第10話 どこからどう見ても立派な不審者。
周囲に人がいないことを確認してから、俺は水路から歓楽街の裏路地へと駆け上がる。この歓楽街は、王都東端の繁華街と隣接している。もしも平民街で仕事を探すなら、繁華街が手っ取り早いはずだ。
だが手がかりもなくデタラメに捜したところで見つかることはないだろう。幸い、もうすぐ昼食時だ。クロフト邸に戻っている可能性に賭けた方がマシか。
俺は繁華街に背を向け、平民街を西へと走る。中心部にあたる貴族街を駆け抜ければ早いが、あいにく用のない平民は立ち入り自体が禁止されている。入れるとすれば教会関係者か、あるいは貴族の奉公人くらいのものだ。
グラント王ガディ・イスパルは、徹底した血統主義者なんだ。だから外縁部にあたるスラムの民は、住民登録さえされていない。
これが王都の闇だ。諸外国からはその景観を賛美されるグラント王国だが、実際には汚いものを端に寄せただけに過ぎない。
俺は貴族街を避けて平民街のストリートを弧を描くように走り、クロフト邸まで帰ってきた。息を整える間もなく、自宅のドアに鍵を差し込んだ――が、……回すまでもなく、木製のドアは開いた。
ふぅと、長い息を吐く。
「リサ、いるのか?」
尋ねながら踏み込みかけた俺は、その足を止めた。
肝を冷やした。
「……おいおい……頼むぜ、神さま……」
荒らされてたんだ。靴入れの棚からはすべての靴が投げ出され、中に入りゃ俺のソファは刃物で裂かれて破られていた。
寝室のクローゼットにあった俺とリサの服も散乱しており、ベッドに至っては強引にひっくり返されていた。他の部屋もまあ、似たようなもんだ。
ご丁寧に地下食料庫まで立ち入ったらしい。
「物取り……じゃあねえな」
金目のものはうちにはないが、それでも物取りならば引き出しなどもすべて引き出され、スプーンやフォークなどの中身が転がっているはずだ。
だが、荒らされたのはソファ、ベッド、クローゼット。その他も含め、どれも人間サイズのものが隠れることのできる家具ばかりだ。
つまり、誰かが誰かを捜していたということに他ならない。
どっちだ?
誰を捜してた?
俺か? リサか? すでに連れ去られた後か、あるいは前か?
俺には恨みを買う覚えが山ほどある。
だが、ヴァン・クロフトの正体を知る者は、カケイくらいのものだ。むろんリサには気づかれている可能性もあるが、リサが俺を狙うというのはもはや考えづらい。初日から何度も襲わせる隙をあえて与えてきたが、あいつは何もしなかったから。
だとすれば、やはりカケイの忠告通り、狙いはリサか。
ざわり、鳥肌が立った。怒りで視界が真っ赤に染まる。
どこのどいつだ……ッ!
「ただ~い――まあっ、何これぇ~……?」
その声に振り返った俺は、全身脱力した。
やっぱ神はいるのかもしんねえ。買い物袋を抱えたリサが、玄関口に立っていたんだ。ドアを開けたままな。
「リサ!」
「ヴァン、これ何? 何かあったの?」
俺はリサに駆け寄ってその腕をつかみ、強引に屋内へと引き込んでから、外を確かめる。人影はどこにもない。
ドアを閉じて鍵を掛け、息を吐く。いや、鍵は変えなきゃだが。それでもリサが無事で戻ってきてくれたことで、安堵して。
「お掃除大変そう。泥棒かな」
「何も盗られてない。この意味がわかるな」
「……わたしのせい?」
「俺には判断できん」
リサの過去を知っているわけじゃないからだ。
リサは買い物袋をテーブル上に置くと、あろうことか手を洗っていつも通り二人分の昼食を作り始めた。
ハムを薄切りにして、野菜と一緒にパンに挟むつもりらしい。
のろのろと。
「リサ」
「うん。お腹減ってるよね。もうちょっと待ってて」
ゆっくりと顔色が青ざめていく。
「リサ!」
「わかってる。二度とこんなことはさせないから」
させない? どういうことだ? リサが命じたのか?
