第19話 どうしてそんなに不運なの。
夜の貴族街を物陰に隠れながら走る。足音を殺し、月光から逃れるように、闇から闇へと飛び移りながら。平民街とは違って街灯が多いため、なかなかに苦労する。
見回り騎士の数も、平民街の比じゃあない。街灯以外の白い光を察知した瞬間、俺は物陰に身を潜める。やつらが通り過ぎるまで。
時間だけが経過していく。
それでも、あの迷宮のような鉄格子だらけの地下隧道を進むよりは遙かに早い。すでに視線を上げれば王城が聳え立っているのだから。
そもそも、地上に出さえすれば早く到達できることはわかってたんだ。安全性の面でも逃げ場のない地下よりは地上の方が遙かにマシだ。
ならばなぜ、俺が地下からの侵入にこだわったか、だが。
「……」
王城の周囲には堀があり、底まで透き通るほど澄んだ水が流れている。
さらに、何らかの方法で堀を越えても、そこそこ高い城壁によって王城は取り囲まれている。
これを越える算段がなかったからだ。
当然、橋は架かっているが、こちらも当然、日夜問わず門衛の騎士が二名立っている。その横には詰め所があり、さらに数名の騎士たちが仮眠を取りながら待機しているんだ。やつらの腰には喇叭が吊されている。
殺して進むことは簡単だが、あれを吹かれたら台無しだ。
方法としては音を立てず静かに堀に降りて、水の中を泳ぎ、王城側に這い上がって、最後に城壁をどうにかして越える。
無理だろ……。
しゃあねえ。門番から殺るか。投げナイフで立っている二名を殺すか麻痺させ、その後に詰め所を全滅させる。
あ~、ヤダなあ。
失敗しそう。
そんなことを考えながら王城の周囲の陰を伝いながら眺めて回っていると、透明な何かに躓いて俺は顔面からすっ転がった。
「うぇッ!? ……痛ぅ~……なぁんだよ、もう……」
鼻を押さえて振り返る。地面には何もない。
だが。腕を伸ばすと、何かをつかめた。糸だ。金属糸。カケイのクナイに結ばれていたものや、俺の長衣を構成する特殊な糸と同じもの。
そいつを手で伝うと、驚くべきことに堀を越えて王城側へと繋がっていた。
「……罠……じゃねえよな……。……俺以外に誰か侵入を試みているやつがいるってことか……?」
偶然……か? それともカケイがやったのか……?
だがなんにせよ時間がない。ここは利用しない手はないだろう。
金属糸ならば、俺の体重をかけても切れることはないはずだ。
綱渡りならぬ、糸渡りだ。慎重に靴裏を見えない糸の上に置く。ギッと音がして、糸が微かに沈んだ。下は堀だ。落ちりゃ水音が鳴って見回り騎士が駆けつけてくる。
一歩目。慎重に。慎重に。嫌な予感しかしねえけど。
二歩目を糸の上に踏み出した瞬間、あっという間に俺の世界は回転した。
「やっぱりねっ!?」
渡れるかっ!! 糸だぞ! サーカス団の芸人だって無理だわ! アホか!
俺はかろうじて両手両足で糸にしがみつき、丸焼きにされる子豚のように空中にぶら下がっていた。無様だ。
「……このまま行こ……」
逆さに夜空を見上げながら、尺取り虫のように糸を這う。両腕を動かして、次に両足を動かす。超一流暗殺者の俺ともあろうものが、情けなくなってきた。
けれどどうにか対岸にたどり着くことはできた。
俺は考える。
糸を張るやつは堀を泳ぐ必要がある。堀を泳いだやつは侵入できない。水に濡れたまま忍び込めば、足が着くからだ。
てことは、糸をかけたやつらは複数犯だ。
王城に忍び込もうなんざ、どこの身の程知らずかは知らんが、助かったぜ。
あとは城壁を越えるだけだが、こっちは問題ないだろう。堀に糸をかけた誰かさんは必ず侵入口を用意したはずだ。それを探して通ればいい。近くにあるはずだ。
「お……」
城壁周囲を調べるまでもなく、生い茂った草に隠された穴を発見した。人ひとりがどうにか這って進めるような狭さの穴だ。城壁の下をくぐれる長さ――なのだろう。
周囲を警戒しながら、俺は穴へと頭から入る。服が汚れることでも嫌ったのか、ご丁寧に布まで敷いてくれている。快適快適。
穴から顔を出したところはもう、王城の中庭だった。
「いいぞ、どうやら今日はツイているらしい」
その俺の喉元に、冷たい刃が添えられる。
前言撤回……。
俺はうめいた。
「……お呼びじゃなさそうなんで、やっぱ帰るわ……」
戻ろうとして穴に頭を引っ込めかけた俺の髪をムンズとつかみ、そいつは俺の頭を引きずり出すようにして、強引に視線を合わせた。
痛い痛い! ハゲちゃう!
