6-6.貧乏令息、品定めを受ける
6-6.
たとえ公爵家の跡取りではなくなったとしてもアレッサンドラとの婚約に価値を見出す者は多い。
いや、跡取りではなくなったからこそアレッサンドラを嫁に迎えることができるようになったのだ。
国内でも有数の資産家でもあるラート公爵家から嫁を迎えることができるならば、たとえ現在結んでいる婚約を破棄してでも迎えたいと望む者も多い。
欲にギラついた視線が、ラート公爵の後ろに控えている美しい令嬢へ向けられた。
「そうして今、公爵家の跡取り娘として長年研鑽に努めてきたアレッサンドラの献身に応えるべく、アレッサンドラの幸せな未来に相応しい者を選び直した。紹介しよう」
欲の皮を張らせたばかりの人々の顔が、そのひと言であっという間に萎びたものへと変化した。
その欲と妬みが入り混じる視線の中を、ライハルトはアレッサンドラの手を取り前へ出た。
「先代グリード伯爵ロイハルト殿を覚えている方も多いだろう。とても優秀な方であった。その孫にあたり、学園卒業後は王家へ預けている爵位を継ぐことになっているライハルト・グリードだ」
アレッサンドラに目を合わせて微笑むと、繋いだその手を離さないままのライハルトが前を向き直して黙って頭を下げた。
勿論、まだ爵位を継いでもいないライハルトは、この会場内において使用人を除けば最も爵位の低い人間のひとりだ。
背筋を伸ばし、繋いでいない方の手を胸元へ当て腰を曲げないように落とすようにして礼を取る。
その所作の美しさに、妬みをもって見上げていた者ですら一瞬見惚れる。
勿論ライハルトの見目の良さは、この反応に大いに貢献した。
黄金を溶かしたような濃い金色の髪。涼やかなアクアマリンのような青い瞳。アレッサンドラに向けた一瞬だけの微笑みは何物をも蕩かす威力を持っており、直接自身へ向けられたものではないにも拘らず心を掴まれた女性陣は一人二人ではなかった。
「アレッサンドラとは学園で同学年となる。それが縁となって今日という善き日を迎えることができた。半年後に迫った卒業後はすぐに婚姻を結び、彼は次代のグリード伯爵として立つ。その横にアレッサンドラが寄り添う運びとなった。どうか共に喜んで欲しい」
グリード伯爵家に纏わるスキャンダラスな話題は主に三つある。
ライハルトの父である当時嫡男とされていたエリハルト・グリードが巨額の詐欺に遭い資産を奪われたこと。そしてそれが原因で堅実な性格で知られていた先代グリード伯爵ロイハルトが心臓発作により亡くなってしまったこと。そしてもう一つが、グリード伯爵家の名の下に多大な借財を孫子に背負わせ亡くなった先々代グリード伯爵ウィリハルトの女遊びだ。
生前の妻ローズを溺愛していたウィリハルトだったが、その愛妻を亡くした後の生活は乱れに乱れていたという。生来の見目の良さも手伝って寄ってくる女性は後を絶たず、その全ての女性を囲い込み放蕩を尽くしていたというある意味伝説の男だ。
その先々代に生き写しとされたライハルトに関して現在流れている噂は、放蕩とはまったくの無縁だ。見目は先々代、中身は先代グリード伯爵によく似ているというのが上位貴族の間による共通の評価で、実際のところ本人が認識しているよりずっと高かった。
だだ、「ならば娘との婚約を」そう望む者がいるかといえば、曾祖父であるウィリハルトが作り、父エリハルトが膨らませるだけ膨らましてしまった借金は膨大であり、誰も手を挙げる者がいないまま空席となっていた。
どれだけ娘に強請られようとも、無い袖は振れないのである。
しかし、それがラート公爵であれば別である。借財を穴埋めしようが身代が傾く心配などない。色とりどりカラーバリエーションに富んだ鋼玉が産出する鉱山は有名で、中でもラート公爵領だけで採れる良質なコーンフラワーブルーのサファイアは貴婦人たちの憧れである。
他にも中央を流れる大きな川が齎す水の恩恵により、農業や漁業も盛んで食糧生産庫としての認知も高い。
つまり領内だけで他領に頼ることなく暮らしていけるだけの生活の基盤が整っているのだ。
「なるほど。双方に恩恵ある素晴らしい縁ですな」
「おめでとうございます。美男美女。いやあ絵になりますな」
さすがにどれだけ腹積もりが夢と破れて悔しかろうとも、それを表立って口に出すような迂闊な存在がいる筈がない。
頭の中では「ラート公爵は金で買える最高の嫁入り先を、跡取りでなくなった娘に用意してやったのだ」と考えていようとも、実際に言葉にする者はいなかった。
唯一人を除いて。