第17話 こういう理由があったのよ。
俺は眉をひそめた。
「聖女? 聞き慣れねえ言葉だな」
「わかりやすく言い方を変えようか。――生け贄だ」
生け贄。何に対する生け贄だ。
カケイの過去の発言から察するに。
「神へのか?」
「イエスだ」
「なんのために?」
「未熟な文明では権力者が最初に望むことは、大体が不老不死か、大いなる力、その両方だよ」
「未熟な文明……? このグラント王国がか?」
大陸でも有数の大国だ。
海に面することで貿易で栄え、全魔法使いの三割近くがこの国に住んでいる。だから魔導技術の発展だって、他国の追随を許さない。
それでもカケイは。
「俺に言わせりゃ、グラントでさえ蛮族だ。俺の元いた国じゃ――いや、ごめん、そんなことはどうでもいいんだ。リーリクードの花は知ってるよね?」
「ああ。一時的に万能感の増す青い花の抽出液だろ。実際に肉体に取り込んでから丸一日くらいは魔力や筋力、知力まで数倍に跳ね上がるらしいな」
「うん。でもあれは多くの薬物と同じく肉体を蝕む。魔力径路を破壊し、筋繊維の修復力を失い、脳がダメになるんだ」
「クラリッサの件に、リーリクードの花まで関係しているのか?」
カケイがうなずいた。
「聖女という存在は本来ない。オッサンに言っても仕方ないんだけど、そんなもの科学的に証明できないんだ。ああ、科学ってのはグラントで言うところの魔導に似た技術だとでも思ってくれ。数百年後の未来技術だ」
たまに、こいつはおかしなことを言う。
ギルド時代からだ。だがいまは鵜呑みにする。
「わかった。続けてくれ」
「つまりクラリッサは聖女として人工的に作り上げられた人間――人造生命体だ。もちろん元となった人間はいるだろうけど、彼らをクラリッサが生物学的な親と呼べるかはわからない。どちらかと言えば複製に近いから」
さっぱりわからん。
だが、リサが人工的に何らかの手を入れられた人間であることだけはわかった。それであの人間離れした美しさだったのかと、かえって納得してしまうくらいだ。
「誰がどうやって彼女を生み出したんだ? いや、聖女には何ができるんだ?」
カケイが首を振る。
「ごめん。質問はすべて後だ。まず俺の話をすべて聞いてくれ。必要なことは順を追って話す」
「わかった」
「人造生命体の作り方は知らないけど、聖女の作り方は簡単だ。産まれた瞬間からリーリクードを副作用が出ない程度に極少量ずつ与え、その身に慣れさせる」
「ああッ!?」
頭が真っ白になった。
イラ立ちが一瞬で湧き上がる。
だがカケイは表情を消したまま、淡々と続けた。
「リーリクードの副作用――つまり肉体の魔導径路破壊や、筋繊維の修復力消失、脳に異常を来さない程度に、少しずつ少しずつ、継続的に与え続ける。何年もかけてだ。そしてできあがるのが、リーリクードに大きな耐性を持った、世界でただひとりの“聖女”だ」
「リサ――クラリッサが……? だから先代マスターは、身代金目当てに五歳のリサを誘拐したのか」
「おそらくね。変態貴族にガキを売るよりも、よっぽど莫大な金になると踏んだんだろう。実際そうだと思う。替えの効かない存在だから。――ところで、市中に流れるリーリクードの花の出所をオッサンは知ってるか?」
俺は首を左右に振る。
知らない。だが。
「おまえ確か以前、敵は神さまだって言ってたな。……まさか、教会か?」
「ようやく頭が冴えてきたか。鋭いね。グラント王国中央教会だ」
教会は病気を治す場所だ。そのおおもとが、リーリクードを垂れ流してたのか。見事なまでのマッチポンプだ。
「花を流すことでリーリクードが様々な年齢性別の人体に及ぼす影響力をデータとして長年収集している」
「それって、まさか……」
カケイが小さなため息をついた。
「すべてのリーリクードの花は、クラリッサという、たったひとりの聖女を完成させるためだけに、ばらまかれたもんだったんだ。結果として何百、何千という民が薬物に狂って快楽を暴走させ、他人を巻き込んで死んでいった」
「……」
ああ、そうか。
あいつも俺と同じだったんだ。
命の引き算だ。あいつは俺と同じ、いや、俺よりも多くの死を背負っていた。亡者の赤い鎖で、その全身が見えなくなるほどに縛られてたんだ。
でも、そんなものはあいつの罪じゃない。おまえが自ら死を選ぶような理由にはならないだろうが。アホたれが。
うつむき、両手で顔を覆った俺をよそに、カケイは続ける。
「データによれば聖女は十六歳で完成する。そしてリーリクードへの完全耐性を備えた彼女を喰おうとしているやつがいる」
「……!? 喰う……だと? 性的に?」
カケイの手刀が俺の額を打った。
「痛い」
「なわけないだろ。文字通りの意味だ。彼女の肉を喰らえば、自らの肉体に耐性が宿ると信じているバカがいるんだ」
人間を喰う!?
