8-8.金持ち令嬢の幼い恋
※アレッサンドラ視点続きです。
8-8.
幼い頃の幼い恋。閉じ込めたままの想いは、それでもずっと胸の奥で灯ったままで、辛い思いをする度に記憶の宝箱の中から取り出していた。
その少年は、いつだってまっすぐで、優しかった。
『アレッサンドロはすごいなぁ』
名前を男性のモノに変えて参加していた訓練所。そこで一番身体のちいさいアレッサンドラを侮ることもせず、偶に負けても腐ることもなく、ただ純粋に称賛してくれた同い年の仲間。
その笑顔の記憶は、いつだって、アレッサンドラの孤独を温めてくれた。
年上の婚約者は、アレッサンドラの婿に迎えられるという立場が下なこともアレッサンドラと身長が変わらないことも、全てが気に入らないようで、いつも冷たかった。少しでもアレッサンドラを下げる箇所を見つけて論ってやろうとしているとでもいうように観察される日々は確実にアレッサンドラの心を消耗させていく。
弟の3歳の誕生日には、「……お前の婿になる意味が無くなったかな」と吐き捨てるように告げられ、完全に心が折れた。
そうして伸び悩む技術と体力差に訓練所を辞めてしまったアレッサンドラは、幼い恋を捧げた相手が、その後においてどんな道を歩むことになっていたのか、半年前まで知らずに来てしまった。
学園へ入学した時には嬉しかった。
同じ歳である初恋の相手と会えることを想像して、胸をときめかせた。
入学式で爵位の関係により新入生代表として選ばれて上がることになった壇上から、見間違えのない黄金を溶かしたような金色の髪を見つけた時には心臓が止まるかと思ったものだ。
会えるかもしれないと考えてはいたけれど、実際に会えたらどうしようとまでは考えていなかった。
それからは『実は私がアレッサンドロなの』と告白するシーンを何度も夢見た。
そんな風に胸を高鳴らせていたのは、ひと月余りの事だけだったろうか。
公爵家と侯爵家からのみ構成されているアレッサンドラのクラスからは遠く離れた伯爵家と子爵家混合の教室に在籍しているライハルト・グリードとの接点は無いものに等しかった。
廊下に貼りだされる成績優秀者一覧に彼の名前を見つける度に、彼への想いを募らせることとなっても、すぐ傍でそれを仲間と喜ぶ彼に声を掛けることは一度もできなかった。
学舎内ですれ違っても、視線も合わない。
言葉を交わす以前の問題だった。
悲しくて、寂しくて。
けれど、ある日それまで交友のまったくなかった上級生の伯爵令嬢から告げられた言葉から知ったのは、あまりに過酷な彼の半生だった。
ファーン王国建国当初まで遡ることのできる由緒ある血筋を持つグリード伯爵家には、今や名誉と歴史しか持っていなかった。
先々代グリード伯爵の放蕩により始まった借財は、豊かであった伯爵領を次代となるライハルトどころかその孫の代まで借金まみれにしても足りないほど膨大なものとなっていた。勿論これはそのままの額ではなく、ライハルトの父である現当主の、領主としての才覚が劣るものであったことも要因のひとつだ。
先代グリード伯爵により少しずつではあっても借金はその額を減らしていたにも関わらず、まだ嫡男でしかなかったライハルト父が当主印を持ち出して借金、無謀としかいえない投資に手を出してしまったことでその額は一気に膨れ上がった。
更に不運が重なる。無謀であろうとも投資だと思っていたそれは詐欺であり、グリード家には銅貨一枚戻ってくることは無かったのだ。
詐欺に掛かったと訴えたとて、すでに犯人たちは国を去ってしまった後ではどうにもできない。国としても他国に対して「自国の古い家柄が詐欺にあって財産を奪われたので犯人を捜す手伝いをして欲しい」などと触れ回れる訳がないのだ。泣き寝入りする以外どうしようもなかった。
果たして哀れライハルト・グリード伯爵令息は、由緒正しき伯爵家の名を残す為に、その身を売りに出したという訳だ。
――この国でも有数の大富豪である、ラート公爵家の長女アレッサンドラの嫁入り先として。
『末代まで続きそうな借金がある? 我が公爵家ならそれを返した上でこの邸宅を建て直し、伯爵領のテコ入れがなせるだけの持参金を持たせましょう!』
ライハルト・グリードの身上書と調査書を取り寄せた父ルチアーノが豪語し、その言葉通りに持参金の一部として借金も清算。学園を卒業と同時に結婚する予定となっている。
すでにウェディングドレスの制作も開始されているし、ここ数十年間邸宅の修繕どころではなかった為に酷い雨漏りがするようになっていたグリード伯爵邸は敷地内に新たに建設が始められている。
つまるところ解放もなにもラート公爵家が肩代わりした借金を、再びどころか賠償によって倍増させるつもりがなければ、ライハルト・グリードがアレッサンドラのアクセサリーになる人生から逃れることはできないのである。
それらを理解した上で、この少女は要求しているのだろうかとアレッサンドラは悩んだ。
多分そういった現実は何も見えていないし、考えたこともないのだろう。
涙でいっぱいの瞳には、義憤というより彼女自身の恋心が揺らめいている。
見合いの席で、ライハルトは現在恋人はいない・好きな女性もいないと申告していた。だから恋のライバルだとしても彼女の片思いだ。
ライハルトが嘘を吐いていなければ、だが。