8-12.貧乏令息は、愛しい婚約者を離さない。絶対に
8-12.
「え。……だって。だって結婚は、愛があってするものでしょう?! わたし、私はずっとライのことが、ライのお嫁さんになることが夢で」
「夢は夢のまま、自分のベッドの中でだけ見ていてください。夢でお腹は膨れないし、借金が膨れ上がるばかりだ」
妄言でしかないそれを、ライハルトは笑顔で切り捨てる。
そんな夢物語でしかない戯言で、アレッサンドラを傷つけたソニアが許せなかった。
なのに。
「これ以上、この話をここで続けるというのは野暮というもの。お二人の間で話が着きましたら、お二人でラート公爵家に説明にいらして下さい。契約を破棄するにせよ、動く金額が大きすぎて学生である私たちの一存ではどうにもなりませんから」
ライハルトの後ろから、婚約者の無慈悲な声が、聞こえた。
美しい顔の口元を手にした扇で隠し、ふわりと美しい笑顔を浮かべたアレッサンドラがそこに立っていた。
そこにあるのは、はりつめた氷のような、硬質の美しさ。
ラート公爵家の跡取りとして十年以上も磨き上げられてきたアレッサンドラが作り出した場であった。
「愛もお金もある結婚生活が送れるようになると、いいですわね」
服に付いた埃を払うように、自分に不要な物だと判断したものをあっさりと切り捨て、この場を立ち去ろうとしている美しい影へ、慌てて手を伸ばした。
自分は、彼女にとってこんなにもあっさりと切り捨てられるような存在であったのかと、切りつけられたのかと思うほど強くライハルトの胸は痛んだ。
けれどそんな痛みに怯んでいる暇はない。
みっともなかろうがなんだろうが構わない。
この人を失ったら、もう自分は息もできない。
「確かに、愛もお金もある結婚生活を、私は送るつもりなのですが。ねぇ、アレッサンドラ。貴女はそうではないのですか?」
縋りついて、泣き言だって口にして。
「ねぇ、あまりにあんまりじゃないですか? 私たちが婚約を交わしたのはつい先週です。それなのに、もう私の手を離そうというのですか。本気で?」
腕の中へと囲い込み逃げられないようにしておきながら、捨てないでくれと頼み込む。
初めての抱擁が、最後となる事の無いよう、祈る。
「……私たちの間に、愛ある生活など」
けれど、真新しい婚約者の態度は頑なで。
それほど嫌われてしまったのかと心が怯んで、ライハルトはすでに泣きそうだった。
「でも、貴女は私のコトがお好きでしょう?」
だから。
ついその言葉を、口にした。
ライハルトが、父と母に裏切られ、それでもちゃんと立っていられたのは、それを信じていたからだ。
あの春の陽ざしの中、裏庭のベンチで居眠りをしていたアレッサンドラの本から滑り落ちてきた、四葉のクローバーの栞を。
見合いの日に着ていたライハルトの色を身に纏っていた姿を。
ルチアーノが教えてくれた、婚約の破棄に反対する人物の名前を。
――『初恋の王子様ライハルト・グリードとの婚約を望んだのは、うちのお姫様自身だからね』――
その人も自分を想ってくれているのだと信じて。それを支えに乗り越えた。
初恋の、その人の名前を支えに。