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第1話 他人の善意にはつけ込むべし。

中編ですので、気軽に読んでいただけると幸いです。

 初めて人を殺したときのことを、いつまでも覚えているやつがいる。俺に言わせりゃあ、そんなことを語りたがる時点で、そいつはもう三流だ。早晩、王都の夜に沈むことになるだろう。

 闇をまとい、夜に潜む。呼吸をするように喉を裂き、命を刈る。幾度もそんな夜を繰り返すうちに自分がまともだった頃のことなんざ忘れるし、誰かに語って聞かせようなんて思いも失せる。

 だから俺は最初の殺しを覚えていない。場所が、王都外縁をぐるり取り巻く貧民街(スラム)だったってことくらいだ。つまり、よくある話ってことだ。


 気づけば地下組織に飼われ、人を殺していた。それも組織のボスを殺るまでの話だ。

 組織はガキをさらって売買していた。俺は他より少しだけ使えるガキだったから、肥え太った貴族どもに売られることなく、組織に体よく使われてたってわけだ。

 恩義が消えたら、嫌悪だけが残った。

 そんなわけでボスの喉を裂いた。義憤じゃない。私怨でな。


 しかしいざ自由を得ても、結局のところ俺にできることなんて殺しだけだった。骨の髄まで染みついた暗殺業が抜けず、俺は以降も殺しを続けている。

 依頼を受けて、殺す。

 やってることは組織と一緒だ。だが、依頼を選別できるようにはなった。少なくとも善人は殺さずに済む。報酬が足りなきゃ、仕事の際に目標(ターゲット)から持ち去る。金は天下の回りもので、死者には過ぎたる何とやら。


 そんな暮らしを続けるうち、俺は“王都の影”と呼ばれるようになっていった。

 “影”と俺、つまり平民ヴァン・クロフトを同一視するやつは、いまのところはまだいない。そんなこんなで順風満帆な暗殺者人生を送っている――はずだった。

 だが年齢も四十を迎えた頃、俺の暗殺人生に暗雲が立ちこめ始めたんだ。


 夜の帳よりもなお暗く。

 標的を路地裏に追い詰める。手には愛用のナイフが一振り。そいつで頸部を撫で斬ろうした瞬間、逃げる一方だった標的が唐突に身を翻し、嗤いながら腕を振った。

 やつの右腕から炎が発生し、炎色の刃となって俺の喉元へと迫る。炎の魔法だ。



「灼け爛れろ、薄汚い暗殺者(アサシン)め!」



 追っていたつもりが誘い込まれたか。

 だがまあ、この程度で慌てるのは、王都界隈じゃまだ二流だ。なにせこの街には、超一流の暗殺者()がいるのだから。


 想定通りのそれを頭を下げることでかいくぐり、俺は平然とやつの頸へとナイフを振るう。ヒュっと風を切る音が静かに鳴った。



「――ッ!?」



 刃先が掠ったが、浅い。

 逃げながら次々と放たれる炎の魔法を追いながら避け、俺はついに標的を壁際へと追い詰めた。言葉はない。

 刃は黙して語らず。

 格闘の末に怯えるやつの口を左手で覆って壁へと押さえつける。



「ぐ……ッ」

「……」



 詠唱は封じた。これで威力の高い魔法は使えない。

 一瞬の躊躇いもなく右手に持ったナイフで喉を素早く掻き切る――直前に俺は、とある視線に気がついて手を止めていた。



「――?」



 深夜の繁華街へと続く路地裏の入り口から、そいつは猫のように闇の中で爛々と輝く瞳を、こちらに向けていた。

 ただ何となく覗き込んでしまったか、あるいは物音や魔法の光に釣られて視線を向けてしまったか。何にせよ、見られてしまった。面倒なことにな。

 そこに視線を取られた瞬間、標的が暴れて俺の左腕に燃え盛る爪を立てる。



「~~ッ」

「……動くな」



 闇に溶ける黒色の長衣は、金属糸を編み込んだ防刃繊維だ。魔獣ならばともかく、人間の爪など通さない。多少の炎では簡単に燃えないのも金属糸の長所だ。

 やつの蹴り足が上がる前に、その膝を自分の足裏で押さえつけ、俺はやつの口を押さえた左手にさらに力を込めた。



「もう一度言う。動くな。声も出すな。次は忠告しない」



 標的が痛みに顔をしかめ、諦観の念を浮かべる。やつの両手からは魔法の炎が消失していた。

 さて、どうするか。標的のことじゃない。こいつは殺す。問題は目撃者の方だ。

 どうせ仮面で顔は隠している。誰かに目撃されたとしても、普段なら暗殺()を止める理由にはならない。

 それに今回の標的(こいつ)は悪党だ。強い依存性から流通禁止にされているリーリクードの花を、貴族どもの社交界に流すルートの元締めだ。正義ぶるわけじゃあないが、逃がせば犠牲者は増える一方だろう。遠慮なく殺せる。


 が。

 俺はもう一度路地裏の入り口へと視線を戻した。



 まだ見とんなァ。こっちガン見しとんなァ。いや、むしろさっきより近くないかい? 気のせいか近づいてきてない?



