5-6.貧乏伯爵は、自分の息子に縋りつく
5ー6.
「……ら、ライハルト。おまえ、お前も否定してくれ。おれは、おまえのいい父親だっただろう? お前が、見目よく生まれたのも、こうして公爵家の令嬢の、結婚相手として見初められる存在となれたのも、ぜんぶ、全部おれのお陰だと」
「それは違いますね、父上。私が尊敬し、いつかこうなりたいと憧れたのは祖父ロイハルトの存在です。そうして私がこれまで生きてこれたのは祖母カリンの尽力と、ブラン伯爵の御力添え、そしてブル侯爵家の方々の温情と……掛け替えのない友人たちとの思い出のお陰です」
支えてくれていた沢山の思い出に励まされるようにして、ライハルトは父へ、まっすぐ目を逸らさずにそれを伝える。
完全否定。
ライハルト自身も自覚のないままだった言葉が今、溢れていく。
「な……なっ。この親不孝者!」
「そうですね。貴方がいなければ、私はこの世に生まれてくることはなかった。こうしてここに立っていなかった。けれど、できることならば、生まれてきたくなど無かった。そう思った夜を、私は幾夜も過ごしてきました」
誰にも告げるつもりの無かった思いまでが、ライハルトの口から漏れていった。
祖父が亡くなった日も。祖母が亡くなった日も。
呆然と、自分の爪先を見つめることしかできなかった日も。
いつだって、ライハルトは自分が生まれてきた罪を見つめて生きてきた。
罪の意識で目の前が真っ暗になって、けれど朝まで誰にも気付かれずにいた日からずっと。
ライハルトは、グリード伯爵家に生まれてきたという罪を償うことだけを考えて生きてきたのだ。
けれど。親が自分を生んだりしなければ、その罪など発生しなかったのではないかと考えない日も無かったのだ。
今更死んでも罪は消えない。それが分かっているからこそ、両親が自分を生むことを決めたその判断こそを詰りたかった。
口にするつもりも無かった父への糾弾。
それを、見合いの席で口にしてしまったライハルトは、自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだった。
――多分、この婚約は成立しない。
たった今、ライハルトが自身の手で叩き壊した。
長い間ずっと目を逸らし口を塞いで過ごしてきた両親への苦い思いと向き合うことで呪縛からようやく解放されて、ライハルトの心はいま、かつてないほど晴れやかな気分であった。
けれど同時に、途轍もなく胸が痛かった。
ライハルトが人生の全てを掛けて掴もうとしたものを目の前に、自分で叩き壊したに等しい行為でもあったからだ。
軽蔑されたであろうという自覚があった。
恥ずべき行動を取る父と、その父に暴言を放つ息子。見合いの席で、醜い親子喧嘩を繰り広げるなどあり得ない行為だ。父へ告げた言葉に後悔はなかったが、時と場所を選べなかった自分には幻滅した。
夢に見たそれを手にしかけたからこそ虚しくもある。辛い。
思わず俯いたライハルトの手を、柔らかくて温かいものが包んだ。
「でも私は、わたくしは、貴方がこの世界へ生まれて来てくれたことに感謝しています。今、こうして私の前にいて下さることも」
「……アレッサンドラ様」
いつの間に傍に来ていたのか。ライハルトの横にアレッサンドラが立っていた。
その白い手が、ライハルトの手を控えめに包んでいる。
「人生というのは、努力だけでは埋められない何かに翻弄されることがあるものですね。ライハルト様のそれと比ぶべくもないでしょうが、私も、似たような思いなら経験致しましたわ」
「……アレッサンドラ様」
ライハルトがアレッサンドラと視線を合わせた。
まっすぐ見上げる美しい緑色の瞳に、ライハルトが写り込んでいる。
心の支えとしてきた言葉をくれた友人の、面影そのままの美しい人。
涙を湛えたその瞳に、哀れみ以外の何かを見つけた気がして、ライハルトはそれが何なのか、もっとよく確かめたいと顔を寄せた。