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第11話 心の乙女と心のオッサン。

 リサの誕生日まで二日を切った。

 あれから生活に変化はない。朝食を取って街に出かけ、買い物をして帰ってくる。夕食はともに作り、顔をつきあわせて食べる。

 だが、この二日ほど彼女の後をつけ回して気づいたことがある。


 どういうわけか仕事は探していないようだ。

 街を歩き、年寄りに手を貸し、子供と遊んで、なるべく安い店を探して食材を買う。そうして昼に帰宅し、俺がいれば一緒に昼食を食べ、いなければひとりで軽く済ます。

 昼食後には再び仕事探しと称して出かけ、概ね午前と同じような行動をしながら、今度は夕方くらいに帰ってくる。


 独り立ちのための仕事探しの是非はこの際置いといて、リサに怪しい動きはない。周囲にも動きはない。彼女を監視している者がいるのではと思ったが、そんな人物は少なくとも視界の中にはいなかった。

 クロフト邸に賊が侵入した日、リサは「二度とこんなことはさせない」と言った。必ずどこかに賊との接点があったはずなんだ。俺が見逃したのか、これからなのか。

 少なくとも現時点で、それを発見することはできなかった。


 考えられる可能性はふたつ。

 本当に誰もリサを追っていないか、もしくは、その人物は俺がリサを隠れて追っていることを事前知識として知っているかだ。後者であれば、そいつはいまも俺の視界に入らない場所で、リサと、そして俺の行動をも見張っている。

 滅多にいないが、カケイくらいの凄腕であれば容易いことだ。


 結局この日も、何事もなくリサは帰っていった。

 リサがクロフト邸に入ったことを確認した俺は、少し離れた場所で紙たばこを吹かし、時間をある程度潰してから、ゆっくりめに帰宅する。



「戻ったぞ~」

「お帰り、ヴァン」



 俺は平民ヴァン・クロフト用に使っているくたびれた上着を、出迎えてくれたリサに手渡しながら、すっとぼけて尋ねた。



「仕事は見つかったか?」

「んーん。まだだよ」



 リサは俺の上着をハンガーに掛けながらそう言った。



「そうか」

「ごめんね。要領悪いよね」

「別に焦らなくていい」



 リサをこの家から追い出すのは、彼女の安全が確保されてからだ。仕事探しをしていないなら、それはそれで俺にとっても時間稼ぎになって都合がいい。



「あれ? ヴァンったら、もしかして……」

「ん?」

「ついに気が変わって、わたしにいて欲しくなったぁ!?」



 始まった。いつものだ。ニヤニヤニヤニヤしている。

 俺は懐からたばこを取り出して、マッチの箱を振った。



「……そうかもな」



 そういう気持ちがまるで芽生えていないわけではない。まだわずか数日に過ぎないが、他人のいる暮らしというのも悪くないと思い始めている。

 だが、だめだ。

 理性が邪魔をする。これはいつもの社会通念の話じゃない。リサはあと二日も経ちゃ成人だ。倍以上違う年の差に問題がないわけじゃないが、言い訳はいくらでも立つ。

 問題があるのは、彼女ではなく俺の方だ。俺の手は、善人の血で穢れている。そいつが赤く重々しい鎖になって、亡者たちが俺の両手を縛っている。

 けれど、リサは。きょとんとした顔で。



「へ? あ、あれ? ヴァン、それ、本気で言ってる?」

「ああ」



 そう返事をしてから、失言に気づいた。



「……いや、どうか――なぁぁ!?」



 遅かった。

 たばこを吸うために窓際に向かっていた俺の背中へと、唐突にリサが飛び込んできた。両腕を背後から回して、ぎゅっとしがみつくように。

 つんのめって窓枠にしこたま胸部をぶつけた俺は、マヌケなことに咥えた火のないたばこを、唇からポロリと落としていた。

 背中越しにリサの高鳴っているであろう鼓動が響いている。



「お、おい」

「うん」



 何が「うん」なのかはわからんが、リサは離れようとしない。何となくだが、いまの流れで俺は理解した。

 これまでずっとリサは俺のことをからかっているのだと思っていたんだ。

 そらそうだろ。俺はくたびれた中年男で、金を持ってるわけでもない。特別、見目がよいわけでもなけりゃ、大手を振って誇れる一芸があるわけでもない。


 俺にあるのは、お天道様に顔向けできなくなる暗殺技術だけだ。そんなやつに対して年若い娘が心を寄せるなんて、あり得ないと思っていた。行き場がないから、ここにいる必要があるから、仕方なく媚びているだけだと考えていた。


 だが、どうやら違ったようだ。

 理由や切っ掛けに心当たりはないが、けれどリサは、俺のことを本気で好いてくれているらしい。

 なんにせよ、年若い娘の一時の気の迷いなのだろうが、物好きなことだ。


 俺がリサの頭に手をのせると、それを合図にしたように彼女は身体を離した。顔が真っ赤なのは、ランプの明かりに照らされてるからじゃあないだろう。

 珍しく視線を逸らしながら、リサが口を開いた。



「あ、お昼ご飯、た、食べるんだよね?」

「ああ」



 落としたたばこを拾い上げ、吹いて埃を飛ばし、口に咥える。この程度で捨てていたんじゃ、平民生活なんてやってけねえのさ。



「ねえ、ヴァン。今日はお昼からお仕事あるの?」



 リサを尾行していても、相手は尻尾を出しそうにない。なら、牽制目的で、もう少し彼女の近くにいた方が守りやすいか。

 いずれにせよ、必要なのは情報だ。

 あまり気は乗らないが、スラムにある古巣(暗殺者ギルド)までカケイを尋ねにいくべきかとも考えたが、いまリサから離れるのはどう考えてもリスクが高すぎる。かといってギルドまでリサを連れていくわけにもいかない。

