第18話 これでも恋バナの主人公。
リサは――クラリッサは俺の正体を知っていた。当然だ。出逢いが旧暗殺者ギルド内だったのだから。ヴァン・クロフトが“王都の影”であると知りながら、あいつは俺に助けを求めることなく自ら消えた。
そのことに腹が立つ。
同時に、リサの初恋相手の、“ちょっと悪い人”についても察しがついた。
三十路の頃の俺だ。おそらく先代マスターの手からクラリッサを救い出したことが、その切っ掛けとなっていたのだろう。
ちょっとどころじゃないだろ。極悪人だよ、当時の俺は。
なのに、「ろくな人生を歩んでいない」と、俺が昔の俺を揶揄したとき、リサは本気で怒った。 怒ってくれたんだよ。俺のために、俺を叱ったんだ。俺の正体を知りながら。
「……バカたれ……」
敵は教会じゃなかった。狂っちまったグラント王国の国王だ。カケイに会わずに先に教会に乗り込んでいたら、リサの奪還計画は失敗していたところだ。
スラムを訪れて本当によかった。
相変わらず俺にとっちゃ嫌いな場所で、なんの愛着もないが。
辺りを見回しながら歩く。
俺を売り飛ばした親も、まだどこかで生きてんのかもしれねえな。弟妹たちはどうなったろうか。売られてなきゃいいが。
そんなことを考えながら、俺はスラムの外壁際までやってきた。スラム全土に漂う異臭が、さらに色濃く立ちこめている。
ゴミ捨て場だ。
定期的に焼いているから、地面は焦げ焦げになっている。ゴミも、ヒトも、何もかも焼いて捨てる。ここじゃ埋葬なんてできない。
周囲に誰もいないことを確認しながら俺は偽装しておいた瓦礫を掻き分け、現れた鉄扉を引いて地下の小部屋へと身を滑り込ませた。
“影”のアジトの一つだ。スラムに二カ所、平民街に三カ所造っている。
紙たばこの先からランプに火を灯し、暗い部屋を見回す。
「……さすがに荒らされてねえな」
暗殺者ギルドの足下であれば、かえって見つかりにくいだろうし、王都においてゴミ溜めのようなスラムでも、さらにそのゴミ捨て場に好き好んで近づくようなやつは少ないだろうと思って造った――のだが、スラムに戻るのが嫌で、結局ほとんど使わなかった場所だ。
部屋に入るまでが臭えしな。
長衣の下、腰に巻き付けた鞘を外し、棚から特製の鞘を取り出す。五本のナイフを収められる鞘ベルトだ。そこに一本ずつ、ナイフを挿していく。錆びたり、劣化したりしていないか、慎重に確かめながら。
教会ならトップを暗殺するくらい容易いが、国王となれば話は別だ。やつの側には常に近衛騎士団が控えている。一騎当千と言われる騎士どもだ。
暗器使いのカケイの真似事じゃあないが、武器は多いほどいいだろう。まともにやり合う気はさらさらないが。
同じ棚から液体の入った瓶を取り出して、それも鞘ベルトを通して右の腰に吊す。毒だ。致死毒ではなく、麻痺毒だがね。ないよりマシだ。
左の腰には小さなランタンを吊した。ランプとは違って持ち運びに便利だ。やや値が張る。
「さて……」
準備は終わった。まだ少し時間がある。
グラントの王都は、中心に王族貴族街があり、それを囲むような形で円状の平民街がある。さらに平民街を取り囲むようにスラム、そして外壁が造られている。
これは外敵から王族貴族どもが身を守るためだ。スラムで抵抗させ、平民に抵抗させ、最後に弱った敵と貴族が戦う。そんなふざけたコンセプトで造られた城塞都市なんだ。だが、だからこそ、円を縦に突っ切れば貴族街まですぐにたどり着けちまう。
明るいうちに貴族街に入っても、見回り騎士につまみ出されるだけだ。ましてやナイフの所持が判明した場合には、最悪、牢屋行きだ。
実行は日が暮れてからだ。少し休もうか。
※
夕暮れの平民街を歩く。
繁華街の手前、歓楽街へと。歓楽街が目覚めるのは、日が暮れてからだ。この時間帯ではまだ少し早いが、その方が都合がいい。
俺は用水路脇の細い通路へと飛び降りる。
ここは数日前、カケイと遭遇したアジトの近くだ。そのまま用水路の隧道に入り、けれどもアジトにはよらずにその前を通過した。
平民街とスラムの境界線となっている舗装されていない用水路とは違い、貴族街と平民街を分ける用水路には透き通った水が流れている。貴族も平民も、この水を利用しているからだ。
それはつまり、この用水路は平民街はもちろんのこと、貴族街の地下にも張り巡らされているということだ。
むろん、通路は繋がっていても境界線には鉄格子があるのだが。
俺は境界線の鉄格子を両手でつかみ、力を込めた。パキン、と音がして格子はあっさりと外れた。
“影”としての仕事には、悪徳貴族の暗殺も含まれる。いや、むしろ結構そういう類の依頼は多いんだ。貴族のやつらは平民以下を人間として見てはいないからな。当然、俺は貴族街入りが可能なルートを確保している。ここはその一つだ。
外した鉄格子をきっちりとはめ込んで歩く。
地上ではそろそろ日が暮れた頃だろうか。
貴族街の地下を歩いて進む。前方でぼんやりと灯りが揺れた。炎の橙色ではなく、魔導灯の白い光。
見回り騎士だ。
「……!」
慌てて腰のランタンのスイッチをひねった。炎の橙色が闇に消える。
“影”の仮面を装着する。ここから先は平民ヴァン・クロフトではなく、暗殺者“王都の影”として動かなければならない。
真っ暗な闇に身を潜め、様子をうかがう。
見られたか……?
