4-9.貧乏令息は面接を受ける
4-9.
バクバクと、心臓が軋むほど早く動いていた。
馬車を降りた先は豪奢な作りの大豪邸だった。
迎えに出てくれた偉丈夫の壮齢の男性は、どこか見覚えのある風体をしている。
ペコペコと頭を下げる父の横で、瞬きすら忘れて、ライハルトは呆然と立っていた。
「私がこの家の当主にして今日、君を呼び立てたルチアーノ・ラートだ。ラート公爵家へようこそ、ライハルト・グリード殿」
その人の名前を聞いた時、ライハルトは頭の中が真っ白になった。
ラート公爵家はこの国で最も裕福であり、位についても王族を除けば最も高貴な特別な存在である。
過去には将軍職を勤めた当主もいるほどで、私有する軍隊は国軍を除けば最大クラスだ。所属している騎士も最高レベルだと聞き及ぶ。
特に、現ラート公爵は政治的な手腕も高く評価されており、自領の開発にも勤しみ領地の経済は目覚ましい発展を遂げていると評判も高い。元々、鋼玉の産地として有名であるが、ルチアーノ卿が公爵家の当主となってから発見された橄欖石鉱山は産出される石のカラーバリエーションが豊富な上に貴石より安価で加工がし易いとこともあり、国内のみならず他国でも人気が高い。
つまり簡単にいえば、この国でもっとも繁栄している領地の治める大資産家。それがラート公爵家だ。
そんなラート公爵家に、高齢の独身女性など居ただろうか?
いかず後家になる筈もない。縁続きになりたいと願う家は星の数ほどある筈だ。
病弱で子供が持てずに家に帰された女性がいる? 聞いたこともないが、それならあり得るかもしれない。金に飽かせて手に入れた夫なら、どんなことがあっても大切にするだろうと期待を込めて、夫となる男を手配することにしたのかもしれない。
ライハルトは笑顔で黙って座って話を聴いている振りをしながら、その実、言葉はまったく頭に入って来ずに、ぐるぐると明後日な方向に思考を漂わせていた。
そうして散々思考を彷徨わせた挙句に出した答えは、結局のところ、幼い日に誓ったとおりの言葉だった。
その方を、生涯かけて大切にしよう。
どんな見た目でも、年齢でも、絶対に余所見などしない。
感謝を捧げ、心を込めて関係を築いていく。
そうしていつか本当の幸せを、その方と作っていくのだ。
「そうだった。身上書や調書で報告は受けているんだが、娘に会わせる前にライハルト殿から直接答えて欲しいことがあるんだ」
ジロリ、ラート公爵から威厳たっぷりで睨みつけられ、ライハルトは背筋を正した。
「なんでしょう」
緊張しつつもそう受けると、ラート公爵が質問した。
「ライハルト殿には、現在お付き合いしている女性は本当にいないのだね?」
「いません。今も、これまでも。そういった関係を持った相手は一人もおりません」
「では、……幼馴染みの女性について何か説明したいことはないかい?」
「隣のクラスにいるソニア・ハーバル子爵令嬢のことでしょうか。領地が隣り合わせている関係で母同士がお茶仲間です。幼い頃に一度顔を合せたことがあるようですが、実際のところ一緒に遊んだ記憶もありません。デビュタントは同じ歳ということもあり母繋がりで一緒に出ましたが、個人的に連絡を取り合ったこともありません」
「学園では距離がかなり近いというが?」
「訓練所に通っていた時の仲間と過ごしているといつの間にか傍にいることがある、という認識です。入学してからも一度も個人的に連絡を取ったことはありませんし、ふたりで出掛けるなどもしたことはありません」
「……信じていいな?」
「勿論です」
一問一答。問われれば即返答した。
内容的に嘘を吐く必要はなかったし、事実しか述べていないのでライハルトは平然としていた。
平然とできなかったのは、父エリハルトだ。
ラート公爵家との話が来る前までは、エリハルトはソニアに嫁に来て欲しいと願っていた。裕福な商会を持つハーバル子爵家からの持参金目当てに、あれやこれやと理由をつけてライハルトとソニアを接近させようとしていたことは想像に難くない。
何の気負いもなく、ただ回答していくライハルトの横で、ラート公爵がひとつ口を開く度に、落ち着きなく身体を揺らすエリハルトの胡散臭さは洒落にならない程だ。
その問答にルチアーノの頭に、本人はともかく父親がこれで大丈夫だろうかという迷いは浮かぶ。だが結局は、王宮からの回答も鑑みた上で、父親については問題とならないだろうと判断を下した。
そうしてラート公爵家は今日という日を善きものとするべく動き出したのである。
GOサインを出したのは、外ならぬルチアーノだ。
なにより、ライハルトの回答には十分満足できた。
ならば、周囲が父エリハルトの手綱を緩めることなくしっかりと引き締めればいいことだ。
ルチアーノは自身の導き出した答えに納得すると、家令に向かって合図を出した。
そうして自身はソファから立ち上がって扉へ向かって歩き出す。
釣られるようにライハルトが立ち上がり、横に立つ父にも立つように促していることを目の端で確認したルチアーノが、声を上げた。
「では。本日のメインイベントを開始しよう」
そうして、家令の手で開かれた扉から入ってきたのは、水色のドレスを着た美しい人だった。