8-9.金持ち令嬢は公爵家の人間としての矜持を胸に
※アレッサンドラ視点続きです。
8-9.
「わ、私の家が子爵家だって分かってるんですね? だから……爵位が下だから返事をする必要もないと?!」
いつの間にこんなに近くまで近づいてきていたのか。
すぐ目の前で大きな声を上げられて、アレッサンドラはようやく少女の訴えがまだ続いていたことに気が付いた。
それにしても少女の決めつけが酷すぎる。アレッサンドラは頭が痛くなってきた。
家名を名乗ろうとしなかったのは自分なのに、一度も同じクラスになったことのない相手の顔と名前が一致するとでも思ったのだろうか。それほど自分が愛らしく特別な存在だとでも言いたいのだろうか。
なにより、顔を真っ赤に染めて自身の言葉の正当性と怒りを訴えてくる少女に、眉を顰める。唾が飛ぶほどの顔の距離。思わず手にしていた扇で顔を隠した。
これほど理不尽に自身の正当性を激高して主張してくる相手に対して、世の理を諭してやるほどの優しさを持ち合わせていないアレッサンドラは完全に無視して彼女の前から立ち去ることにした。
淑女らしくないと思いつつも扇の陰で唇から出ていくため息を隠し、これ以上は付き合い切れないと視線を少女から移してまっすぐ歩き出す。
丸く遠巻きにしていた生徒たちが、アレッサンドラの足が動いたことに応じて目の前でさぁっと開けた。
「そうやって下に見た相手を無視して馬鹿にして。グリード伯爵家の借金程度の肩代わりなら、幼馴染みである私の家でだってできるんですからね!」
幼馴染み。その言葉に、一瞬だけアレッサンドラの思考が奪われる。
確固とした足取りが乱れ足の動きが止まったアレッサンドラの後ろから突然、ソニアがその腕を掴もうとした。
瞬間、するりと身体を翻したアレッサンドラがソニアの腕を捻り上げた。
伊達や酔狂で貴族の子弟が通う訓練所にいた訳ではない。男子に混ざって基礎からみっちりと教え込まれたのだ。暴漢に襲われてめそめそ泣いているようでは強大な力を持つ公爵家を背負って立つ人間にはなれない。
ひ弱な令嬢の動きなど、文字通りひと捻りできる。
「い、いたいです! 暴力を揮うなんてひどい。痛いです、放してください!!」
目からぽろぽろと大粒の涙を流して身を捩るソニアに、アレッサンドラは再びため息を吐いた。
高位となる令嬢に対して後ろから掴み掛かるような無礼な行いをしたのは自分であるというのに。なぜ被害者然として泣き出し、こちらを批難することができるのだろうか。
しかし、令嬢の涙はこれを狙っての攻撃であったのかもしれない。
それなりの効果があるのだろう。これ位の報復は当然だろうとアレッサンドラは判断を下したのが、周囲からはやり過ぎだという視線を浴びてしまっていた。
可憐な少女が愛を掲げて金で少女の恋人を買うような真似をした高位貴族へ反旗を翻すという、恋愛小説さながらのやり取りを興味本位で見ていた観客としては、可憐な少女の応援をしたくなるものなのかもしれない。
そこについては、アレッサンドラの計算が間違っていたというしかない。
観衆の目には、高慢で嫌な令嬢が力で捻じ伏せているという、ただ目の前にある事象それが全てなのだろう。
ならばその目を覚まさせる為に、アレッサンドラとしては自らが正当であると主張するしかない。
「暴力を揮おうと後ろから襲い掛かってきたのは貴女でしょう?」
パッと手を離すと、ソニアは「きゃっ」と小さく声を上げ大袈裟に手を押さえて後ろによろめいた。
群衆の間から飛び出して、その背中を支えた人物の顔を見上げたソニアが破顔する。
アレッサンドラとのやり取りをどこから聞いていたのだろう。
不快気な表情をした婚約者が、襲撃者を支えている。
その光景を目にしたアレッサンドラは、胸が苦しくなった。