5-3.貧乏令息、金持ち令嬢の事情を把握する
5-3.
では、その日に婚約も白紙に戻されるのだ。
直接は言われなかったものの公爵が伝えたかったであろうその事実に、ライハルトは自分の事のような胸の痛みを覚えて、思わず手で押さえてしまった。
ライハルトは、幼いアレッサンドラが、訓練所でどれだけ真面目に必死になって鍛錬に臨んでいたかを知っている。
細くて筋肉の付かない腕や足を正確に動かせるようにすることで、最小限の動きで、仲間たちの全力攻撃を右へ左へと避けていた。
確かに才能もあったのだろうが、それだけではない。
一緒に鍛錬を積んだ仲間だからこそ知っている。アレッサンドロは誰よりも真面目に基礎訓練を熟していた。走り込みも、素振りも。鍛錬の前と後に行うストレッチは疎かにする者は多かったが、誰よりも丁寧に解していた。
「これの手を抜くと、怪我し易くなるし動きが悪くなる気がするんだ」
そう言って、形だけでなくきちんと筋肉を解していく姿勢が恰好良くて、サボり気味だった仲間もみんな真似して真面目にやるようになった。ライハルトもその一人だ。
そうやって、誰よりも真摯に、人一倍努力して手に入れたものだった。
そして、学園に入学してアレッサンドラ・ラート公爵令嬢の存在を知ったライハルトは、彼女が努力していたのは、武術だけでなく、学問やマナーなど多方面に関してだと理解した。
成績優秀者を張り出す名簿。その一番上にはいつも彼女の名前があった。
公爵家がつける家庭教師がいいのだと陰口をきく者もいた。
けれどどんなことでも環境だけ揃っていても本人にやる気がなければ何も身に付かない。
所作一つ取ってみても、アレッサンドラほど優雅な人はどこにもいない。
こんなに美しく愛らしい令嬢が、努力に努力を重ねてまで手に入れようとした地位が、本来なら喜ばしい筈の弟の誕生で、目の前で遠ざかっていく。
それはどれほど辛い事だろう。
慶事が凶事に。けれどもそれを口に出すことも、周囲に悟られる訳にもいかない。
狭量だと詰られてしまうからだ。
勿論、アレッサンドラが弟の誕生を疎ましく思っていると決めつけたものではないが、それがライハルトの身に起きたと考えた時、素直に喜べるかといわれれば全く喜べないだろうとしか思えなかった。
つい拳を握り込む。
「それで、元の婚約者は、公爵の婿でなければ嫌だとごね出した訳ですね?」
「……少し違うが。それでも、契約の内容を違えたのはこちらだ。非はこちらにある」
不満を滲ませながらも、ラート公爵が訂正を加えた。
「しかし、私のようなものを選ばなくとも、アレッサンドラ様ならお相手には不自由しないのではありませんか?」
「……私が本気で探さなかったとでも?」
「ですが、アレッサンドラ様はとても魅力的な方ですので」
「そうだ。アレッサンドラは私の自慢の娘だ。だから、他に女がいる奴や、死別した前妻への想いを残している奴になどの手に渡してやるつもりはない! いいか、ライハルト・グリード。お前も浮気などしようものなら、生まれてきたことを後悔させてやるからな」
ラート公爵から殺気を含んだ視線で射貫かれて、ライハルトは反って冷静になれた気がした。
「それに……」
にやりと口角を上げたラート公爵がにやにやしながら、アレッサンドラを横目で見つめながら、ライハルトの耳元へ囁きかける。
「ライハルト殿へ見合いを申し込もうと考えたのは、私ではないのだ。家内でもない。実は、ライハルト殿は、アレッサンドラの初こ」「なっ?! お、おとうさま、どこからそれを?!」
慌てた様子のアレッサンドラが、声を出して笑うラート公爵の背中を引っ張って、ライハルトから強引に距離を取らせた。
その常ならぬ様子に、ライハルトは吃驚しつつも、あまり深追いしても良いことはなさそうだと引き下がることにした。
そうして、息を整えると、そのままアレッサンドラの前に跪いた。