8-7.金持ち令嬢、受難のランチタイム
※アレッサンドラ視点になります。
8-7.
「アレッサンドラ・ラート様。お願いします。ライを解放してあげてください」
細くて小さな肩が、私の目の前で小刻みに揺れている。
ふんわりとしたミルクティ色の髪。胸元で組まれた手もとても小さくて桜貝のような宝石みたいな爪が綺麗に並んでいる様はよくできたお人形さんのようだ。
着ている物も派手という訳でもなく、好感の持てる程度に流行を押さえたドレスだった。
生地も上等で、彼女の可憐さを引き立てる素晴らしいデザインだとアレッサンドラはどこか冷静に観察していた。
ラート公爵家の一女として視線を浴びる事は常のことだ。とはいえ、まさか学園内において一番に賑わう昼休みの食堂、その入口でこのような言葉を掛けられるとは思ってもいなかった。
その為に少しだけ思考が明後日の方角に逸れてしまったようだ。
先程まで愉しげに騒めいていた食堂が一変し、気まずげな雰囲気でアレッサンドラ達ふたりへと注目が集まっている。
そんな周囲も目に入らないのか、目の前に立ちはだかる少女は懸命に訴えかけていた。
「お願いします。アクセサリーにして見せびらかしたいだけなら、もう気がお済みになったでしょう?」
なるほど。目の前の可憐な少女のいう”彼”という存在が、ライつまりはライハルト・グリード伯爵令息を指しているならば、確かに彼はアクセサリーとして極上だ。
ライハルト・グリードは、「完璧なパーツを完璧なバランスで配置したらこうなる」と、ある種芸術家がその神髄を込めて作り上げたような美貌の持ち主だった。
黄金を溶かしこんだような金色の髪とアクアマリンのような透き通った青い瞳を縁取る長い睫毛。優美なラインの眉と唇。それらが完璧な配置でつややかで陶器のような顔に配置されている。
見た目だけではない。文武両道。成績は常に上位を競い、武においても騎士となるべく幼い頃から研鑽を積んできた身体はしなやかな筋肉に包まれており、長い手足を優美に動かす。更にダンスも得意なのだと、アレッサンドラはつい先週知ったばかりだ。
そのライハルト・グリード伯爵令息は、私の記憶が確かなら先週わたくしアレッサンドラ・ラートと婚約を結んだばかりである。
なので目の前の少女がどれほど彼の横に立つに相応しい可憐な少女であったとしても、彼を愛称で呼ぶなど普通ならあり得ないことだ。
「ハジメマシテね、名前も知らないご令嬢? 先程わたくしの名前を呼んでいたけれど、ラート家は国王陛下の名の下に公爵の位を戴いております。つまりわたくしはこれでも公爵家の人間なのです。王族の方以外から高飛車に何かを要求されることはない筈の身分なのだけれど。わたくしが誰か、理解していての発言なのですね?」
一言ひと言、区切りをつけてはっきりと発言する。
勿論これは威嚇だ。まずは名乗りもしない相手と会話を続ける気はないという表明。そして、学園内での連絡ならともかく下位の者から私的な会話や一方的な要求をされても対応するつもりはないという表明でもある。
「……失礼しました。ソニアと申します。でもここは学園内です。貴族としての位は関係なく友好を深める場です。家名を告げる必要も、位を敬う必要もないと存じます」
「詭弁ね。ソニアという名前の令嬢がこの学園に何人いると思いまして? 婚約というのは家と家の契約だわ。貴女がした要求について、その結果は如何としてわたくしは家族へ報告する必要があります。その際に、一体何人のソニア嬢に迷惑を掛けることになると思いますの? 貴女がした行為について貴女が責任を負うのは当然ではなくて? その覚悟もなしにわたくしへ一方的に要求をしますの?」
相手の回答も待たずに、次々に質問をすることで圧し潰す。
実際にはソニアという名前にアレッサンドラには覚えがある。だが、家名まで正確に確認してからでなくては会話の内容を深める訳にはいかなかった。
可憐な少女が涙目になっている様に、周囲がハラハラしだしているのは気が付いていた。引き際を間違えると、こちらが迫害した悪とされてしまうことは分かっていたが、かといって相手の一方的で勝手な要求を受け入れるつもりは毛頭ない。
少し違う。
一方的で勝手だとは言い難いことは、なによりアレッサンドラ自身が知っていた。
ライハルト・グリード伯爵令息との婚約は、わたくしが彼に一目惚れをしなければ成り立たないものだったのだから。