白い光は、だんだんと近づいてきている。
俺は柱の陰で身を固くした。目を堅くつむり、開く。短時間で闇に慣れるように訓練をしている。とはいえ、訓練したって真の闇の中じゃ何も見えない。だが、騎士どもの使う魔導灯から漏れる灯りでもありゃ十分だ。
目を開く。ぼんやりと周囲が見えるようになった。
見回り騎士の数は二名。
鎧の足音を立てながら、こっちに近づいてきてやがる。歩調はゆっくりだ。どうやら見つかったわけではなさそうだ。発見されていたら、走って追ってくるからだ。
俺は安堵の息を吐いた。
二名程度の騎士なら、暗殺することも、麻痺毒で半日ほど昏倒させることも、俺にとっては簡単だ。けれど、見回り騎士は二名一組を数十人規模で作り出す交代制度なんだ。
当然、前のやつらが戻ってこなければ、異変を察知した他の見回り騎士が騒ぎ出す。そうなりゃ暗殺の難易度は跳ね上がっちまう。
暗殺対象が一介の貴族ならともかく、今回は王だ。そこに至るまで余計な騒ぎは起こしたくない。警戒されちまうからな。
ここは隠れてやり過ごすのが正解だ。
柱の陰で息を止めたまま、やつらが通り過ぎるのを待った。鎧の足音が近づく。もう残り数歩もない。額から滑り落ちた汗の玉が地面に染みを作る。
心音が高鳴った。俺は長衣の下に手を入れて、ナイフの柄をつかむ。白い光が周囲を照らし、一瞬だけ俺にもあたった。
闇になれた目が眩む。
「~~ッ」
だが、やつらは足音を立て、俺には気づかず小声で談笑しながら鉄格子の方へと歩いて行った。ふぅと長い息を吐いて、俺は再び動き出す。
足音を忍ばせ、貴族街の地下を、王城のある方向へと向けて。
もうすぐ貴族街と王城の境界線にたどり着くはずだ。
王城の地下は、さすがに俺も忍び込んだことはない。王族の暗殺依頼なんてまずあり得ないし、あったとしてもリスクを考えりゃ引き請ける理由がない。
ああ、それこそ今回のようなことでもなけりゃあな。
「……リサのやつ、んっとに手間かせさせやがって……」
帰ってきたらお仕置きだ。ちょうど大人になっていることだしな。
いやいや、何考えてんだバカ野郎。集中しろ。死んじゃうだろ。
しばらくぐるぐると走り、何組かの見回り騎士をやり過ごした俺は、ゆっくり立ち止まった。
額に浮いた汗を長衣の袖で拭って、俺はいい顔でつぶやく。
「よし……。……迷った……」
なんだよこれ。鉄格子だらけじゃねえか。
貴族街地下から王城地下へと続いているであろう通路には、ことごとく格子が立てられている。 さらに、貴族街の地下も地上の地区によってなのか、鉄格子がいくつも設けられている。
行き止まりだらけだ。
俺がいつも貴族街へと忍び込むときに使っている径路にはいまからでも戻れるが、それ以外の出口がまったく見つからねえ。
王城方面へと続く鉄格子はいくつも発見したが、当然、仕込みもなく格子が外れるようにはできていない。格子を切るにゃ時間がないし、作業音も出てしまう。ようやっと通用口らしき門のある格子が見つかっても、五つもの施錠がされている。
見回り騎士はここから出入りしているようだ。次の組がやってきたときに開けさせ、襲いかかって鍵を奪うのは簡単だが、やはり暗殺難易度は跳ね上がっちまう。
「だめだぁ~……。ルートが見つかんねえ……」
甘かったか。仕方ねえ。王城からは離れちまうが、貴族街に出られるいつものルートを使うか。
俺は引き返し、見回り騎士らを避けながら、結局貴族街の端に木箱を積んで隠したルートから顔を出した。
あたりはすでに寝静まり、月を見上げりゃすっかり深夜になっちまっていた。
時間を無駄にしちまったよ。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




