7-6.ブラン伯爵ふたたび
7-6.
その夜、ライハルトはブラン伯爵邸へ泊めて貰うことになった。
翌朝一で王城に向かい、後見人変更の手続きを行うのだ。
ブラン伯爵邸は王都の外れにあった。その敷地内にはあの訓練所が開かれている懐かしい場所でもあった。
「この度は、父と母がご迷惑をお掛け致しました。ブラン伯爵は祖父の縁からご配慮いただき……」
深々と腰を折り頭を下げ、ライハルトは縺れる唇を動かして謝罪の言葉を口にする。頑張って身体の奥に力を入れておかねばその場で嗚咽に替わりそうになるのを懸命に堪えて紡いでいたその謝罪は、バンバンとライハルトの肩を叩く大きくて温かい手であっさりと遮られた。
「あぁ、いらんいらん。そういう堅っ苦しいのは苦手だ。俺はロイの奴に返せなかった恩を、その孫であるお前に返してるだけだ。礼ならあの世にいるロイに言っとけ」
久しぶりに顔を合せたブラン伯爵は髪や髭が真っ白になっていたが、その他は記憶にあるままの豪快な人のままだった。頭を上げようとしないライハルトの肩を抱いて酒の席へと誘う。
「こういう夜には酒を飲んで騒ぐのが一番だ。さあ、ロイの話を聞かせてやろう」
ファーン王国では子供であっても飲酒を禁じる法律などない。
ただ体質的に合わなければ飲まない、それだけだ。
だからライハルトは勧められるまま慣れない盃を重ねた。
そうして見事、翌朝寝坊したのだった。
辛うじて昼前に起きたライハルトに対して、伯爵はとっくに起きていて朝の訓練をしているところであった。
「だらしが無いな」と笑われつつも、その闊達で鷹揚な態度に救われる。
朝食は断ったが、「今日を乗り越えられんぞ」と押し切られて焼きたてのオムレツと薄いトーストと搾りたての果実のジュースというまるで子供向けのような朝食を食べきるまで席を立たせて貰えなかった。
いや。ブランがライハルトに向けるそれは、完全に子供扱いだ。
「おぉ、全部たべられたな。偉いぞ、ライ」
ひさしぶりに短くなった髪の毛に、寝癖がついているのを弾かれる。
赤くなるライハルトにブランは目を眇め、「さぁ、着替えてこい。王宮へ出かける」と準備を促した。
伯爵に伴なわれて、なんとか午前の内に登城すると、そのまま一日掛けて各種の手続きを行った。
人生はじめての二日酔いのまま王宮での手続きを行うことになったが、意外にもスムーズにそれは進んでいく。
「これで、爵位を継ぐまでの間の後見人は、ブラン伯爵となりました。学園への届け出もこちらで済ませますか?」
窓口になってくれた文官に勧められるまま書類にサインをし続けた。
勿論、父を反面教師としているので逐一細かい部分まで書類を読み、質問をして納得出来てからになるので、とにかく時間が掛かる。
それでも誰もライハルトの姿勢を批判することはなかったし、むしろ好ましく感じていたので、邪険にされることなく、それらはすべて正しく処理が成された。
学園はまだしばらく休むことになった。
ラート公爵とブラン伯爵が手配してくれた新しい家令が領地の仕事を請け負ってくれることにはなったのだが、さすがに人だけ送り込んで終わりにはできない。
一緒に領地へ赴き、領民たちへもある程度の事実を公表することにしたのだ。
学園卒業後には、即時ライハルト・グリードが伯爵として立つ事。
懸案事項であったグリード伯爵家の借金は返済済みになった事。
そしてその時にはラート公爵家一女アレッサンドラが妻としてその隣に立つことになる事。
ふたりの結婚式は盛大に行うこととし、その準備の手配を始める事。
そうして、エリハルトとデイジー夫妻が平民となり、グリード伯爵領内への立ち入りを禁じられた事を伝える。これについては徹底して周知させなければならない。
勝手に戻って来させる訳にはいかないのだから。
「ラート公爵領の鉱山なら幾らでも仕事はある。勿論、約束していた年金までは取り上げないので働かなくとも生きてはいけなくはない。だが人間というものは遊んでだけいると腐っていくものだ。何か仕事を与えるつもりでいる」
王都を発つ前にルチアーノから伝えられた通り、領地には既に両親の姿はなかった。
どうやら今更ライハルトに合せる顔が無かったらしい。
「ラート家が用意して下さった家に、既に向かわれました」
抱えていける物はすべて抱えていったと言わんばかりの状態に荒らされ空になったグリード伯爵邸を前に、王宮から来た役人がため息混じりに教えてくれた。
それを聞かされたライハルトは、「少しは恥というものを知っていたのかと思ったのに」と、力なく笑っただけだった。