貧乏令息は初恋の令嬢に永遠の誓いを捧げる
この日、アレッサンドラはライハルトに連れられて、グリード伯爵領にある森の中へ来ていた。
グリード伯爵家の先祖が眠るその場所で比較的新しい二つの墓標の前で立ち止まる。
「お祖父様、お祖母様。今日はお二人に紹介したい女性をお連れしたのです。アレッサンドラ様です。私の、いとしい女性です」
少し恥ずかしそうに、けれどどこか誇らしげに胸を張ったライハルトから紹介を受けて、アレッサンドラは笑顔でカーテシーを取った。
「ロイハルト・グリード様、カリン・グリード様。はじめまして。ラート公爵家一女アレッサンドラと申します。この度、縁あってライハルト・グリード様と婚約を交わさせて戴くことになりました。よろしくお願いいたします」
そうして、心の中で続きを告げる。
『沢山の、辛い出来事を乗り越えてきた彼を、私は必ず幸せに致します』
父と母の愛に恵まれなかったライハルトを思うと胸が痛む。
アレッサンドラには想像することしかできないし、ライハルト自身は「もう終わったことですし、大したことでもなかったです」と笑うが、その笑った顔もアレッサンドラには胸に迫るものがあるのだ。
――昔、訓練所で見ていたライの笑顔を取り戻したい。
アレッサンドラが、それを見たいのだ。エゴでしかないと分かってもいた。
それでもきっと、ライハルト様のおじいさまもおばあさまも、それを見たいに違いない。
誓いを胸に顔を上げる。
そうして振り仰げば、愛しい婚約者が二つの墓標へ愛しげに視線を送っていた。
多分、今のアレッサンドラのように心の中でお二人と会話をしているに違いない。
その内容まではわからなくとも、その視線の柔らかさだけでアレッサンドラの胸は温かいもので満たされた。
どれ位の時間、幸せそうなライハルトが、祖父母の墓標へと報告している姿を見ていただろう。
季節は刻々と冬へ向かっている。
森の木々は色を変え葉を落とし、辺り一面、積もった落ち葉でふかふかだ。
一日の終わりは日に日に早くなっており、朝晩は冷え込むようになっていた。
けれども、まるで春の日差しの様な温かい陽差しが、この森の奥の隅々まで照らしていた。
美しい森だ。人の手が入らなくなった森とは明らかに違う。丁寧に手入れが行き届いている。特に、この墓地の周辺は下生えも綺麗に刈り込まれ、降り積もるばかりの筈の枯れ葉や小枝も取り除かれている。
ここに来るまでの間、ライハルトが話してくれたように、管理者がいない間も領民が善意で手入れを続けてくれたに違いない。
借財だらけだと貴族の間では蔑まれていようとも、森の中にある墓所がこれほど領民から大切に扱われているということは、ライハルトの祖父ロイハルト様がそれだけ素晴らしい領主であったという証だろう。
学園を卒業してライハルトと夫婦になるということは、アレッサンドラはこの地の領主夫人となるということでもある。
ロイハルト・カリン夫妻が大切にしたライハルト本人だけでなく、もう一つの大切にしてきた領地領民も受け継ぐのだと、アレッサンドラは気を引き締めた。
――ちょん。
眉間を指で押さえられ、その不意打ちにアレッサンドラは「きゃっ」と声を上げてしまった。
額を取り返し再び攻め入られないよう両手で押さえる。
ふるふると震えるアレッサンドラに、ライハルトは目を細めて問い掛けた。
「皺できますよ。そんなに真剣に、何を考えていたのですか?」
令嬢に対してあまりにも失礼な物言いをしながら、ふわりと幸せそうな顔をして笑うライハルトに、怒っていた筈のアレッサンドラは胸の動悸を激しくした。
つん、と顎を上げて顔を背けながらも答えた。
「……前領主として、領民から今も愛されているロイハルト様とカリン様に恥じない働きをしなければと考えておりました」
決して、ライハルトの笑顔をライのそれにしたいとも考えていたなどと口にすることはない。
だが、ライハルトには、その耳まで赤くなっているアレッサンドラが口にした以外の事も考えていたことは想像に難くなかった。それがなんなのかまではわからなくとも口にした以外の何かがあることくらいは想像がついた。その程度には、傍にいる。
敬愛する祖父母の眠る地で、真剣にアレッサンドラが考えることなど、たぶんきっとライハルトの事だろうと思えるくらいには、己惚れても許されるだろう。
