第12話 踏み込むときは大胆不敵。
食後、リサの買い物に付き合いながら、俺はさりげなく周囲を見ていた。
もちろん俺たちを監視しているやつを探る目的でもあるのだが、実のところもう一つ、個人的な目的を抱えていたんだ。
明後日に迫ったリサの誕生日だ。十六歳を迎えるらしい。
そのときに何かをプレゼントしたいと思ったのだが、残念ながらまともな恋愛経験どころか真っ当な人生さえ歩んでこなかった俺には、年頃の娘に何を渡してよいのかさっぱりわからなかった。
そんなもん、普段の目線を追ってりゃわかりそうなもんだが、リサときたら目線の先にあるもんは大体が食いもんだ。いまもワイバーン串に視線を向けている。ほとんどが焼いているときによい匂いを漂わせる食いもんだが、稀に果物も見ている。
ちなみに花屋は完全スルーだった。
おかしい。女のご機嫌伺いには花だけ贈っとけばいいよと、以前ギルドにいた頃にカケイから聞いていたのだが、肝心のリサは興味すら持ちそうにない。
いたいけなオッサンを騙しやがって。次遭ったら許さんぞ、あの若造。
「ヴァン?」
自分ならどうか。何なら嬉しい。
俺なら切れ味の鋭いナイフや、一般には流通していない金属糸の服などをもらえれば嬉しい限りだが、さすがにそれらを小娘に与えるほどは、俺とて非常識ではない。そんなもんをもらって喜ぶやつは大抵がお尋ね者だ。ろくな人間じゃない。
いやこれ、自己紹介のようで哀しいな。
「ヴァ~ン~?」
貴金属はどうだ。主に貴族どものご婦人方が、ジャラジャラと首だの指だのに引っかけて見せびらかしながら歩いている姿をよく見る。平民女らも、それをうらやましそうに見ている。
実用性には少々疑問が生じるが、ペンダントに加工された宝石が、刃の切っ先から持ち主を守ったというロマン溢れる話も物語ではよくある。
これなら喜んでくれるだろう。
だが俺の懐事情では、鋼鉄の切っ先から持ち主を守れるような硬度の宝石は買えそうにない。飢え死にしてしまう。
組織にいた頃は金に困ったことはなかった。だが個人業になりゃ足下を見られる。払わずに姿を眩ましちまう依頼者だっているし、仕事を終えて支払いを受け取りに向かったら騎士団が待ち構えてたこともあった。
俺が仕事のたびに確実に手にできるのは、総額の一割程度の前金のみときたもんだ。それでも組織に戻るのは無理だ。善人に手を掛けるのは二度とごめんだ。
「ヴァ~~~ン!」
「ん? どした?」
ぐいと腕を引かれて、俺は視線を向ける。いつの間にかまた腕を組まれていた。
なんだか割と慣れてきちまったな。自分の左隣に、リサのぬくもりがあることに。
「それはこっちの台詞っ」
「ん?」
「も~~~~~! 何回呼んだと思ってるの!」
「そうか。すまん。考え事をしていた」
街行く男らから、敵視されることにもだ。
羨望の視線にさらされながら、石畳の通りを並んで歩く。いつもの繁華街までお出かけだ。
「へえ、何考えてたの? もしかして、わたしのこと~?」
いつものだ。ニヤニヤしている。
俺は正直に応えることにした。自分で考えてたってどうにもならないからだ。
「ああ」
「……へ? あ、それってもしかして、そろそろ出て行けって……こと……?」
一瞬にして表情に不安が浮かぶ。
珍しいことだ。リサの頭の中は、いつだってポジティブしかないのだと思っていた。
「逆だ。明後日のおまえの誕生日にな。まあ、その……何か欲しいものがあるなら言ってもらいたいと考えていたんだ」
「あ……」
「自分で色々と考えてみたんだが、年頃の娘に合うようなものはどうにも思いつかん」
「それは……」
リサの表情から不安が消えて、けれども、何かを言い淀むように唇を動かした。だが言葉はなかった。
俺は少し訂正する。
「ああ、えっと。実用品や必要なものじゃなくて、欲しいものだぞ。必要なものは普段から言ってくれてかまわん。なんとか頑張ってそろえる。欲しいものは、そうだな。あまり余裕はないが善処するよ」
我ながら、みっともない言い方だ。
アホくさいことに、俺はとてつもなく照れていた。顔面が真っ赤になってしまっていそうで、あえてリサのいる左隣ではなく前方に視線を戻す。
立ち止まりそうなリサを、手で引きながら。
ああ、いくつだよ、俺。情けない。思春期じゃあるまいし。
「だからおまえは、もう少し、わがままを言ってかまわない」
「……」
リサの顔が見れなかった。
だからしばらくの間は気づかなかったんだ。少しそのまま歩いて、突然リサが俺の腕にしがみついてきた。
それでも俺は彼女を見れずに、そのまま歩き続ける。
けれど、左腕に異質の湿り気とぬくもりを感じて、ようやくそのことに気がついた。
リサは俺の左腕にしがみついて泣いていた。
「お、おお? ええ?」
「~~っ」
声を殺して泣いていた。
頭がパニックになった。
「ど、どうした?」
「~~っめ……なさい……ごめん……なさい……」
「な、な、何が!?」
もう繁華街近くだ。人通りが多い。
どいつもこいつを俺たちを好奇の視線で見ている。眉をひそめているやつもいれば、ニヤついてるやつもいる。
「と、とりあえず」
俺は慌ててリサの腰に手を回し、背中を押すようにして人通りの少ない路地に入った。路地の入り口から覗き込んだくる無粋なやつもいたが、これ以上奥に入れば商業ギルドではなく商会連合の縄張りになっちまう。