 シルエットはまだ子供だ。入り口からこっちを見てたやつは少女だった。

 顔つきから察するに、年の頃は十代中盤といったところか。教会のシスターのような服装だが全体的に白っぽく、あまり見かけない格好をしている。

 どうにも、子供の視線というものに弱い。スラム上がりの殺し屋風情がと笑われるだろうが、少なくとも子供の目に暗殺なんて穢らわしい仕事を見せてはならないと、そう考えている……んだけどぉ~。

 少女は俺が見ている間にも。



 やっぱり近づいとんなァ。だんだん近づいとんなァ。危機感死んどんなァ。ネコ科の動きしとんなァ。



 舌打ちを堪えて俺はナイフを隠すために長衣で覆った背中の鞘へと戻し、標的の足を払ってうつ伏せに転ばせた。左手を地面に踏みつけ、右腕は背中へと回してねじ曲げ、背中に膝を落として拘束する。

 その状態で、彼女が通り過ぎるのを静かに待つことにした。

 一歩ずつ、近づいてくる。警戒は怠らない。少女に対しても、標的に対してもだ。足音が近づき、そして離れて――いかない。

 俺の背中で止まってしまった。息づかいが聞こえるくらい近くで。



 いや、距離感よ。肩越しに覗き込むな。てか、なんで立ち止まったの。



 俺は肩越しに振り返った。

 少女は一歩の距離から、俺たちを見下ろしていた。猫のように若干つり上がった大きな目で。

 白の修道服に、白の頭巾(ウィンプル)、背は低く、俺の胸あたりまでだ。ウィンプルから流れる髪は長く、薄暗さの中でもわかる太陽の光のような色をした直毛だった。

 俺は息を呑んだ。


 バカげてるが、天使像が動いていると思ったよ。

 神職だろうか。だがそれにしちゃあ、教会じゃ見たことのない色の服装だ。



「……」

「……」



 まだ見てる。無垢な視線に変な汗が出てきた。

 暗殺者人生四十年。初の珍事だった。

 すんごく気まずい。見ないで欲しい。だが彼女は去らない。背筋がむずむずする。

 仕方なく。俺は意図的に声を落として、喉から絞り出した。



「あ~、何か用かい?」

「……」

「用がないなら早々に立ち去った方がいい。もうすぐ雨が降る」



 真っ赤な雨が、な。

 真っ暗な空を見上げて、俺は格好をつけた。

 いいだろ、別に。若い娘の前で格好つけたって。だってオッサンだもの。

 少女は仮面をつけた不気味な()を見下ろしながら、真顔でこう尋ねてきた。



「ケンカかな?」



 そのあまりに頓珍漢な質問に戸惑った俺は、一瞬口ごもった。

 仮面は見られたが、幸いにもナイフは見られなかったようだ。だが、仮面に黒色の長衣、それにナイフは“王都の影”のトレードマークだ。気づいた上であえてそう尋ねたのか、あるいは気づかぬほどのマヌケなのか。

