6-2.貧乏令息、愛しい婚約者とようやく対面する
6-2.
後ろでは侍女が焦り始めていた。
無理もない。ある程度は余裕を持っているだろうが、控室から呼び出されたからにはいつお披露目が始まってもおかしくないのだ。
ライハルトは、「すぐにいきます」と声を掛けて侍女の後ろを付いていこうとする。
その後姿に、先ほどのお針子がまた声を掛けた。
「それと!」
振り返ったライハルトに、今度こそ悲壮感たっぷりで、お針子が告白する。
「脱ぐ時は、糸をお切り下さい」
「……このボタンたちは?」
見下ろした先には、包みボタンが並んでいる。それと細いリボンで結んでいる場所もある。
「…………すべて飾りでございます」
そういえば、着せられた時は大人しく言われるがままに手を差し込んだり足を入れたりしていたので、ボタンを留めていたのか記憶がない。
「なるほど」
さすが二週間しかなかっただけはある。今日、ここへ持ってきたものはほとんど仮縫が上がっただけの状態だったようだ。バラバラのパーツを、ライハルトの身体に合わせて縫い合わせただけの状態らしい。
それは、脱げそうにない。というか、トイレにもいけないのかとライハルトは苦笑した。
「脱ぐ時は、決して一人で脱ごうとしないと約束しましょう」
ライハルトがそう約束すると、お針子は顔をくしゃりと歪ませて、深々と頭を下げた。
早足で磨き上げられた廊下を侍女の後ろをついて歩く。
その先で、ライハルトが来たことに気が付いたその人が振り返った。
ライハルトが今着ているドレスのような夜会服と対を為す、黒と緑のドレスの美しい人が立っていた。
綺麗に結い上げた黒髪に、アクアマリンと金の髪留めが映える。
ネックレスとイヤリングも、金の地金にアクアマリンのものだった。
正に、ライハルトの色である。
「お待ちしておりました」
にっこりと笑ったその顔が、とても嬉しそうで、ライハルトの胸の奥で、何かが羽ばたいているようで落ち着かなくなる。
「綺麗だ」
「え?」
「とてもお美しい。いつも美しいと思っていますが、今日は、輪をかけてお美しいです」
蕩けそうにだらしのない表情をしている自覚はあった。
だが自分の色を身に纏ったこのうつくしい女性が、自分の婚約者なのだ。
しかもその女性は自身の初恋の相手であり、重ねて言えば悲しくて動けなくなりそうな時に進むべき道を示す言葉をくれた人なのだ。
言葉をいくら尽くしても、このときめきを言い表せそうになかった。
「まぁ。ありがとうございます。ライハルト様も、とてもお似合いです。素晴らしい夜会服ですね」
さらりとアレッサンドラから褒め返されて、ライハルトは舞い上がりそうになる自分を諫めた。
対してアレッサンドラは落ち着いたものだった。淑女のお手本と褒め讃えられている公爵令嬢なだけはある。誉め言葉を言われるのも言うのにも慣れているのだろう。実にスマートな対応である。さすがだ。
「あはは。凄いでしょう? 控室でサイズを合せて縫い合わせる様に着せて戴きました」
思わず軽口で繋いだ。
「まぁ! それでは、脱げないのでは?」
「ハイ。脱ぐ時は糸を切るように言われました。それだけじゃないです。派手な動きも禁止だそうです」
ライハルトが教えると、アレッサンドラは心配そうに訊ねた。
「ダンスもでしょうか」
「ワルツは可、ただしリフトは禁止だそうです」
笑顔で答えるライハルトに、今度こそ、アレッサンドラは笑い出した。
「まぁ。お披露目でリフトをされたら招待客は皆さん吃驚なさいますわ」
くすくすと笑い出したその顔に、さきほど見せた緊張はどこにも見つけられなかった。
「吃驚させたいですか?」
「うふふ。ライハルト様のその素晴らしい夜会服が駄目になってしまうのは悲しいので今回は諦めます」
「よかった。美しいアレッサンドラ様と対になるように作って戴いたドレスを、ゴミにしてしまわないで済んで嬉しいです」
アレッサンドラの頬が赤くなる。
すぐ後ろで控えていた侍女アリーには、どこに赤くなる要素があったのかイマイチ判らなかった。けれど、それはライハルトを連れてきた侍女にとっても同じようで、微妙な顔をしているのを見つけてホッとした。
アリーにとって、主が美しいのは当然のことだ。美しくないことの方が少ない。
いや、ありえない。いつだってアレッサンドラ様は完璧なのだ。