俺は慣れてるが、リサを連れていくには抵抗がある。花を売らない花売りや、リーリクードの花売りなんかもうろついているからだ。
リサはまだ泣いていた。
こりゃあ、ただの嬉し涙って類のもんじゃあなさそうだ。しばらく嗚咽して、ようやく涙が止まる頃には、路地の入り口からこっちを覗いていた野次馬も立ち去っていた。
「……ごめんね」
「落ち着いたか?」
「うん。もう大丈夫」
「理由を聞いたら教えてくれるか?」
「涙の?」
「他に何があるんだよ」
リサが視線を逸らし、うつむき加減につぶやく。
「……ヴァンの言葉が嬉しかったから……」
「本当のことを言ってくれ」
「嘘じゃない!」
勢いのある言葉に、俺は面食らう。けれど彼女は再び声を萎ませた。
「半分は……」
「ならもう半分はなんだ? 教えてくれ」
リサはうつむいている。
俺は焦れて、先を促した。
「なあ、俺じゃ力になれないことか? おまえの出自を知ったら、俺がおまえに対する態度を変えるとでも思ってないか?」
「……言え……ない……」
だめだ。たぶん語調を荒げようが、辛抱強く問い質そうが、リサは言わないだろう。わずか数週間の関係だが、なんとなくそれがわかっちまう。
どうしたものか。
俺は路地裏に積まれていた木箱に腰を下ろし、懐から取り出した紙たばこに火をつけた。リサはしゅんとした表情で突っ立ったままだ。
「わかったよ。怒ってるわけじゃないんだ。ただ、おまえを助けたかった。追い詰めるのは本意じゃない。もし話したくなったら、そのときはちゃんと聞くから。それだけ理解しといてくれりゃいい」
「……うん……ありがとう……」
少し落ち着いたか。だがリサは不安そうな表情をしている。
なんなんだ。リサはいったい何を隠しているんだ。
俺は施行を振り払うため、頭を振った。紫煙を燻らせ、あえて笑みを作る。
「んじゃ、ちょいと話を戻そうか。リサ、誕生日に欲しいものはあるか?」
「ん……」
リサが口をつぐんだ。俺は黙って見守る。何かを考えているようだからだ。これは期待ができそうだ。
やがて彼女は口を開いた。
「ごめんね。実はわたしの誕生日、明後日じゃなくて明日なんだ」
「ああ? なんだそりゃ。意味のない嘘だなあ」
「あはは、ごめん……ごめんね」
リサが苦笑を浮かべて、恥ずかしそうに頭を掻く。
まあ、ないとは言い切れない。自分の出自を隠しておきたいなら、それに繋がる情報にはフェイクを噛ませておくべきだ。
でも、なあ。
リサが俺に年齢と誕生日を漏らしてしまった日、あの日から彼女は俺に対して故意に嘘をついていたことになる。
そのことが、どうにも腑に落ちない。
三日前か。あのときのリサは確かに、勢いで本心を漏らしてしまったかのように見えた。五日後と言ったんだ。嘘をついているようにも見えなかった。
誕生日が一日ずれようが、大した問題ではない……が、多少気になる。
そう考えながらも俺は、先を促すことにした。
「そうか。なら、これから繁華街で何か選ぶか。ああ、サプライズにしてやれなかったのは勘弁してくれよ。そういう演出は苦手だ」
「あははっ、ヴァンにそんなの期待してないよっ。正直過ぎるもん」
ようやくいつもの明るさが戻った。
俺はひっそりと胸をなで下ろす。
「んじゃ、遠慮はなしだ。ちゃんと応えろよ。リサは誕生日に何が欲しい?」
「何でもいいの?」
今度は俺が苦笑いを浮かべる番だ。
「……すまん、懐事情が許す限りならって条件だけつけさせてくれ」
「その言葉に二言はない? ないよね? ないって言って!」
リサが胸の前で両手を組んで、ぐいぐいと顔を近づけてくる。たばこの先が当たりそうで、俺は木箱に腰掛けたまま、ちょっとのけぞった。
なんだ、この食いつきは。よほど変なものでも要求されるのか、俺は。だがまあ、うちの懐事情を知るリサだ。おかしなことにはならないだろう。
こっから先は最悪の予想だが、もしリサが俺の正体を暗殺者であると知っていて近づいたとするなら、“影”に対して「誰かを殺してくれ」という依頼がくるかもしれない。
ああ、それでも。
俺が誰かを殺めることで彼女が救われるのだとしたら、それも悪くはないと思ってしまっている。リサは間違いなく善人で、きっとそいつの方が悪人だろうから。
自覚する。俺はずいぶんとこの小娘に入れ込んじまってるみたいだと。
でもな、リサ。そのときは。
この奇妙な関係も、終わりになるんだ。
だから、どうか。
「ないの? あるの? どっち?」
「ああ」
「どっち?」
顔が近い。俺はまだ吸い始めたばかりのたばこを口から抜き取って、路地裏の壁で先を押しつぶした。
重苦しい鉛色の不安が、胸中で広がっていく。
「ない。誓うよ」
ああ、神さま。頼む。
殺しの依頼だけは。彼女の、リサの口からは、聞きたくないんだ。どうか。どうかそれだけは。
心臓が痛いほどに高鳴っていく。吐き気さえ催すほどにだ。
やがてリサはこくりと頷くと、一度大きく嚥下して、意を決したような表情で口を開いた。
俺は覚悟を決める。
リサは口元に手を当て、視線を逸らせて、頬を染めながら恥ずかしそうにこう言った。
「あのね。あの、ね。……今晩、ヴァンと一緒に過ごしたいの……」
「~~ッ!?」
俺は木箱の上で卒倒し、路地裏の壁に後頭部をしたたかにぶつけたのだった。
おい。
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