4-1.金持ち公爵令嬢のためいき
※しばらくラート公爵家がお話の中心となります。
4-1.
学園に通う用の動き易さを重視した装飾の少ないデイドレスから、部屋でゆっくり過ごす為のやわらかな素材でできた緑のグラデーションワンピースドレスに着替えたアレッサンドラは、テラスに用意された紅茶を前に、じっと黙って何かを考えているようだった。
そうやって、ただ黙って考え事をしている時間が増えてきているのがアリーには堪らなく不安だった。
「お嬢様、何かお悩みがあるのですか? もし、アリーにできることがあるならば、何でも申し付け下さい。誰にも口外したりしません。愚痴でもなんでも、アリーには言っていいんですよ」
テーブルの上に放置され、すっかり冷めきってしまった紅茶を入れ替えながらアレッサンドラが幼い頃から専属侍女であるアリーがさりげない風を装って声を掛けた。
十も年の離れた弟君フリードリヒ様が誕生した時から、アレッサンドラ様の未来は決まっていたようなものだったけれど、それでもアリーは己の敬愛する主が現在置かれている立場がただただ腹立たしく悔しかった。
勿論それを主に悟らせないだけの度量はあるつもりだ。あくまで、茶目っ気ある態度として許される範囲しか表に出すつもりは無い。
できることなら大きな声で叫び散らかしたいところだが、それを自分がしてしまったら逆に主は冷静にならざるを得なくなるということを知っていたからだ。
最終学年へ進級するにあたって持たれた話し合いの結果、アリーの愛する主は長年婚約関係にあった侯爵家の三男との間で、その婚約関係を白紙に戻すことに合意した。
公爵家のたったひとりの嫡子として跡取り娘として、厳しい教育に耐えてきたアリーの主は、縁戚から三男を婿に迎えて次代のラート公爵とする筈だった。
その為の婚約だった。
けれど、その努力のすべては、弟君が生まれたことですべてが無に帰された。
すくすくと健康に育つ弟君は、アレッサンドラ様によく似て愛らしい。
けれどもアリーは、どうしても、思ってしまうのだ。
生まれてくるならば、何故もっと早く、アレッサンドラ様が跡取りとなるべく厳しい訓練を受ける前にしてくれなかったのだろうか、と。
座学や礼儀作法だけなら良かった。けれどもこの国で最も裕福な公爵家の跡取りとして武術までとなると話は全然違ってくる。
普通の令嬢に、そのような素養は必要ない。そして元婚約者は子爵家しか継げなくなったこと以上に、自分より強い女性を妻として迎えることに難色を示していることを、アリーは気が付いていた。
武術を学ぶようなことにならなければ或いは婚約はそのまま成立したのではないかと恨みがましく思ってしまうのだ。
正直なところ、元の婚約者ではアリーの敬愛する主に相応しくないと思っていた。
すべてが妻となる主に劣るのだ。
だから新しい婚約者に期待を掛けたいと願う気持ちもある。
けれど、こうして日を追うごとに黙り込む時間の増えてきた主の横顔がアリーにはたまらなく辛かった。
物心がついた頃から12年も結んでいた婚約を白紙に戻され、すでに主は17歳だ。
有望な青年はすでに婚約者がいるか既婚者ばかりで、新たな婚約者は妥協の下に選ばれてしまわないだろうかとアリーは毎日やきもきしていた。
何故、こんなにも美しく聡明で、お優しい主がこのような目に遭わなくてはならないのか。
今、憂いを秘めた眼差しで紅茶を前に思い悩む姿も絵のように美しい。
瞳の色に合わせた艶やかな緑色のグラデーションワンピースは、襟元ではほとんど白なのに裾に近づくにつれて色が濃くなっていく。美しいグラデーションの終点にはとても濃い色がすっとひと筋分だけ、スカートの裾を縁取るように色づいている。ワンピースに掛かる腰まで届く艶やかな黒髪が幻想的なまでに美しかった。
そんな美しい主だったが、ここ最近はずっと、寝ても覚めても常に何か遠くを見ているようで、いつもは知的好奇心で煌めいて見える瞳がその輝きを失っていた。
思い悩むその姿に、アリーは烏滸がましいと思いつつも、少しでも主の憂いを少しでも晴らせないだろうかと思うようになっていた。
これまで何度か「何か、これまで禁止されてきたことでもしてみませんか?」とアリーは声を掛けてみた。けれども毎回「思いつかないわ」と微笑まれて、ふるふると首を横に振られるばかりだった。
だから今回も、アリーとしては思い余って声を掛けてしまいはしたものの、いつもと同じように首を振られてしまうものだと覚悟していた。
首を横に振って無理な笑みを浮かべられてしまうのは傍にいることしかできない自分の立場を突きつけられているようで、切なくて仕方がなくなるのだが、それでも声を掛けずにいて、主から自分はひとりきりなのだと思わせてしまうことも耐え難い。
一番辛いのは主だと思いつつ、また声を掛けてしまった。
だから、拒否を表されないだけでも光栄なことだと思うのに。
「ねぇ、アリー。私の持参金って、幾らまでなら用意して頂けると思う?」
頬を染め、意を決した様子で告げられたアレッサンドラの言葉に、アリーは返答することはできなかった。