違うだろ。リサが狙われたんだ。“影”じゃなく、リサが。その何者かと話をつけにいこうとしている。
そいつらはリサの過去に関係があって、リサはそこから逃げて俺のところにきた。場合によっちゃ、帰すわけにゃいかねえところだ。
「誰に狙われてるんだ。いい加減話せ。俺には――」
少し迷って、歯がみして、喉の奥から言葉を絞り出した。
「――俺には、おまえを助けてやれるだけの力がある」
でも、そんときゃサヨナラだ。
“王都の影”の力を行使するということは、そういうことだ。人殺しが他者とともに生きることはできない。
いや、違うだろ。
最初っからそうだったじゃねえか。これはリサの問題じゃなく、俺自身の問題だったはずだ。ただちょっと、この生活が楽しくて、忘れていたかっただけで。
だが、リサは。
「……言えない。でももう、二度とこんなことはないから。大丈夫。ヴァンには迷惑かけない。あ、ソファ、あとで綿を拾い集めて縫うね」
「リサ!」
「五日後」
リサがパンの上にのせた具材の上に、さらにパンをのせる。
何の変哲もないサンドウィッチだ。
俺は次の言葉を待った。やがて、彼女は口を開く。
「五日後なんだ、わたしの誕生日。忘れないでね」
このときの彼女の表情は、よく覚えている。
俺はこの言葉の意味をもっと考えるべきだったんだ。思い返してみろ。
誕生日を教えた後に「忘れないでね」なんて言葉が最初に出てくるか? 記念日を忘れた事例があるならば、それは正しい言葉だ。なぜなら、釘を刺すための言葉だから。あるいは、すがりつくような言葉だ。
なら普通は何て言う? 彼女が言うべき言葉は「覚えておいてね」であるべきだったんじゃないのか?
似ているように見えて、微妙にニュアンスが違う。
たぶん、リサが俺に対して出した精一杯の「助けて」だったんだと、このときの俺にはまだ気づくことができていなかった。
皿にのせた料理を持って振り返ったリサは、涙を流さずに泣いているように見えた。
とってつけたような談笑で食べる食事は、味がしなかった。
翌日から俺は、賞金首を捜すことをやめた。
止めても聞かずに仕事探しや買い物に出かけるというリサを、尾行することにしたんだ。仮にリサが家にこもったところで、俺と離れた時点でもう危険であることは間違いない。鍵を掛けたって無駄だ。賊が入ろうと思えば、クロフト邸なんて簡単に侵入される。
貴族さまの館じゃあないんだから。
結局、リサの身柄は俺が守るしかないんだ。彼女が望まずともな。
けれどその日は、俺の心配をよそに何も起こらなかった。
ただ、俺の尾行を知ってか知らずかリサは仕事探しに繁華街には向かわず、郵便屋の近くにある雑貨屋で買い物を済ませただけだ。店に入ったときは姿が見えず心配だったが、すぐに出てきた。
「……ふう……」
その後は屋台で串焼きを買い食いし、のんきに食べ歩きだ。彼女の側を何者かが通るたびに俺は身を固くしたが、何にも起こりゃしねえ。
二軒目の露店で再び串焼きを買っている。今度は肉串だ。ちなみにさっきのは貝だ。
モッチャモッチャモッチャモッチャ食べながら、ふらふら歩いている。
三軒目は露店の果物屋だった。店主と楽しげに談笑し、二つのリンゴを買った。どうやら三つ目をおまけしてもらえるらしく、喜んでいる。
果物の露店から離れた瞬間、リサはおまけ分のリンゴを紙袋から取り出して、口へと運んだ。
「……あんにゃろ、食い過ぎだろ……」
すれ違った子供に手を振っている。
どうやら顔見知りのようだ。何なら老人とも挨拶を交わし、お菓子のようなものを受け取るのを見た。
リサはキョロキョロと周囲を警戒しつつ、お菓子を口に詰め込む。
「……ええ、まだ食うのかよ……。夕飯前だぞ……」
さっきの子供が戻ってきてモガモガ状態のリサを指さし、笑った。恥ずかしそうにしている。全部食い切ってから買い物袋を置いて、子供を追いかけ回し始めた。
食後の運動は大事だ。でも大丈夫? 逮捕されない?
一通り子供とじゃれ合い、彼らを見送ってから歩き出す。
「……おいおい、あのぽんこつ娘、買い物袋忘れてんぞぉ……」
いっそのこと、俺が持って帰ろうかとも思ったが、そうすると尾行がばれてしまう。迷っていると、リサが大慌てで走って戻ってきた。
左右を見回し、買い物袋を見つけ、中から財布を取り出して確認。胸をなで下ろした。
むしろ、逆に俺が焦った。
「……財布は肌身離さず持っとけよ、もう……。……そんな大事なもん忘れるなよぅ……」
その後、リサは何事もなかったように帰路についた。
至って平和。
一日中、彼女の尻を追いかけ回していた俺は、夕暮れの空を見上げて思ったね。
「俺ぁ、いったい何してんだろう……」
どう考えても俺が今日一番の不審者だ、コレ。
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