髪の心配をしている場合じゃない。喉に当てられたナイフをすぅっと引かれたら、儚い俺の命は花と散る。
俺の髪をつかんだまま、そいつは口を開いた。
「誰だい、あんた?」
俺は視線を左右に泳がせる。騎士どもじゃない。
女だ。女ばかりが三名立っている。どいつもこいつも肉体のラインがきっちりと浮かび上がるような、ピチピチの服装をしている。
これは……痴女だ。
違うか。
うちひとりの顔を見て、俺は目を見開いた。
あいつだ。リサの下着を買いに出かけたときに発見した賞金首。女盗賊団レッドバルーンの幹部がいる。
マヌケな俺は、思わずつぶやいてしまっていた。
「ふうせん……ッ!?」
「その仮面。まさかあんた、“王都の影”なの!?」
互いの正体が割れた瞬間、隙が生まれた。
「――ッ!」
俺は喉元にあてられていた女幹部のナイフを噛んで奪い取ると、足で穴の奥を掻くように蹴って一気に転がり出る。
黒い長衣が翻った。
「な――っ!?」
「こいつ!」
ふうせんの三名が同時にナイフを抜いた。
俺は咥えたナイフを自らの右手の中へと落とし、壁を背にして膝を微かに曲げる。
三対一。それでも。
ふうせんの三名は怖じたらしく、じりと後退した。
そりゃそうだ。やつらは盗みや強奪の専門で、俺は殺しの専門。こうなった以上、分が悪いのは彼女らの方だ。
だが。それでも。
意を決したように女のひとりが踏み込んできて、俺の喉元へとナイフを薙ぎ払った。危なげなく、俺はそれをかいくぐって避ける。
弾き返して隙を強引に作り出してやってもよかったが、剣劇の音を響かせるわけにゃいかない。それに、弾き返さなくても、回避の瞬間に腹でも裂いてやりゃあ勝負は決まる。
けれどそうはせず、右手の人差し指と中指を合わせ、ナイフの刃のように彼女の脇腹をなぞった。
「なんのつもり……!?」
ひゅ、ひゅ、と何度もナイフの銀閃が闇を走る。
そのすべて躱して、俺は指先で彼女の肉体をなぞる。決してスケベ心を出したわけではない。そらもう色々なぞったが。
「この――ッ」
“影”には敵わないと、知らしめるためだ。
何度も、何度も、俺は指先のナイフで彼女を刻む。
「バカにして……!」
喉をなぞり、背をなぞり。他のふたりが参戦してきても、刃は使わない。指で次々と彼女らを斬る。
やがてひとりあたり十回ずつは殺したと思われる頃、息を荒らげた彼女らは、ようやくその動きを止めた。
諦めたようだ。
そいつを見計らって、俺は静かに告げた。
「虚仮にしたわけじゃない。交渉がしたい」
「は……?」
濃いブラウンの髪の女が眉根を潜める。
他のふたりは、この女の様子をうかがっている。彼女がボスだろう。三流の仲間を連れてると、目線を追うだけですぐにわかるもんだ。
俺は彼女に向き直った。
「察しの通り俺は暗殺者の“影”だ。ここでやり合ってもあんたらに勝ち目はないし、俺も王城まで忍び込んだ目的を失うだけだ。だから刃を収めてくれ。殺し合いは無益だ。依頼なき者を屠るのは、こちらとしても気が進まない」
俺にとっちゃこいつらを殺すことは簡単だ。いまのように、切っ先を下げた状態からでもだ。それこそ音を響かせることなく、数呼吸で喉を裂ける。
彼女らに俺を殺せる機会があったとしたら、阿呆のように穴からマヌケ面を出してた瞬間だけだったのさ。あいにく殺られちまったのは毛根数本のみだ。
「……」
「おまえさんたちだって、何かを盗むために侵入したんだろ。ここで争ってその物音を騎士どもに気づかれたら、計画が破綻するだけだ。違うか?」
ブラウンの髪の女が片手を挙げた。他のふたりがナイフを収める。
よく見りゃ結構若いな。こいつが団長だろうか。スレンダーで長身だ。
美人だなあ。なんで盗賊なんぞやってんだ。
「“影”、あんたの目的は?」
「知る必要があるか? 俺は暗殺者だ。少なくとも盗賊じゃない。互いの獲物がかぶるようなことはないだろうよ」
「ふぅん……。誰かを殺しにきたってわけ」
ガディ・イスパルだとは夢にも思わないだろうな。ま、それ以上にリサの奪還が目的だが。
正直に教えてやる義理はないか。
「……そういうわけで、こっからは別行動だ。じゃあな」
立ち去りかけた俺の背中に声が掛かった。
「待ちな。うちらが用意した侵入ルートの使用料を貰ってないね」
「やめときな、お嬢ちゃん。暗殺者相手に欲張ると、代償が高くつくだけだ」
「……っ」
とはいえ、確かにありゃ助かったな。
せっかく手に入れたナイフだが。
「これで勘弁してくれよ」
俺は奪ったナイフを掌で回転させ、指先で刃をつかんでブラウン髪の女へと投げた。彼女は器用に柄をつかんで、自らの鞘へとナイフを収める。
女が不満そうに鼻を鳴らした。
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