もはや人の所業ですらない。そんなものは魔物だ。ただの。
「そいつは誰だ?」
「グラント王国の最高権力者って言ったら、ガディ・イスパルしかいないだろ。不老不死と大いなる力の両方を、聖女クラリッサの肉体を喰らい尽くすことでリーリクードの花から得ようとしている狂王だ。やつはすでに狂っている。何十年も前からね」
スラム特有の、生暖かい腐った風が吹いた。
寒気がしたね。人間じゃない。バケモンだ。そんなやつが王都に存在していて、しかも俺たちの王として君臨してやがった。
ガディ・イスパルは民の前に姿を見せない。何年も、何十年もだ。大半の貴族ですら、その姿を見たことがない。本当に存在しているのかと疑わしくなるほどにだ。
そのことについて俺は、異常なまでの用心深さを持った人物だからだとばかりに思っていた。だが真実は違ったのかもしれない。
忘れていたスラムの饐えた臭いが鼻につく。
「おまえの情報の出所は?」
「貴族街の教会幹部を締め上げた。リーリクードの花を流していたやつだ。今頃、魚の餌にでもなってるんじゃないかな」
カケイが口元を隠していた両手を放し、片頬にのみ笑みを浮かべた。
そしていつもの口調が戻る。
「俺の話はこれで終わりだよ、ヴァンちゃん。もうわかったよね。誰を殺せばいいか」
「ああ」
「それが暗殺者ギルドから“王都の影”への依頼だ。遂行できなかった場合には、ヴァンちゃんには約束通り責任を取ってギルド入りしてもらう」
俺は椅子に座ったまま空を見上げて、大きな息を吐いた。
なんか物足りねえな。ああ、そうか。忘れてた。
懐から紙たばこを取り出して、マッチで火を灯す。
肺に毒の煙を招き入れ、もう一度空に放った。
「遂行できなかった場合? おまえ誰に向かって言ってんだ?」
そう返してやると、カケイがうつむいて額に手を当てた。
笑っているらしく、肩が小刻みに揺れている。
「そうだったね。あんたは誰の足下にでもある“影”だ。手を伸ばして届かない道理はない。――期限は今夜。明朝を迎えたら手遅れだ。彼女は殺されて皿の上にのせられる」
「了承した」
うなずき、俺は立ち上がった。
後ろ手を振りながら歩き出す。ギルドのある廃墟に背中を向けて。
だが、ふと立ち止まった。
「なあ、カケイ」
「んー?」
「おまえ、なんでそんなにリサのことに入れ込んでるんだ?」
「ああ。心配しなくてもいいよ。寝取ったりしないから。俺はヴァンちゃんと違って小児性愛者じゃないし?」
振り返り、俺は鼻の頭を指先で掻く。
「まじめに聞いてんだが……」
「あ~、まいっか。……大した話じゃないんだ。もうどうやっても帰れなくなった俺の故郷の話を、先代に誘拐され檻の中にいたわずか五歳のクラリッサは、目を輝かせて聞いてくれた。そして、すごいって、行ってみたいって、そう言ってくれた。……ただ、それだけだよ。嬉しかったんだ」
それはカケイが俺に見せた、初めての人間的な弱さだった。
「俺、おかしいかな、おかしいか。そりゃそうだよね」
「いや、一国家を敵に回すにゃ、十分な理由だと思うぜ」
少し間があった。
歩き出そうとした俺を、カケイの言葉だけが追ってくる。
「……あんがと。未成年の少女にトチ狂って一国家を敵に回そうとしてるヴァンちゃんなら、きっとそう言ってくれると信じてたよ」
「ンなぁ~~~~んかトゲを感じるね? その言い方!?」
「ハハハ」
視線を合わせてうなずき合う。
「じゃあな、カケイ」
「うん。王を殺して生きて帰ってこられたら、俺のギルドに入れてやるよ」
「でっけぇお世話だ」
こうして俺はスラムを去った。
目指すは貴族街のさらに中央、王城だ。
楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。
今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。
※追記
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
書きため分が終わってしまいましたので、毎日更新は本日までとなります。
第20話前後で完結予定です。
※追記訂正
20話前後で完結予定と書きましたが、25話前後に訂正します。
申し訳ありません。
最後までのお付き合い、どうぞよろしくお願いいたします。