第16話 そんな過去があったのね。
暗殺者ギルドの拠点となっている地下へと続く階段は、鉄扉による蓋がなされている。昔と変わらない。その横には吹きさらしの椅子が二脚あった。
俺がそのうちの一つに腰を下ろすと、カケイもまた足で引いて腰を置いた。テーブルもない中、向かい合って座る。
俺はいつでも動けるように背もたれに片腕を掛けたダラリとした姿勢で、カケイは両手の指を組み合わせて口元を隠す前傾姿勢で。
「おまえは相変わらず用心深ぇな」
「お互いさまでしょ。これは密談だからね。唇を読まれるのは避けたいんだ」
んなことできるやつが王都にいるかよ。俺だって無理だ。
いったいこいつがいた黒髪黒目だらけの国ってのは、どういう環境だったんだか。
カケイが口元を隠したままつぶやく。
「それより悪いね、こんなとこで。ヴァンちゃんを中に案内することはできない。理由はわかるよね?」
「部外者っつーか、それ以前に先代殺しだろ」
カケイが口元を隠したまま、目を細める。
開いてんだか閉じてんだかわからねえ糸のような目だ。だが暗殺者には向いている。視線の向きを悟られにくいし、瞳孔が見えなきゃ感情も読みづらい。
先代を殺したことについてカケイがどう考えているのか、俺にゃ未だにわからねえ。
「そうそ。ギルドの古株連中の一部には、未だにヴァンちゃんのことを快く思ってないやつも何人かいるからねえ」
「おまえな、そんな状態のギルドに俺を勧誘すんなよ。出戻ったらいじめられちゃうだろ。こちとら薄氷のハートだぞ」
「あはっ、そんなの、ヴァンちゃんが戻ってきてくれるなら――」
カケイがニタリと笑って、似合わん低い声で続けた。
「俺がそいつらをみんな殺して埋めるから平気だよ」
「やめて怖い!」
「乙女」
「はみ出てたか。俺の中の乙女が」
「出てたよ」
カケイの目からは、その言葉が本気なのか冗談なのかが読み取れない。
「冗談はさておき、時間がねえ。本題に入らせてくれ」
「フフ、いつでもどうぞ?」
組んだ指で口元を隠す前傾姿勢からは、一切動かない。表情も消えた。笑い声は出しているが、能面のように表情だけが動いていない。
怖い。ほんと怖い。ニンジャってのはみんなこうなのか。
「カケイ、おまえはリサを知っているな? リサが何者かであるかにかかわらず、個人的に、だ」
「イエスだ」
やはりか。
複雑な胸中で俺は尋ねる。
「どういう関係だ?」
「フフ、ヴァンちゃんが嫉妬するような関係じゃあないよ」
「し、し、嫉妬なんてしてないんだからァ!」
「乙女。表情読まれすぎ。三流以下」
「ぐ……っ、とにかく話せ!」
カケイがため息をついた。表情は能面のままだ。
「なんだよ、そのため息は」
「あきれてるんだよ。まだ思い出さないのかって。リサちん気の毒だね。こんなぼんくらオヤジを何年も想っていたんだから」
へ……?
ちょっと待て。おかしいだろ、いまの言葉。
「何年も? 俺がリサとあったのは先月だぞ?」
「また顔に出てる。ヴァンちゃんは少し気をつけた方がいい。まあ、誰も見てないとは思うけど」
「時間がねえんだ。はぐらかすな」
「とっくの昔から逢ってるんだよ。俺と、リサちんと、ヴァンちゃんは」
「そんなわけないだろ」
カケイが能面のまま舌打ちをした。
「報われないな、リサちんは。じゃあもう少し、わかりやすく言おうか。――シノブ・カケイと、クラリッサ・リオーナと、名もなきカゲのオッサンだ」
……十年以上前か!
