8-1.借金の無くなった令息はそれでも貧乏しか知らない
8-1.
予定では、昼には寮へ着ける筈だった。
そのまま学園長や寮長のところへ顔を出し、軽く根回しをしてから登校する手筈だったのだが、思いの外領地での打ち合わせに手間取って領地を発つのが遅れてしまった。
王都には入れたが学園まではまだ時間が掛かるというのに、外はすっかり日が暮れてしまっていた。
「今日はもう、どなたのところへもご挨拶に伺うのは無理そうかな」
根回しが終わってまだ時間があるようならば、ブラン伯爵のお屋敷とラート公爵家のタウンハウスへも顔出しするつもりでいたが学園長にすら挨拶にいけない状態では無理そうだ。
ようやく愛しい婚約者の顔が見れると思っていたライハルトはガッカリした。
正直なところ、寮に入れて貰えるかすら不安になる時間である。
寮の門限は過ぎてしまうだろうし、もし入れて貰えたとしても食堂の鍋の中身は空っぽだろう。今夜は夕食を食べ損ねることになりそうだった。
食べ損ねるかもしれないと思った途端、空腹を感じてライハルトは自分の胃の辺りを押さえた。自然と視線がそこへ向く。
そうして視界に入った自分の身体が、馬車の中で何時間も過ごしたとは思えないほどパリっとしたままの白いシャツと、美しい刺繍の入った上衣を纏っているのが目に入って苦笑した。
このラート公爵家が手配してくれた豪華な箱馬車は最新鋭のモノだそうで、たしかに領地からのあまり整備されていない路面であってもあまり揺れは気にならなかった。今、その馬車に乗っている乗客はライハルト一人だ。
「乗客、とは言わないのか。これは乗合馬車ではないのだから」
ライハルトは、ちいさな窓から外を眺めながらぼんやりと呟いた。
ふかふかでゆったりとした座席と毛足の長い絨毯のお陰もあるのだろうが、そもそも馬車の揺れが少ないのだ。置いてあるクッションのひとつすらまるで芸術品のように手の込んだ刺繍が施されている。
「今着ている服も真新しい。自分で丈出しするのにも慣れてきたけれど、きちんと裾や袖の長さがあっている服なんて。本当にひさしぶりだ」
しかもその上着には刺繍まで施されているのだ。
今のライハルトは、自分自身の為に仕立てられた真新しい服と靴に身を包んでいる。
ライハルト自身は空腹を抱えていて、財布の中にも小銭しか入っていないというのに。なんという身分不相応なことだろう。
長年、ライハルトの肩に圧し掛かっていた借金は、ラート家のご厚意であっという間に清算されてしまった。
これから先、グリード伯爵領からの収益は利子に当てられることもなくなり、グリード伯爵家の手元へと入るようになった。
勿論、放置され続けたインフラの整備や飢饉や天災などへの備えを蓄える必要もあるし、しばらくの間は収益というほどのこともない程度しか残らないだろう。
それでも、生活費というものを、これからはライハルトが働いて稼いでいくことになる。
そうしてアレッサンドラを養っていくのだ。
ぶるり、と身体が震えた。
元金を減らす為に、生活費をぎりぎりまで削る必要もなくなった。これからは、あくせく働く必要もなくなる筈だ。
「大丈夫。ちゃんと養っていける」
結婚は、ただ入籍すればいいだけではない。
特に伯爵位を継ぐならば、血を繋ぎ繁栄していくことも重要な務めだ。
領地を繁栄に導き、家族を養っていくこと。
伯爵家として適切な貴族同士の付き合いというものもある。
公爵家から嫁を迎えるならば、それに相応しい生活というものも必要だろう。
ライハルトは形のいい頭を、ガリガリと綺麗な長い指で掻き毟った。