 こんなときに組織力のなさが露呈する。フリーの暗殺者(アサシン)ってのは立場が弱い。すべての行動に選択肢が伴い、ひとつ外せば命を失う。それでも古巣に戻るつもりはさらさらないが。

 少し考えて、俺は正直に応えた。



「いや、今日はもうない。買い物なら付き合うよ」

「やったねっ。じゃ、お昼食べたら晩ご飯の材料買いに行こっ。ついでにデートっ」

「デートか。響きが甘酸っぱいな」



 おっと。ちょっとだけいま胸キュンがきたぜ。

 これだから恋バナはやめられねえ。



「胃酸出てない? お腹の調子悪い?」

「おまえって変なところでオッサン入るよな。至って健康だ」

「冗談に決まってるじゃん。ヴァンは時々乙女入るよね。んふふ、初キッスの味はレモンなのかな?」



 示唆するように唇に人差し指をあてて照れくさそうに笑うリサだったが、そのときの俺はカケイに言われた言葉を思い出していた。



「……どいつもこいつも俺を乙女扱いしやがって……」

「え? 誰にされたの? 浮気はだめだよ。ヴァンをからかってもいいのはわたしだけなんだから」

「やめてくれよ。相手は男だよ」

「そっちもいけるの!? ……そ、それはそれで……」



 グビっとリサの喉が鳴る。

 そういうとこだぞ、乙女に巣くった心のオッサンよ。



「おい。妙な想像をするんじゃあない。それより腹が減った」



 しかし買いだめもせず、律儀に毎食生鮮食材を仕入れて作ってくれるのはありがたい限りだ。

 そのおかげかは知らんが、最近は肉体が若返ったように軽い。



「あ、そだね。作ろ作ろ~」

「手伝うよ」

「いいよいいよ。お昼は簡単なものだから」

「そか」



 リサがキッチンに立つ。野菜と包丁を取り出して刻み始めた。嬉しそうな顔だ。

 ふと思い立ち、俺はその背中に尋ねてみる。



「ああ、そうだ。リサ、カケイって名に覚えはあるか?」

「……カケイ……? ああ、うん。有名な暗殺者(アサシン)さんだよね。暗殺者ギルドのマスターになったっていう。知ってるよ」



 トン、トン、トン。包丁を動かす音だけが響く。



「怖いよねえ。彼の前のマスターって、悪いことばかりしてて殺されちゃったんでしょ」

「……」

「そんな危ない地位に自分からつくなんて、ちょっと心配。何か理由でもあったのかな」

「……かもな」



 続く言葉はない。

 それがすべてであれば、リサのカケイに対する知識は、王都なら大抵の人が持っているものに過ぎない。タイムスに目を通したことのある者なら誰だってそう言うだろうし、そうでなくとも悪名高きってやつだ。

 カケイはこう言っていた。


 ――へえ、リサちんか。顔と同じで、かあいい名前だね。ま、俺の知ってる彼女の名前とは、ちょ~っと違うみたいだけど。


 その口ぶりからは、何らかの接点があることを仄めかすように聞こえたが。

 そうじゃなかったとするなら、リサ自身がそれなりに有名人だってことになる。いや、しかし、この街に彼女を知っていそうな人間はいなかった。そりゃもう不自然なくらいにだ。

 だとするなら、やはり出身は貴族街である可能性が高い。そこの有名人だとするなら。



「おまえ、イスパル家のお嬢ってわけじゃないよな?」

「わたしが? あははっ! 王族なわけないじゃん! お姫さまには憧れるけどー!」

「そろそろ教えてくれないか」

「ごめんね。でも、ヴァンにこれ以上の迷惑はかけないから」



 頑なだな。

 やはりカケイを締め上げるのが手っ取り早いか。だが、いまリサの側を離れるのはどう考えても悪手だ。

 まずったな。

 用水路のアジトでカケイに遭った日、意地でも聞き出しておくべきだった。その貴重な時間を小娘の臀部(しり)を意味なく追い回すという変態行為に費やしてしまった昨日までの自分を、しこたまぶん殴ってやりたくなる。

 尻なんていつでも見れるだろ。いまだってこうして。



「……お尻触りたいの?」



 堂々巡りになりそうだった思考が、リサの声で引き戻された。



「あぁ? いきなりなんだ?」

「さっきから見てるから。触る? ヴァンなら触ってもいいよ」

「見てたか? 俺が? 紳士だぞ?」

「見てた見てた。もうすんごい見てたよ。触る?」

「そうか……。見てしまっていたか……」



 臀部を追いかけていたときのことを思い出していたからか。そうか。

 目を閉じて、一旦心を落ち着ける。

 懐から紙たばこを取り出して、自身が先ほど拾ったたばこを火もつけずに咥えっぱなしだったことを思い出した。

 リサが苦笑いを浮かべる。



「図星つかれて動揺してる?」

「してない」



 俺は二本目のたばこを唇にねじ込んで、震える手で同時に火をつけた。

 煙い。



「身体に悪いよ」

「悪くない」


楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。

今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様ですヽ(´▽`)/ 男同士ですら容易に想像出来てしまう辺り、リサちゃんって腐の才能もありか?(笑) [一言] 甘酸っぱい響きからの返答が「胃酸出てない?」……は想定外にも程があ…
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