5-11.貧乏令息は、未来に思いを馳せる
5-11.
お披露目までのこの二週間、結局ライハルトは学園も、学園で斡旋して貰っていた仕事も休みっぱなしだった。
登校できるのは、お披露目会が済んでからだと聞いていた。
つまり皆に会えるのは、明後日ということだ。
それまで王都に足を踏み入れるどころか、この別荘から出る事すら許されなかった。此処でやらなければいけないことは幾らでもあって、遊びに行く余力など全く残っていなかったが。
秘密なら守るのにと思ったが、情報漏洩を疑われているのは多分両親だ。
借金が無くなるのだと吹聴するだけでなく、まだ無くなってもいない借金が終わったのだと大盤振る舞いをして、そこから憶測を呼ぶことを嫌ったのだろう。
お披露目さえ終われば、ラート公爵家との間で締結した婚姻前契約書にある通り、父と母がグリード伯爵の名前で借金をすることは許されていないことも公表できる。
伯爵代行でしかないことを突きつけられて動揺中の父エリハルトは、きちんとあの契約書の内容を読み込み理解することなく言われるままサインをしてしまった。
ライハルトもその項目に関しては敢えて突っ込まなかった。
ただ、借金の額や返済時期、家の修復についてなどについて確認し、しっかりと双方の合意を取ったのみだ。
「『この婚約をもって、実質的にライハルト・グリードの伯爵位継承を認め、エリハルト・グリードによる伯爵位代行並びに後見人としての権利を放棄終了するものとする』か」
小さな文字で何ページにも渡って書き込まれた契約書に紛れ込んでいたその一文。
それはアレッサンドラと婚姻した後の生活から憂いを払う意味が大きいのは分かっている。
それでも、ライハルトの後顧の憂いを払うと言い切ってくれたラート公爵からの、ライハルトへの応援の意味が大きいのではないかと夢想してしまう。
「学園の仲間は皆、まだ知らないんだな」
ふっ、と口元に笑いが出た。
いま、ライハルトが学園で「アレッサンドラ様から婚約の申し出を受けて、借金を返済して貰うことになった」などとライハルトが告白したとして、一体何人が信じるだろう。
ベントはどんな顔をするだろう?
スイからは罵倒されそうな気がした。
祝福どころか、思い直すようにアレッサンドラに迫りかねない。
他の訓練所の仲間もきっと吃驚するだろう。
見上げた夜空に輝く月と星。
別荘の回りは森と湖しかない。隔離された空間だ。
静かな夜の中で、たったひとつこの館だけが明るい。
不思議な夜と時間だった。
明日のお披露目会を無事にやり切れれば、グリード家の借金は消える。
そういう契約をした。サインを交わし、書類は無事王宮と婚約を司る教会へと提出され受理されている。
けれども、それを誰かに話して聞かせたとしても、借金の重さにライハルトの心が壊れて頭がおかしくなったと思われて終わりのような気がした。
「当然だ。……私だって、未だに信じられないんだから」
ごろりとベランダの手摺に齎せていた身体の角度を変える。
窓の向こうに在るライハルトに与えられた部屋の灯りは、夜だというのに煌々としている。最先端のランプで照らされた部屋はまるで昼のように明るい。
獣脂の蝋燭とは違い臭いもしない。明るさの調節もツマミひとつで加減ができる。各部屋に設えられた浴室にはシャワーもある。蛇口をひねると水ではなく湯が出る。
まるで夢のような豪華な設備だ。
早くベッドに入って寝なければと思うものの、緊張なのか興奮なのか、気持ちが昂って寝られそうになかった。
「結局、お茶会の席ではほとんどアレッサンドラ嬢と話せなかったな」
目を閉じ、婚約者の姿を思い浮かべる。
『少しは婚約者らしい交流を持つべきです』
そんな提案を受けて二回ほどお茶の時間をアレッサンドラと過ごすことになったのだが、初回は緊張し過ぎて碌に話もできずに終わってしまった。
今度こそと意気込んだ次のお茶会の席には何故か前回はいなかった弟君であるフリードリヒが一緒に参加して、主役は彼になった。とはいえ、別に嫌ではなかった。
アレッサンドラは、義理とはいえ兄となるライハルトに向かって懸命に話し掛けている弟を見てニコニコと笑っていたし、一人っ子のライハルト自身にとっても未来の義弟となるフレードリヒが慕ってくれること自体が嬉しかった。
フレードリヒが教えてくれる自慢の姉についてはいくら聞いても飽きることはなく、頬を紅潮させて語る義弟予定の姿も微笑ましかった。
ただ少しだけ、アレッサンドラ嬢自身の口から聞きたかったと残念に思う気持ちはあったけれど。
結局、ライハルトはその日遅くまで眠れずに、ただ星空を見上げていた。
この星空は、かの人の下へと繋がっているのだと思いを馳せる。
「明日には、会える」
明日はついにお披露目当日だ。
夢なら覚めないで欲しいと、星に願った。