幼い恋を、こうして叶えることができたのは、アレッサンドラが手を差し伸べてくれたからだ。
その恩に報いる為に、今日ここへ一緒に来て貰った。
「アレッサンドラ・ラート様。私のこれまでの人生は、あまり明るいものではありませんでした。真っ暗闇の中、ひとりで放り出されて歩いて来たようなものでありました。けれど、そんな私を、いつも貴女がくれた言葉が私を立ち上がらせてくれました。私が後ろ暗い道へと迷い込まないで済んだのは、アレッサンドロとの出会いがあったお陰です。貴女が訓練所で言っていた言葉を、いつも思い出していました」
「わたしの、言葉ですか?」
アレッサンドラには幼い自分がライハルトにどんな言葉を贈ったのか、まったく思いつかないようだった。
それだけあの言葉はアレッサンドラにとって当たり前の言葉だったのだろう。そう思うとライハルトの胸が温かくなる。
自分を卑下することなく研鑽しつづけるアレッサンドロの姿を、追い掛け続けてよかったと。
そのまま、アレッサンドラの前に跪く。
そうしてようやくサイズ直しから戻ってきたそれを、ポケットから出した。
「ずっと、貴女に照らされ支えられて生きてきました。これからは、貴女の一番傍で、貴女を照らす光になりたい。貴女を支える力になりたい。どうか、私と結婚してください」
プロポーズのやり直しは、ふたりが生きていくことになるグリード伯爵領、敬愛する祖父母の前でとライハルトは決めていた。
ちいさなアクアマリンが煌めくそれを掲げて、ライハルトはアレッサンドラへ愛を乞う。
今のライハルトには大きな宝石など買えない。この小さな石を集めた指輪を贈るのが精一杯だ。
でも、そこに籠めた想いは誰よりも大きいと自負していた。
「はい。……はい。うれしいです。でも貴方を……、初恋を、金貨で買おうとした女でも、よいのですか?」
「貴女で嬉しい。貴女が良かった。貴女でなかったとしても、どんな方が私を買って下さったとしても、私は誠心誠意その方に侍り、幸せにするのだと誓いました。けれど、それがアレッサンドロだと知って、私がどれだけ嬉しかったか、貴女にはわかりませんか?」
「……あ、アレッサンドロと呼ぶのはおやめください」
「失礼。アレッサンドラ様に購入して頂けたことを神に感謝しなかった日などありませんよ」
震えるアレッサンドラの手を取り、そっとその薬指に指輪を嵌める。
嵌められる指も、嵌めようとする指も震えているから、なかなかそれは入っていかなくて、その内二人で笑い出した。
やっとの思いで指輪を正しい位置まで嵌めると、しっかり手を繋いで祖父母の眠る墓へともう一度報告する。
「勿忘草の咲く頃に、このグリード伯爵領で結婚式を挙げます。どうか見守っていてください」
青い小さな花が咲き乱れる頃。
二人は結婚式を挙げるのだ。この土地で。永遠の愛を誓う。
建設途中の新しいグリード伯爵邸も学園卒業までに竣工する予定だ。
内装に関してはゆっくり勧めて行けばいいと言われているが、花嫁を迎え入れるまでには生活に不便のないようにしたいとライハルトは思っていた。
幸い、領民もこの結婚を祝福してくれており、なんでも手伝うと申し入れてくれている。
隣の領地であるハーバル子爵家とも、ブラン伯爵の取り成しの下、関係の修復がなされている。
ソニアは卒業を前に行儀見習いに出された。
「平民に落とす」と父であるハーバル子爵からは申し出られたが、そこまではアレッサンドラが望まなかった。ただし、二度とグリード伯爵夫妻となる二人の前に姿を見せることは許されない。それを破った時は新たな制裁が加えられることになる。
このまま一生涯、近寄ることなく過ごす、それが双方にとって幸せだ。
「次にここへ来る頃には、暖かくなっているでしょうね」
樹々の間から差し込む陽ざしの中で、アレッサンドラが微笑む。
ライハルトの目には、その後ろに、ちいさな花々が満開になっているのが見えた気がした。
白いドレスに身を包み、微笑む愛しい人の姿が。
ふたりは手を繋いで寄り添いながら、ゆっくり歩いて森を後にした。
このお話はこれで完結です。
長々とお付き合いありがとうございましたv
引き続き、アナザーストーリーをお楽しみください♪