4-4.金持ち公爵夫妻は娘の幸せを願っている
4-4.
アレッサンドラは、結婚して十年経って妻が二十九歳の頃にようやく生まれた夫婦待望の子供だった。
貴族の妻は十代後半で結婚し、すぐに懐妊して二十代前半には数人の子を産んでいることも少なくない。
なかなか子宝に恵まれなかったラート夫妻は、きっとこの子が最初で最後の子だと、女児ではあったが跡取りとして育てることを決意した。アレッサンドラ3歳の誕生会で大々的に発表して、婿に入る相手も同時にお披露目を行った。
それから五年の歳月が過ぎ、アレッサンドラが剣術指南まで励むようになった頃。
完全に諦めていた男子を、妻フランチェスカが出産したのだ。
まったくの準備不足、認識不足だった。
出産の数カ月前に、寂しそうな顔をした妻から「月のモノが乱れてきてしまって」と報告を受けた時には、「すでにアレッサンドラという宝に恵まれている」のだとルチアーノは妻を慰めた。
気に病むことは何もないと伝え、日に日に体調を崩しがちになる妻へ「食べられそうなものを食べられる時に摂ればいい」と無理をしないよう伝え、女性の気が弱まってきた時に食べると良いとされるものを探させては差し入れた。
決まった時間に食事を共にできることすら少なくなって行く日を嘆いたし、食欲が戻ってきて身体つきがふっくらしてきた時には神へ感謝を捧げた。
だが、それらが実は女性特有の病気などではなく、妊娠していたという事実が判明した時には妻はすでに臨月を迎えていた。
慌ただしく出産準備を整えて、てんやわんやで迎えた出産当日いきなり嫡男誕生となってラート公爵領はお祭り騒ぎとなった。
その間、アレッサンドラは「自分にもきょうだいができるのですね」と喜んでいたように思う。
情けないことにルチアーノは、この言葉を言った時の愛する娘の表情や言動をはっきりとは覚えていないのだ。
完全に浮かれてしまい、娘のフォローを後回しにしてしまった。
この時期のアレッサンドラにつききりになって奮闘してくれたのはアリーという名の専属侍女ひとりきりだ。
彼女は今もアレッサンドラ至上主義を貫いてくれている。有難いことだと親として感謝していた。
その侍女の視線が、最近頓に鋭くルチアーノの心に刺さる気がしている。
多分間違いない。
あれは、アレッサンドラの新しい婚約者について、何か言いたいのだ。
間違いない。
誰も文句のつけようがない完璧な王子を探し出して結婚させろと思っているのだと思う。もしくはそれに勝るとも劣らない素晴らしい婚姻相手を探してこいと思っているに違いない。
「……国外で、探すしかないのか」
がくりとルチアーノは項垂れた。
国内で、歯向かう者など誰もいないとされるラート公爵家。
その当主ルチアーノは、誰より冷徹な頭脳を持ち、どんな苦境に陥ろうとも厳然たる態度でそれを乗り越えることができると謳われた男だ。
国内外を問わず、彼との交渉事で彼を出し抜くことなどできないとまで言われている。
そんなルチアーノであったが、家族に関してだけは骨抜き状態でぐっでぐでなのだ。
この情報に関しては最重要機密としてラート公爵家の中だけでしか知られていない。多分。
コンコンコン、コン。
通常、扉をノックするのは三回だ。
ルチアーノの書斎の扉をノックする時、少しだけ時間をあけてもう一回叩くのは唯一人だ。
「フラン。君ならいつだって大歓迎だ」
この書斎には家令がいるというのに、当主自ら扉を開けに迎えに出る。
迎えられた相手は、嬉しそうに微笑んで、差し出された頬に、軽くキスを贈った。
「お忙しい時間でご迷惑になるかもとは思ったのだけれど、どうしても聞いて欲しいことがあるの」
書斎に入ってくるなり、まずは謝罪めいた言葉を口にするフランチェスカの頬に、ルチアーノはキスを贈る。
結婚して三十年近く経つが、ルチアーノの目には今でも妻は結婚当初と変わらず愛しい存在だった。
確かにお互いに時間を重ねた分だけ見た目も変化してきている。
けれど、ふとした時に見せる表情や仕草、いざという時に覚悟を決めた時の瞳の凛々しさは、今も何も変わっていないと思うのだ。
「私が、フランのことを迷惑に思う筈がないさ。さぁ、話して」
ソファへ誘い横に座る。
目線を家令に合せれば、彼は心得たとばかりにお茶の用意をしに書斎から出ていった。
「あのね、アレッサンドラの婚姻なのだけれど、できれば……いいえ、お願いです。わたくし、あの子を、あの子が好きになった相手と結婚させてあげたいの」
「そんな相手がいたのか!?」
衝撃の事実だった。白紙に戻されたとはいえ、元婚約者とはそれなりに良好な関係を築いていたと思っていたルチアーノは、娘の恋を邪魔していたと知って世界がひっくり返った気持ちになった。
事実かどうかアレッサンドラの口から確認したいところだが、ルチアーノには愛する妻の口から告げられた言葉を疑うつもりなどない。
「よし。まずは調査書を手配しよう。そうしてそれを見てから、身上書を取り寄せても遅くはない」
これまで見合い相手の候補に挙がってこなかったその相手について、いい噂も悪い噂もラート公爵の耳には入ってきていた。
だが、信頼できる存在が、非公式ながら庇護を申し出ている事もある。
駄目だと拒否するのは、自分の目で確認してからでも間に合う。
ルチアーノはそう判断して、愛する妻の肩を抱き寄せた。