2-6.奉公令息、帰郷する
2-6.
「ライ! おかえりなさい」
何年振りかに自宅へと足を踏み入れたライハルトを迎えたのは、父でも母でもなかった。
デビュタントへ共に参加したハーバル子爵家の二女だった。
「……ソニア・ハーバル子爵令嬢。お久しぶりです」
いきなりピンクのドレスを着た少女に抱き着かれそうになったライハルトは、すっと一歩横にずれることで、その突進を躱した。
よろめいた令嬢の手のみを、そっと押さえて転ぶことだけは阻止してやる。
そして、あっさりとその手を離した。
「えへへ。ライの顔を見れて嬉しすぎて。ちょっとはしゃいじゃった」
ミルクティ色の髪を顔の両側で結んでそこにも大きなピンクのリボンが結ばれている。
ブル侯爵家で教え込まれた言葉遣いを駆使すれば”子供らしい”、ライハルト自身の言葉で表現するならば”令嬢らしさがない”明るい笑顔がライハルトを見上げていた。
ハーバル子爵領はグリード伯爵領の隣にあって、まだ祖父や祖母が存命だった頃はそれなりに経済交流も盛んだった。カリン亡き後も母デイジーが偶に開くお茶会の席には必ずハーバル子爵夫人の名前があって、ソニアもその席に参加することもあった。勿論、嫡男としてそういった席では必ずライハルトも挨拶するように呼ばれていたので、ソニアとも挨拶をしている筈だ。ライハルトにその記憶はないが。
けれど、それにしてもこれほど親し気に綽名で呼ばれる理由も分からずライハルトは困惑した。
一年前のデビュタントの時に「久しぶりね、ライ! 会いたかった」と両手を掴まれた時もライハルトにはまったく記憶がなかったし、ソニアのそのとても子爵令嬢とは思えないマナーの無さと所作の汚さ、そしてソニアの父であるハーバル子爵の視線の冷たさに辟易したことしか記憶にない。
何故これほど近しい態度を取られるのか、ライハルトにはまったく理由が分からない。
「でも、やっぱりライだわ。転びそうな私を颯爽と助けてくれるんだもん。嬉しい。ありがとう」
「いいえ。ハーバル子爵令嬢が転ばなくて良かったです」
この手のタイプは、転んだのが自分のせいであろうが助けてくれなかったと相手を恨んで吹聴する事が多い。
同じ歳のこの令嬢も、きっと来月からはラキサ学園へ共に入学して同級生となるのだろう。学園入学前から自身の評判を落とすような失敗を犯す訳にはいかないのだ。
それにしても、何故この令嬢はここにいるのだろうか。
しかし、後ろから悠々とした様子で出てきた父と母の様子を見ていて、ライハルトにはすぐ想像がついた。
――そうだ。ハーバル子爵家は、大きな商会を持っているのだ。
つまりこの令嬢は、父が言う「祖父さんが作った借金を穴埋めしてくれる、裕福な結婚相手」の候補なのだろう。
それでデビュタントのパートナーにもなったのだ。
なるほどとは思ったが、正直なところライハルトはその目はないだろうと思っていた。
理由は、デビュタント当日の、ハーバル子爵の態度だ。
「せっかく隣の領地に同じ歳の男の子と女の子が生まれたのですもの。これを切っ掛けに仲良くなれたら素晴らしいことではなくて?」
母デイジーの妄言のような思い付きにより、ソニアとライハルトはデビュタントのパートナーになることになった。
格上である伯爵家からそう言われて子爵家であるハーバル家としては上手く断ることができなかったのだろう。
けれど、あれは婚約ではなかったから承諾して貰えたに過ぎない。
ハーバル子爵の、デビュタント時の態度から考えれば明らかなことだ。