3-4.もうひとつの再会
3-4
ガタガタと、入学式が終わって教室へ移動することになったライハルト達が席を立つ。
今日はこの後、学園内の案内や説明を受けたりクラス内で自己紹介などをして終わりの予定である。
メインのイベントである入学式と、知った衝撃の事実にある種の興奮と爽快感を覚えていたベントとライハルトは、スイの姿を探して目線を彷徨わせた。
その時、上級生らしき女子生徒が声を張り上げた。
「あら。おかしいわね。使用人風情が、なぁんで伯爵家の区画に座っているのかしら」
ライハルトを睨め付ける、ねっとりと粘着くような視線には、間違えようのない憎悪が宿っている。
「ライ、行こうぜ」
まだ、その女子生徒から名指しを受けた訳ではない。
ベントは壁際に立ってこちらを睨んでいる女子生徒とライハルトの視線が合わせないように二人の間に割って入り、立ち塞がるように背中を向けて早く会場から抜け出そうと促した。
今ならまだ間に合う。そう信じた。
けれど、ベントとライハルトがその場から立ち去るより早く、カツカツと高くヒールを鳴らしてその上級生は近づいてきた。
「あら、逃げるの? 侍従見習いの癖して、どさくさに紛れて上位貴族の席へ座るなんて。侯爵様へ、言いつけましてよ?」
侯爵、の言葉でライハルトの足が止まった。
急ごうと促すベントを手で制し、ライハルトは令嬢が近づいてくるのに任せた。
「ふふ。ようやく地位の高い人間に従うことを覚えたようね。少しは学習できたようでなによりだわ」
扇で口元を隠していたが、品性の無さまでは隠せなかったようだ。
上級生の表情からは、見つけた獲物をどう甚振ってやろうかという下劣な思考が滲み出ている。その視線は異様にギラついていた。
ビシッと扇を前に突き出し、上級生が断罪する。
「さぁ、自分のいるべきところへお帰りなさい! ここは上位貴族が着く席です」
けれどもその追及の言葉は、にこやかなライハルトの言葉により、あっさりと覆されてしまうのだった。
「グリード伯爵家嫡男ライハルトです。お名前をお訊ねしてもよろしいでしょうか、先輩?」
ゆるりと見える笑顔を浮かべたライハルトがそう名乗ると、途端に上級生は狼狽え出した。
ニーナの常識では、上位貴族たる伯爵家その嫡男が行儀見習いとしてであろうとも他家へ使用人として入ることなどあり得ない。
つまりはどんなにそっくりであろうとも、あの小生意気な侍従見習いとは別人であろうと結論づけた。
「え? あ。に、ニー……ボン伯爵家息女ニーナですわ。し、失礼致しました。どうやら人違いをしてしまったようですわ」
ホホホ、とわざとらしい作り笑いをしながら扇を開いて顔を隠すニーナに、ライハルトは内心ほくそ笑んで、「いいえ。これだけ初めて会う人間が沢山いる場所です。人違いをすることもあるでしょう」と穏やかに許しを与えた。
その態度に再びニーナの心に反発する気持ちが芽生えたものの、たった今、人違いをしてしまったと謝罪したばかりである。
ここでまた事を荒立てて、伯爵家の人間(それも嫡男)に対して下級貴族の区画へ行けと言ってしまったことまで追及されてしまっては、ニーナの方が分が悪い。
あの侍従見習いのせいでニーナは家に帰ってからも散々叱られた挙句、二度とブル侯爵家へ連れて行って貰えなくなってしまった。生意気な使用人を叱っただけなのに。思い出してもはらわたが煮えくり返る。
今でもニーナの心の奥に深く潜むあの侍従見習いへの復讐心が、似た色味を持つこの伯爵家の嫡男を、あの憎たらしい子供の成長した姿であると勘違いさせたのだろう。ここでその復讐心に任せて八つ当たりする訳にはいかない。
ここは、ボン伯爵家の中ではないのだ。
ラキサ学園内で失敗してしまってはその後の人生が終わってしまう。
跡取りとなる兄のいる家に娘として生まれたからには、どこか嫁入り先を探さねばならないというのに。未だに婚約が調っていないニーナには死活問題だった。
多分間違いなく、自分は今の失敗で嫁入り候補先を一つ失ったばかりだ。
ライハルト・グリードと名乗った伯爵家の新入生を、ニーナは扇の影から品定めした。
濃い金色に輝く髪。宝石の様に煌めく水色の瞳。大人びた整った顔立ち。
そのどれもが唯一無二の、あの日、ニーナに楯突いた生意気な侍従見習いだけの物だと思っていたのに。
違うのは、記憶より長い髪とシャープで少し大人っぽく男性的になった頬のライン、そして目線がかなり上に上がった事。それ位のものだ。
別人と分かった今も、目の前の伯爵令息は、ニーナの記憶にある侍従見習いの成長した姿にしか見えなかった。
この見た目ならば、たとえ年下であろうともニーナの嫁入り先に選んでやっても良かったのに。見間違えたばっかりに、その芽も失った。
――やはり、次にあの侍従見習いに出会った時には、絶対に目に物を見せてやらねば。
腹の底で渦巻く不快な気持ちを無理矢理押し込めながら、ニーナは「失礼しました」と突然の追及を始めた時から明らかにトーンダウンした小さな声で謝罪を口にして足早に退散した。