クラリッサ・リオーナ。それがリサの本名。確かに、何かが記憶に引っかかっている。
思い出せ。思い出せ。
「……先代の一件か!?」
「声がでかい。俺の立場も考えてくれよ。この件は敵だけじゃなく、下に聞こえたって困るんだ」
「あ、ああ。そうか。すまん」
そうだ。思い出した。思い出したぞ。
俺が先代マスターを暗殺するにあたって、最後の一歩を踏み出す理由となった一件だ。あの一件があったから、俺は迷いながらも恩人だったはずの先代を殺した。
「じゃあ答え合わせだ、オッサン。あんたと俺の情報を合わせる」
「ああ」
カケイが先に口を開く。
「あんたはスラムで産み落とされ、食い扶持に困った親によって肥え太った変態貴族に売り飛ばされた」
「その仲立ちをしていたのが、先代率いる旧暗殺者ギルドだ。だがギルドによって貴族に引き渡される段になって、俺はその豚の喉を食い破ってやった」
定かではないが、それが俺の最初の殺人だ。
カケイが微かに目を見開いた。
「そんなことをしていたのか。まだ十かそこらじゃなかったっけ。めちゃくちゃだな、あんた」
「正確には覚えてないが、年齢はもうちょい下だ」
「ますますイカれてるね。だから旧暗殺者ギルドは変態貴族たちからの信頼を失墜して、子供の取り扱いをやめざるを得なかったのか」
そうだ。
俺の殺人のせいで、旧暗殺者ギルドは変態貴族という巨額の金づるを失った。
「ああ。凶暴すぎて売りもんにならない俺を持て余したギルドは、文字通り処分しようとした。だが先代の一言で俺の命は救われた。“そのくそ度胸は暗殺者に向いている”ってな」
救われたんじゃない。いま思えば、あいつは俺を赤字にしたくなかっただけだ。だから少しでも回収できるようにと、俺を暗殺者に仕立て上げた。想定外だったのは、俺に適性がありすぎたことだ。
カケイがうなずく。
俺は続けた。
「ギルド入りに際し、俺は条件をつけた。笑えるだろ。なんも持ってねえガキが、圧倒的暴力を保持する先代マスターに条件だぜ」
「内容は?」
「マスターからの命令には絶対に逆らわない。その代わりに、俺のような子供を増やさないでくれ、と。ガキを変態貴族に売るなってことだ」
あの貴族の醜悪さは、外界の魔物以上だった。怖気が立って、真っ先に防衛本能が湧いた。だから獣のように喉を食い破ることができた。そう、噛みついて喉を食い破ったんだ。
「それはなんのために?」
「スラムのガキ仲間や、……実の弟妹のためだ」
そう。俺には弟妹がいた。
両親同様、いまどこで何をしているのかは知らんがね。
カケイが再びうなずいた。
「そしてあんたは暗殺者ギルドの“影”となり、王都で暗躍を始めた。恩人である先代の言葉を盲信し、言われるがままに悪を裁いた」
俺は首を左右に振る。
「裁いているつもりになっていただけだ。実際は善悪関係なく殺した」
「騙されてたからだろ」
「だからなんだ? そんな言い訳に意味があるのか?」
善人を殺した。何人もだ。
カケイが薄目を開けて俺を睨む。
「時間がないんだ。いちいちケンカ腰になるなよ、オッサン。キツい過去の掘り返しなのはわかってるけど、どうせもう取り返しはつかない。泰然としとけ」
カケイのこの圧力はなんだ。昔からそうだった。
二十代の若造のものとは到底思えない。まるで俺以上の修羅場をくぐり抜けてきたかのようだ。
俺は小さく何度もうなずいた。
「……そうだな。すまん。続けてくれ」
「俺が別の世界から流れ着いて、とある目的のために暗殺者ギルドに入ったのはその頃だ」
そうだ。カケイとともに、夜を駆けたこともあった。
その数年後。つまりいまからおよそ十年前。
俺は暗殺者ギルドの内部で、見慣れないガキを見た。最初はギルドメンバーの家族かと思っていたのだが、どうやらそうじゃなかったらしい。そもそも家族の扱いではなかったんだ。
そいつは暗い部屋で動物のように檻に閉じ込められ、俺を見上げていた。
「彼女がクラリッサ・リオーナ。つまり俺の知るリサだ」
「そうだよ。それがオッサンとリサちんと、そして俺の最初の出逢いだ」
すべて思い出した。
「そういうことか……」
記憶喪失だって? バカ野郎! 記憶を失ってたのは俺の方じゃねえか!
俺は彼女を見て、彼女と話して、そして激昂した。先代マスターは俺を欺いていた。クラリッサが、さらわれてきたと言ったからだ。
わずか五歳の子を、あいつはまた金にするためにさらっていた。俺の提示した条件なんざ、最初から守る気もなかったんだ。
「俺はクラリッサを救うために先代を殺した。あいつがまた、変態貴族どもにガキを売っていたと知ったから」
恩義も消し飛ぶ怒りに、俺はマスターの喉を裂いた。
そしてクラリッサの手を引き、平民街へと逃げ、彼女を見回り騎士に託したんだ。俺が知るのはここまでだ。
「うん。でも妙だと思わなかった?」
「何がだ?」
「クラリッサは五歳だけど美しい少女だった。身なりが綺麗過ぎたんだ。それにギルドは変態貴族とは完全に切れてた。オッサンの一件のせいでね。じゃあ、先代マスターは、どうやってクラリッサを金にしようとしていたんだって話だ」
「そりゃおまえ、あれだけの器量ならいくらでも買い手は現れるだろーよ。別の国に流すとかな」
カケイが首を左右に振った。
「そもそも、あのクラリッサがスラムの出だと思う?」
思えない。当時もいまもだ。
彼女には気品が備わっている。消すことのできない生来の気品だ。
「……貴族の子か?」
「それもちょっと違うと思う。俺もそこはわかんないんだ。オッサンがギルドを去ってから、俺はクラリッサのことが気になって少し調べてみた。そしたらとんでもないことがわかったんだ」
カケイの目が少しだけ開かれた。
「オッサン。あの子、グラント王国の聖女だよ」
聖女。
そいつは俺が生まれてこの方、聞いたこともない言葉だった。
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