1-4.グリード家の悲劇
1-4.
ライハルトが訓練所を休むことになった理由。
それは、彼の尊敬する祖父ロイハルト・グリード伯爵が死んだからだ。
なにより祖父の死因、それが一番の問題だった。
「あの華やかな生活を取り戻してやりたかったんだ。ライハルトの為に」
グリード伯爵家の嫡男として、その領地経営を手伝っていた父エリハルト・グリードが、勝手に持ち出したグリード伯爵家の当主の証である紋章印を使って危険な投資に手を出したのだ。
「何故こんな真似をした」と怖い顔をした祖父ロイハルトから問い詰められ、大きな身振り手振りで父エリハルトが必死に弁明を始めた。
「いつも仕事終わりに行くパブで、隣合わせた商人が、すっごい金儲けになる話があると喋っているのが聞こえてきて……それで話を聴かせて貰って確信したんだ。神がくれたこのチャンスをどんなことをしても掴まなくちゃって」
海を隔てた遠い国では、この国では非常に価値の高い幻といわれる香辛料がいたる所で大量に生っていてタダで幾らでも手に入るのだと、熱心に会話をしていたのだという。
確かに隣のその席からは、その香辛料独特の刺激的な香りが漂っていて、その香りに惹かれてエリハルトも隣で交わされていた会話が気になったのだ。
「『海を越えて運んできても今なら十分な旨味がある。しかしあちらに行けばタダで手に入ると知れ渡ればそれもオシマイだ。しかしこちらへ持ってくる船の資金を、どう工面したらいいのだろう』って話をしていたんだ」
興奮を押し隠して話し掛けると、テーブルの上に出されていた香辛料をひと粒手渡されたという。
「まぁまずは試してみなよ」
そう言って笑って渡されたそれの強く芳醇な匂いに衝撃を受けたのだとエリハルトが力説する。
「素晴らしい香りだったんだ。最下級品でもひと粒金貨一枚の価値があるという香辛料。その一級品を、ただ隣り合わせただけの人間にあっさりと味見に渡してしまうなんて」
震える手で口へ放り込み噛みしめたその瞬間、口腔内を駆け抜けた味わいに「俺にその金を出させてくれ」と頼み込んだのだと、その味と素晴らしい儲け話が目の前に転がり込んできた興奮を思い出しているのか、大きな身振り手振りでエリハルトは怒れる父ロイハルトへと訴える。
滔々と話すその顔は紅潮し目がギラギラと異様な輝きを宿していた。
「香辛料を持ってくるにしても旨味があるのは、元はタダだとバレるまでの短い間だけ。もしかするとこの一回こっきり。だから、できるだけ大きな船を調達する必要があると言われて……でも、成功したら、残っている借金をすべて返した上で、元の生活……いや、それ以上だって望めるんだ! ライハルトに、貴族らしい、未来の伯爵家を背負う、嫡男らしい生活をさせたやれる。だから、だから……」
「だから、このグリード伯爵家が持つ資産をすべて売り払って金を作ったというのか!!! そんなあからさまな詐欺に引っ掛かりおって」
「さ、詐欺? そんなっ」
ひっくりかえった上擦り声で、エリハルトは叫んだ。
先ほどまで恍惚としていた表情が、今は蒼白だ。
「まだ気付いて居らなんだか! この痴れ者がっ」
「あ、ああああの華やかな生活を取り戻してやりたかったんだ。ライハルトの為に!」
ガッ!
温厚なロイハルトが手をあげる。
そうして、激昂したまま、ロイハルトは心臓を押さえて倒れ込み、天に召された。
――その全てを、ライハルトはすぐ傍で、その場で見ていた。
父に相変わらずの繰り言を聞かされながらも、庭の作られた家庭菜園の手入れを一緒にしていたところに、知らぬ間に作られ売り払われた債権を買い取ったという業者から取り立てを受けて激高した祖父ロイハルトが、エリハルトを問い詰めにやってきたのだから。
訳も分からず目の前で始まった断罪劇。
愛する父が滂沱の涙を流して後悔……いや、違う。ライハルトの為に金を作りたかったのだと告解する中、尊敬する祖父が胸を押さえて倒れた。
誰が上げた悲鳴なのか。
それともその悲鳴を上げたのはライハルトなのか。
それすら、ライハルトには分からなかった。
倒れ込んだ祖父を慌てて屋敷の中へと運び入れ、ベッドに寝かせた時も。
急いで連れてこられた医者がロイハルトの手首を確かめ、首元を確かめ、瞼を下げて確認した後、痛ましげに首を横に振って「ご愁傷さまです」と告げた時も。
その場にいるライハルトの目に入る全ての人間が声を上げているか声を潜めているかの差はあれど、みんな大粒の涙を流して泣いていた。
泣いていないのはライハルトだけだった。
呆然と立ち尽くしていたライハルトは、大人に指示されるまま、あちこち移動したり、着替えさせられたり、指示された場所で次の指示を受けるまで立ち尽くしていた。