第15話 ニンジャさんは事情通。
青年が俺の正面に立ち、女が俺に背後にゆっくりと回り込む。暗殺者に背後を明け渡すほど、俺に度胸はない。彼らの動きに合わせて、俺は身体の方向を変えていく。右手と左手で、それぞれ迎え撃てるように。
青年があからさまに面倒くさそうな顔を見せた。
「ただの平民ってわけじゃあなさそうだ」
「あんた誰? ここに何の用?」
女の方が苛立たしげにそう言った。
どっちも見ない顔だ。少なくとも十年前には暗殺者ギルドにはいなかった。そらそうか。十年前だったら、こいつらまだ十歳そこらだ。俺はそれくらいから、この業界にどっぷりだったが。
俺は鷹揚に返す。
「アヤシいもんじゃない。カケイに会いに来ただけだ」
「知らないな。そんな名前のやつはここにはいない。他をあたった方がいい」
青年が細く反った剣の切っ先を俺の左肩口に突きつけて、涼しげにそう言った。刹那、空気が流れる。
左側、青年の剣の切っ先に気を取られた瞬間を狙って、女が手甲で俺の右側頭部を狙ったんだ。
「――ッ」
だまし討ちは暗殺者の常套手段。だが、あいにくこちとら同業だ。それも歴三十年物のな。
俺は振り返りもせずに頭を下げてやり過ごし、腰を曲げながら大きく一歩後退した。青年と女の両方を正面の視界に捉えると同時に腰のナイフを抜く。
風切り音を伴って迫った剣の切っ先をナイフで弾いて逸らし、さらに距離を取った。女がドタドタと回り込んできて、遠慮も何もなく俺の脇腹めがけて拳を突き上げる。そいつを半身を下げることで躱した俺は、さらに袈裟懸けに振り下ろされた剣をナイフで逸らせた。
「な――ッ!?」
「筋は悪くないが、ここいらじゃ二流だな。なにせ王都には俺という超一流がいるからな」
青年の目が驚愕に見開かれる。
そのツラを左手で無造作につかんで、俺はナイフの刃を青年の喉へと滑らせた。女が悲鳴のような声を上げる。
「ルクス!」
「おいおい、そこで仲間の名を叫んじまうようなやつは三流以下だ」
喉元を手で押さえて呆然としている青年に気を取られた女の背後へと回り込み、その背中から肩に左腕を回して固定、右手のナイフで喉をなぞる。横一閃。
「う――ッ」
「ましてや仲間の死に気を取られるなんざ論外だ。暗殺者なら見捨てろ。むしろその死をも利用しろ」
ひゅっとナイフを振って、俺は長衣で隠した腰の鞘へと戻した。
呆然と立つ青年も、自分の喉を両手で押さえて膝から崩れ落ちた女も動かない。だが、倒れもしない。
しばらくして、青年が自らの喉から手をのけた。不思議そうに掌を見つめている。
「生きてる……」
血は出ていない。
女もだ。ただ目を見開いて、俺に視線を向けている。
片刃なんだ。俺のナイフは。こういうときのために。
青年が掠れた声を出す。顔中に汗の玉が浮いている。
「……あ、あんた……誰だ……?」
「名乗るのは同業だから特別だ。顔を見せるのもな。――俺は“影”だ。“王都の影”」
膝をついたままだった女が、素っ頓狂な声をあげて今度は尻餅をついた。
「“カ――”……ええッ!? う、嘘ぉ!?」
「まさかあんた、うちのボスを殺しに来たのか!?」
俺はかつて、先代マスターを暗殺しちまったからなあ。当然の質問だろう。
俺は顔の前で手を振った。
「違う違う。カケイに話があってきただけだって。じゃなきゃ、おまえさんたちはもう生きてない。だろ?」
「確かに……」
「要するにおまえらを殺すとデメリットになる。カケイと話せなくなるのは困る。だから殺さなかった。暗殺者ってのはそういうもんだ」
快楽殺人鬼と暗殺者の違いだ。俺たちはあくまでも仕事で、人を殺している。必要があるから実行するんだ。そこに喜びを見出すやつも中にはいるが、大半はそうじゃない。
青年が自らの喉に再び手を当てる。くどいようだが、そこに傷はない。
「なるほど……」
「カ、カ、“カゲさま”!」
影さま!?