 俺はしどろもどろになりながらも、かろうじて応える。



「や、これは……。……まあ、そんなとこ……だ……?」

「やっぱりね。ケンカはよくないよ?」



 少女がフンスと鼻息を荒げて、両手を腰にあてた。

 標的の視線が少女へと向けられる。媚びるような視線だ。

 助けてくれ。どうか行かないでくれ。殺されてしまう。

 そう訴えかけてやがるのさ。散々人を傷つけ地獄に落としてきた輩が、何をいまさら乞うのか。それもこんな小娘に。

 いますぐにでも殺してやりたい。だが。


 だがその視線を受けてなのか、少女には歩き出す気配はない。上流階級の子供特有のクソ甘ったるい正義感なのか、あるいは神職なればこその教義のせいか。

 いっそこのまま頸部を掻き切って逃げるかとも思ったが、やはり子供の前で殺すのは気が引ける。ましてや神職ともなればだ。

 暗殺者人生四十年、こんな生業でも救われたいのは標的と同じで、俺は神を信じることにしている。



「~~ッ。……はぁ~……」



 やがて俺は、標的の耳元に唇を近づけて囁いていた。少女には聞こえない、吐息の声でだ。



「……今回は逃がしてやる……叫ぶなよ……」

「……!」



 標的が何度もうなずく。俺はやつの右腕を放し、ゆっくりと、その背中に立てていた膝を上げた。むろん、妙な動きをすればすぐにナイフは抜ける体勢で。

 だが先ほどの追走と格闘で俺には敵わないことを理解したのだろう。やつは怯えた表情のまま、壁際まで後ずさった。

 俺は立ち上がり、努めて優しく語りかける。



「やり過ぎて悪かったなあ。だが、今回の件はおまえが発端だ。いいか、よく聞け。ここから先は、おまえの友人としての忠告だ」



 声を低く落とす。

 圧力をかけるように、殺意を込めた視線を叩きつけながら。



「誰しもに影はついて回る。“()”はいつもおまえを視ている。……次はない」

「へえ、いつも見守ってくださるなんて、神さまみたいだねっ」



 少女の陽気な声に、俺は表情をゆがめた。

 大事な場面で緊張感が消えるからやめてくれ。それにどちらかと言えば、俺は悪魔に近いんだが。



「行け」



 そう告げると、標的は怯えた表情のまま背中で壁を擦って後ずさり、少し離れてから転がるように逃げ出していった。

 俺はその後ろ姿に笑顔で手を振って見送る。友人に対してそうするようにだ。



「いいか~? もう二度とやるなよ~」



 ああ、何年ぶりかねえ。暗殺を失敗するだなどと。依頼人にどう釈明すればよいのやらだ。

 少女の方を振り返る。



「これで満足かい、お嬢さん?」

「うんっ。間違いを正してあげるなんて、お友達想いなんだねっ」

「だっろー? 俺はとってもいい人なんだ。うふっふー」



 こくりとうなずく顔には笑顔があった。花が咲くようなガキの笑顔だ。今回の報酬はこのツラで我慢する他ないようだ。

 つかこいつ、本当に俺が暗殺者だってことに気づいていないのか。だとすれば相当なぽんこつだ。王都じゃ“影”という暗殺者の話は、赤ん坊以外なら大体知ってるだろうに。

 悪さをした子供に親が「“影”に呑まれるわよ」と語って聞かせるくらいには。



「でも、おまえさんはもう帰った方がいい。夜は危ないからね」

「ん? オジサン、いま自分のことをいい人って言ったよね」

「うん。言った言った。だからさっきのケンカのことは、騎士団には秘密だゾ」



 これが心まで透き通る真っ白な天使のようなガキと、指先までどす黒く染まった悪魔のようなオッサンとの出逢いだったんだ。

 俺は闇に紛れる黒色の長衣を翻して、彼女に背を向けた。



「じゃあな、嬢ちゃん。もう深夜に出歩くんじゃないぞ。王都には俺と違って、怖ぁ~いオジサンや、悪ぅ~いオジサンも、い~っぱいいるからね」

「うん」



 後ろ手を振って、渋く立ち去る――つもりだった。

 テコテコと響く足音がついてくる。

 当初は帰り道が同じ方角だからだろうと安直に考えていたが、何度路地裏の角を曲がろうが、その足音が背後から消えることはない。



「……」

「……」



 特に用はないが、角を曲がる。

 足音は消えない。



「……」

「……」



 四回同じ方角に曲がって、元の殺人未遂現場にまで戻ってきたときに諦めた俺は、ついに振り返った。



「まだ何か用? なんでついてくんの?」

「帰れないからだよ」

「迷子……?」



 さすがに迷子って年齢ではなさそうだが。十代中盤だよな。

 少々幼くは見えるが。



「あはっ。そんなわけないじゃん。覚えてないだけだもん」

「家の場所を?」

「うん」

「それを世間一般では迷子っていうんだ」



 なんだ、ただのぽんこつか。



「違う違う。そうじゃなくってさ、記憶がないんだよ。記憶喪失」

「ええ~……?」



 想定の上をいくぽんこつだ。

 少女が後ろ手を組み、俺を見上げて笑った。



「あははっ。仮面越しでもわかる面倒くさそうな顔っ。なんかごめんね。でも、言うね」



 嫌な予感がする。続く言葉を聞きたくない。

 記憶喪失が嘘だとしても、たとえ真実であっても、こういうタイプの女は特に面倒だからだ。


 本来なら見回り騎士にでも引き渡して終わりだが、俺はいま仮面を装着している“王都の影”だ。暗殺者(アサシン)だ。重犯罪人だ。出頭からの自首になっちゃう。

 だからといって、ここで仮面を外して騎士に引き渡そうとしたら、今度はこの小娘に俺の素顔を見せてしまうことになる。

 そして言葉は吐き出された。



「ねえ、いい人のオジサン。今晩、泊~めて?」



 俺は無言のまま踵を返し、全力で逃走を図った。

第2話は後ほど投稿予定です。


楽しんでいただけましたなら、ブクマや評価、ご意見、ご感想などをいただけると幸いです。

今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。

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