5-2.貧乏令息、見合い相手に混乱する
5-2.
「ラート公爵家一女アレッサンドラです。不束者ですが、どうぞ末永くお傍においてくださいませ」
「え?!」
「あ!!!」
ライハルトが驚きに目を見開き、顔を上げた。
なにやら想定外の名前と挨拶の言葉が、耳へ届いたような気がする。
妄想が行き過ぎて幻聴まで聞こえてきたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
何故なら、目の前にいるのは、ライハルトが想像していた仮想お見合い相手ではなく、ライハルトの色を身に纏って顔を赤く染めたアレッサンドラだけだったのだから。
視線を彷徨わせて見回してみても、今この部屋にいる妙齢の女性はアレッサンドラ一人だ。
いや侍女ならいた。だが幾ら裕福なラート公爵家であろうと、侍女の結婚相手として巨額の持参金を用意することはないだろう。
――ということ、やはり?
そう思いついたところで、ライハルトの胸の鼓動は更に激しくなった。
なにより、先ほどアレッサンドラ嬢が使った“末永く”という言葉。あれは婚姻を結ぶ際の挨拶などによく用いる言葉ではないだろうか。
……いやまさかそんな。馬鹿な。そんな筈はないとライハルトは首を振って妄想じみた考えを振り払おうと努めた。
だが考えれば考えるほど、ドツボに嵌ったように思考がそこから抜け出せなくなってしまったライハルトは思ったままの事を口に出した。
「はは。”末長く”って、結婚の挨拶みたいですね」
思わず引き攣った笑いが出る。
それを受けてアレッサンドラが慌てるのを、ライハルトはぽうっと見ていた。
「っ! あ、あのっ。失礼しました。ご挨拶からやり直させてくださいませ。ラート公爵家一女アレッサンドラです。本日はようこそおいでくださいました。よろしくお願いいたします」
仕切り直してすぐに、あっという間に淑女の仮面を付け直したアレッサンドラが美しい所作でカーテシーを取る。
その優雅な動きにため息が出る。
ちょっと耳の先が赤いけれど、それ以外は完璧だ。いや、赤い耳も愛らしくていい、とライハルトは心の中で感想を付け足す。
そうして改めて挨拶を受けて、ライハルトの見合い相手が本当にアレッサンドラ・ラート公爵令嬢本人であることを実感していた。
学園で、遠目から見るアレッサンドラの凛々しい横顔もとても好ましいと思ってきたが、今目の前で見る愛らしいアレッサンドラの破壊力はその数倍の威力がある。
この愛らしさしかないアレッサンドラを表に出せば、わざわざライハルトを金で買うような真似をせずとも、幾らでももっといい夫が楽に手に入るのではないかと素直に思った。
いや、そもそもアレッサンドラには婚約者がいた筈ではないだろうか。
だが婚約者がいるならば、ラート公爵自らこのようなお見合いを手配したりはしないだろう。
疑問を持ったまま話を進める事ができない訳ではない。どんな形であれ成立させてしまった方がライハルトにはありがたい。それは確かであったが、やはりスッキリしたかったので質問することにした。
「アレッサンドラ様は、何故この度の見合いを? 私が知る限り、アレッサンドラ様は婚約中だったと思うのですが、そちらの方はどうなされたのでしょうか」
疑問を口にしている途中から、焦った様子の父エリハルトが服の袖を何度も引っ張っていることは当然気が付いていた。しかしライハルトは完全にそれを無視した。
「それについては私から話そう」
ラート公爵の言葉に、身体ごと視線をそちらへと移す。
なんら隠し立てする必要が無い、正当なものであるという証でもあるのだろう。口にしにくい内容であろうに、それを説明するラート公爵の表情は堂々としていて言葉運びも明確であった。
「アレッサンドラが結んでいた婚約は、アレッサンドラがこのラート公爵家を継ぐことを前提に、縁戚から婿を取るという、いわば契約の上に成り立っていた。しかし、その契約を結んだ時とは状況が変わってしまった。ラート公爵家にフリードリヒが生まれた。生まれてすぐこそひ弱で無事に育つか心配もされていた小さな子であったが幸運にも健やかに成長してくれた。つまり……」
ちらりと、ラート公爵がアレッサンドラへと視線を移す。
ラート公爵が説明を始めた時に目を瞑って俯いてしまったアレッサンドラは、しかし父であるラート公爵の視線には気付かない。
痛ましいものを見るような視線を一瞬だけ目を閉じることで瞳から消し去ったラート公爵が、その言葉を口にした。
「このラート公爵家の跡取りは、フリードリヒへと変更される。来月のあの子の7歳の誕生日に」