8-13.貧乏な王子とお金持ちなお姫様
8-13.
力負けして何度木剣を取り落とそうとも腐ることなく鍛錬を積み、何度でも立ち向ってきた仲間の姿。その笑顔の記憶。
『でも、僕の方が技は冴えてる。次は避け切る』
『僕の身体が筋力に長けていないからってなんだっていうの? 自慢できるところは他にある』
記憶の中の、その言葉。その言葉を告げた時の、その表情。
いつだって、力にしてきた。
『やぁ、勝ったぞ。次も負けない』
――自慢げなその笑顔を、自分だけに向けて欲しいと願ったのは、いつからだったろう。
記憶に在る強い瞳の幼い初恋の相手の面影を、腕の中にいる美しい婚約者に見る。
最後に会ったあの日の揺れる瞳と、今の婚約者の瞳が揺れる姿が重る。
あの日、瞳を揺らしたものは、ずっと目標としていた公爵家を継ぐという輝かしい未来を奪われたせいだとして、今その瞳を揺らしているのは、それと同じくらい大きなものを失いそうだからだと己惚れてもいいだろうか。
すう、と大きく息を吸い込んで、ずっと告白したかった言葉を告げる。
「そして、私も。初恋の、訓練所の君と婚約できるという奇跡に感謝しているのに」
「……くんれんじょ、のキミ?」
ライハルトが告げた言葉の意味がわからない様子のアレッサンドラに、自然に笑みが浮かぶ。その耳元でそっと囁いた。
「アレッサンドロが女性で、本当によかったです」
「バレてた?!」
大きな声を上げてきょろきょろと辺りを見回して、慌てて首を竦める。
その首すじが真っ赤になっていた。可愛い。
その姿に、多分きっと間違いなく、笑ってしまったのは、ライハルトだけではない。
後ろにいるであろう、ライハルトを連れて来てくれたスイも、ベントも、訓練所の仲間は皆だ。
入学式で顔を見て、記憶にある挨拶することなく辞めてしまった仲間の面影の残る面差しに陶然とし、ただ女性形に直しただけの名前に愕然としたあの日。
愕然としなかった仲間などいなかったのだから。
そして、ライハルトはその時の表情や会話から、皆、アレッサンドロにライハルトと同じ淡い想いを抱いていたのだろうと感じていた。
気のいい奴等ばかりだ。だから誰かひとりでも婚約者がいなければライハルトに代わりアレッサンドラの見合いの席に呼ばれていただろう。
けれども残念ながら、皆、婚約者を持っている。
その婚約者のいる前で、それまで表立った交流もなかった美しい公爵令嬢を庇って人前へ飛び出すなど、友情を超えたものを疑われても仕方がない行為だ。暴挙ともいえる。
幼い恋を捧げた相手が、目の前で妙な言い掛かりを付けられて公衆の面前で絡まれているのを、どれだけ歯がゆく見守っていた事だろう。
それを大手を振って助けに出ていける筈のライハルトがなかなか出てこないこの状況に彼らがどれだけ苛立っていた事かという事に思い至った時、視線を感じて目だけを送ると、ベントとスイがこちらに向けて拳骨を振るう真似をしている。
『あとで滅茶苦茶ボコられるな』とライハルトは覚悟した。
仕方があるまい。ライハルトはそれだけの失敗をしでかしてしまったのだから。言い訳などせず、甘んじて受け入れるべきだろう。
けれど愛しい婚約者に対しては、今すぐ言葉を尽くして謝罪しなくては。
「借金まみれの貧乏伯爵家の跡取りとして高く買って貰えるように自分磨きに勤しんで来た身としては、自身をより高く買ってくれる人がいるというならば、どの程度高く買って貰えるのかを確認する必要があるかと思っただけです。グリード伯爵家に残る金は金貨一枚でも多い方がいいですから。あぁでも、争いのあったこの場所へ着くのが遅れたことは謝ります。友人が呼びに来てくれなかったらもっと遅れたでしょう。学園に出てきてすぐに、お傍に侍るべきでした。申し訳ありません」
少しだけ言葉に嘘を乗せた時には、頭の中で、指を交差した。
ソニアを問い詰めた時の思いに、グリード伯爵家を思うそんな殊勝な考えはなかった。あまりに醜いあの心の内をここで詳らかにする気にはなれない。その必要もないだろう。
いつかアレッサンドラの前で懺悔する日がくるとしたら、それは今よりずっとふたりの間で心の距離が近くなった時だろう。
そんな日がくることがあればいい。
けれど、言い訳として口にした内容に、自分でも違和感が酷くて仕方がなかった。
金貨一枚の為に、この腕の中の愛しい存在を諦める?
――そんなこと、できる訳がない。
「うーん。でもやっぱり私の初恋を壊すなら、金貨百枚、いや一千枚は多く……参りましたね。叶ってしまった今となっては、それでも埋め合わせになどならない気がしてしまいます」
正直な胸の内を告白する。
今更倍額払うと言われても断る。ライハルトは借財を埋め合わせて欲しかっただけで、贅沢がしたい訳ではないのだから。
「はつこ、い……? では、ライハルト様は、私との婚約で借財を埋め合わせできたから、大事にして下さっているだけでは、ないということでしょうか」
不安げに呟かれた言葉に、ライハルトは目を眇めて笑顔を見せた。
「初恋の君のおひめさまが、貧乏で身売りしようとした王子を金貨の詰まった袋を掲げて迎えに来てくれるなんてロマンチックですよね」
夢にまで見たその光景。
馬鹿な夢だと思っていたそれが、想像よりずっと夢みたいな状況で叶った。
感動、という言葉では表わし切れない幸せを、アレッサンドラにどう言えば伝わるのだろうか。
「ご自分のことを王子と言ってしまうのですね?」
照れた様子で茶々を入れてくるその顔も愛しくてならないから。
「おひめさまの相手は、王子と相場が決まってますから」
ライハルトは、負けじとそう言い張って、腕の中の愛しい人を抱きしめた。