ギョッとして振り返ると、女がぽ~っとした顔で両手を組んで俺を見つめていた。
「あ、あの! この後、お時間ありませんか!? あ、あああ、もちろんその、あなたさまのご用事が終わってからでかまいませんので!」
赤色のウェーブがかった髪に、ルビーのような瞳。
頬には多少そばかすがあるが、なかなかの美人だ。
「あた、あたし、レ、レミリィと申します! あ、あなたさまに憧れて、その、暗殺者に――」
俺から見りゃ三流とはいえ、暗殺者だけあってスタイルは細いのに、やたらと、やたらと、その。
……胸でけぇ~……。
……尻でけぇ~……
……お時間取りてぇ~……。
暗殺者同士なら遠慮もいらないし。
明日までまだ時間あるし。
むぅ~っとむくれたリサの顔を思い出す。
いやいやいや、ダメだ。
何考えてんだ。バカ、俺のバァカ。
「すまねえ。大事な用事があるんだ」
「で、では、また今度、必――」
レミリィの言葉を遮るように、大きな笑い声が響いた。
「あっはははははははっ! さっすがっ、俺の見込んだ唯一の暗殺者だ!」
声のする方向に、全員が視線を跳ね上げる。
いつの間にいたのか、廃墟の折れた柱の上に、カケイが座っていた。いつの間に、というより、こいつの隠形なら最初からいても気づかなかったかもしれない。
だとしたら趣味の悪いこった。
「でもヴァンちゃ~ん。あんましうちの若いのいじめないであげてよね」
「だったらしっかり教育しとけ!」
「逆ナンは禁止だよって?」
「ぎゃくな――?」
「女が男をぐいぐい誘うことだよ」
少し考えて、俺はサムズアップする。
「それはOKだ」
「……リサちんに言ったろ」
「ほんとにやめてよねッ!?」
「出た。心の乙女」
「うるせえ!」
身を翻しながら、カケイが着地する。音が一切ない。それどころか風の乱れさえも感じ取れない。どういう理屈だ。
「ルクス、レミリィ。ふたりともご苦労さん。下がっていいよ」
「しかし――」
レミリィはさておき、ルクスは少し心配そうにしている。
「だ~いじょうぶ。ヴァンちゃん――ああ、“影”のことね。彼は俺の心の友だから。殺し合うようなことにはならないよ」
先日貴様に殺されかけましたが? ぶっ殺すぞこの野郎。
ルクスがうなずき、カケイに頭を下げた。
「そうですか。あなたがそう仰るのであれば。では、マスター。くれぐれもお気をつけて」
「うん」
レミリィが恥ずかしそうにもじもじしながら、俺に目配せをする。
「それではカゲさま。またいつか」
「……機会があればな」
「お噂通り、とてもクール。素敵です」
噂とやらに大いなる誤解があるようだが、都合がいいので黙っておくことにした。
ルクスとレミリィが廃墟へと入っていく。
おそらく地下アジトに戻るのだろう。廃墟地下の居住スペースには、数十名の暗殺者が自分たちの家族とともに暮らしている。スラムじゃ考えられない、ちょっといい暮らしだ。もちろん貴族連中から見りゃ、それでも虫のような暮らしなんだろうが。
カケイが若いふたりを見送ってからぼやいた。
「な~んで俺に挨拶せず、ヴァンちゃんの方にだけするかなあ。俺マスターなのにぃ」
「人望ないんじゃねえの?」
「あっはっは。傷つくぅ。ヴァンちゃんもなさそうだけどね」
「俺には人徳があるからいいんだ」
「ネガティブ人間のくせに謎の自信……」
少し間が空いた。
カケイが笑みを消す。
「ここにくるまで、案外時間がかかったみたいだね。やっぱ組織力がないと出遅れる。そうでしょ、ヴァンちゃん?」
「そこは認める。だが勧誘はお断りだ。それより頼みがある。おまえの持ってるリサの情報を俺にくれ」
「リサちん、いなくなったんだね」
やはり予想していたか。
知っていたんだ。カケイは。ある程度の事情を。
「ああ。自ら去った」
「情報は渡してもかまわない。ただし、ヴァンちゃんがギルドに戻ることが条件だ。そこは変わらない」
俺は歯がみする。
この期に及んで、もはや選択肢はない。
たたみかけるように、カケイが続ける。
「依頼者の素性を明かすことは、ギルド的にも相当なリスクだからね。組織の信用問題に直結する」
「リサを救ったあと、俺はギルドから抜けるために、おまえを殺すかもしれんぞ。先代にそうしたようにな」
カケイが頭痛を堪えるように、こめかみに指をあてた。
「そうじゃないでしょ。なぁ~んで言葉の真意を読み取ってくんないかなあ。ヴァンちゃんは、ほんっとに鈍いなあ」
「なんだよ……」
あきれたような顔をしている。
「依頼者の素性を第三者に明かすことが、ギルドにとってのリスクなんだ。それはわかるよね」
「おまえ、俺をバカにしてんの?」
「逆に言えば、それさえなければ情報は渡す。暗にそう言ってんだよ」
「ん? だから俺がギルド入りすることで損失を補填するんだろ?」
額に手を当てたカケイがうつむいた。
なんだよぅ。
「それ以外の払い方もあるでしょうが」
「ま、まさかおまえ、俺に肉体で払――」
ズビシっと手刀で額を打たれた。
殺気も何も感じ取れなかった上にかなり動揺していたせいで、まともに貰っちまったよ。痛くないけど。
カケイが珍しく、糸のような目をかっ開いた。
「違わッ!! いい加減気づけやオッサン! どんだけヒント与えたと思ってんだ、このぽんこつ頭! あんたの職業は暗殺者だろーが!?」
あ……。そういうことね。
俺は右手の拳を、左手の掌へとポンと落とした。
「死人に口ナシ?」
「そうだ! ギルドが依頼者の素性を第三者に明かしたという悪評が広がらなければそれでいいんだ。相手はどうせリサ嬢の敵で、そしてまごう事なき悪だ。それは俺が保証するし、これから話す。だから“王都の影”が暗殺を執行するに際し、なんの躊躇も必要ない。――確実に殺せ。たとえ彼女の前であってもだ。それが条件だよ」
リサを何らかの方法で連れ戻した依頼者を暗殺しろ、か。そうすりゃ俺はギルドに戻らなくて済む。
カケイが長い息を吐いた。
目が糸に戻る。
「わかった? 情報は貸しだからね、ヴァンちゃん。この暗殺は、ギルドから“影”への依頼って形で報酬も出す。達成を以て貸しはチャラだ。正直かなり難しい相手だけど――」
俺は手を立てて、カケイの言葉を遮った。
「了承した。――ところでカケイ」
「ん? どったの?」
「おまえさん、さっきまでの口調の方が格好よかったんじゃないか?」
手刀が再び俺の額を打った。
痛いって。もう。
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