早く閂を掛ける。この扉はそうそう簡単には破られない。
なぜならここは囚人塔だからだ。ここには囚われの者が収監されている牢が無数にある。上にいくほどに、高貴な身分の犯罪者になっていくんだ。
囚われの聖女さまは、さしずめ最上階だろうか。
すぐに鉄扉が叩かれる剣呑な音が響き始めた。鉄扉が揺れている。
だがまあ、外から破ることはできないだろう。それこそ攻城兵器でも持ち出さない限りはだが。
衛兵が剣を抜いた。
「き、貴様、その仮面、その長衣……。ま、まさか……侵入者って……」
「ああ、初めまして。“王都の影”だ。――それと知って殺り合うか?」
俺はナイフを手先でくるくると回す。
狂った笑みで刃でもレロレロと舐めてやりゃあ脅しの効果も抜群なんだろうが、残念ながらそういった趣味は俺にはない。
だが、賞金額とネームバリューは抜群だ。だから切っ先をちょいと向けてやるだけで。
「う、うう……」
気の弱そうな男だ。
元々二人一組だったのだろう。椅子が二つ用意されている。だが、もうひとりは喇叭の音に釣られて飛び出していったようだ。
周囲に仲間の目がなかったためか、彼はあっさりと剣を足下へと落とし、両手を頭上に置いた。
「て、抵抗はしない……。だから、た、助けて……」
こういう臆病なやつは騎士には向いていない。だが暗殺者には向いているのかもな。
「なら教えろ。ここに少女が収監されなかったか? 昨日、もしくは一昨日の話だ。プラチナブロンドの美しい髪をしている」
衛兵が凄まじい勢いで首を左右に振る。
「わ、わからない。僕は今日初めてこの任務についたからっ。ほ、本当だ。ここを誰も通さないことが仕事なんだっ」
「落ち着いて、水でも飲むといい」
俺は木造の小さなテーブルの上にあったジョッキに、麻痺毒を一滴落とした。衛兵の顔が恐怖に引き攣る。
かまわず、俺はジョッキを手に取って衛兵に差し出した。
「い、嫌だ……。の、喉は、喉は渇いてないんだ……」
「大丈夫だ。致死毒じゃあない。だが明日までは動けないし、眠れば朝がくるまでは目覚めない。飲め」
ガタガタと震えている青年へと、俺はジョッキを押しつける。
外からは鉄扉を叩き続ける音が響いているものの、開く気配はなさそうだ。
俺は言葉を続ける。
「それとも、ナイフで永眠するか。選ばせてやる」
「う、うう……うううううあああああああっ!」
一瞬、殺気が膨れ上がった。
「~~っ!」
舌打ちをしてとっさに膝を曲げた俺だったが、青年は俺からジョッキをふんだくると、一息に麻痺毒の入った水を、大粒の涙をこぼしながら煽った。
「……」
「……」
数瞬の後、白目を剥いて膝から崩れ落ちる。
ぐったりと伸びてしまったその姿に、俺は言葉を吐き捨てた。
「ふ、ふつうに飲めよ! びっくりしただろ!」
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