2-3.奉公子息と我儘な伯爵令嬢
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けれど、まさかその嫡男の嫁シャルルの姪ニーナが、ライハルトに目をつけ執心するとは誰も想像しなかったに違いない。
ニーナ・ボン伯爵令嬢。歳はライハルトより一つ上だ。
勝気な性格そのままの吊り目の少女は、ボン伯爵家待望の女児として生まれた令嬢としてどんな我儘も叶えられるほど甘やかされて育ってきた。
嫡男の兄はそれは厳しく躾けられているが、ニーナにそれはない。
ただひたすら、赤い巻き毛を揺らしてツンと顎を上げる姿はおしゃまで愛らしいと、父方母方双方の祖父母までから、甘やかされてきた。
ニーナは、自分が世界で一番かわいくて特別だと思っていた。欲しいと願ったものが手に入らなかったことなどこれまで一度たりともなかったのだ。
だから、使用人ごときに申し出を断られるとは思いもしなかったのである。
いくら叔母の嫁ぎ先であるブル侯爵家が彼女の家の伯爵家より格上であろうとも、たかがそこに勤める使用人ごときに、ニーナが求めて差し出した手をあっさりと撥ねつけられるとは想像もしていなかった。
屈辱で真っ赤になったニーナは、侯爵家の廊下をはしたなく駆け抜けると、母親とお茶を飲む叔母シャルルに向かって叫んだ。
「おばさま、あの失礼な使用人を首にして!」
目に涙を湛えて訴える娘に、ボン伯爵夫人は驚いた。
それ以上に、ここは妹の嫁入り先とはいえ格上のブル侯爵家。そこの廊下を声を上げて泣きながら駆けてくるなどそれだけでも言語道断の振舞いだ。しかもノックすることすらせずに扉を開けて入ってきた。
だが、なにより酷いのは、いま娘が妹へ訴えている内容だ。
「この私の専属侍従にしてあげるって言ったのに断ったのよ!? クビにして。今すぐ!!」
不躾にも、侯爵家の使用人を我が伯爵家へ移籍するよう要求したというのか。一体どの使用人へそんな要求をしたのだろう。
久しぶりに会った姉と妹として、ふたりきりのお茶会に話が弾み過ぎて娘から目を離した自分が恨めしかった。
『少しだけお庭を見せて戴いてもいいですか?』会話に飽きた娘が強請るまま、侯爵家の見事な庭を見たいという我儘を受け入れてしまったのは失敗だったようだ。
親としてあまりに躾のなっていない娘の行動に、伯爵夫人は恥ずかしくて堪らなかった。
「ニーナ、よしなさい」
「あの、年下の侍従見習いを、今すぐ首にしてって言ってるの! 貴族だとしても格下の二男か三男なのでしょう? それなのに、私がボン伯爵家へ誘ってあげたのに断ったんです。無礼だわ」
母が止めるのも無視してニーナは泣き叫んだ。
そうしてその年下の侍従見習いという言葉に、そこにいた誰もが一人の少年を思い浮かべた。
見事な金髪と宝石の様に透き通る青い瞳の持ち主は、一年ほど前に当主と親交の深いブラン伯爵の紹介でこの侯爵家へとやってきた。当初こそ言葉遣いや所作に難があったものの、あっという間に教えを習得し、すべてを卒なく熟せるようになっていた。
当主は勿論その少年の出自について詳しく知っているのだろうが、それ以外の侯爵家の人間は誰も彼について詳しく知る者はいない。むしろ「触れないように」とお達しが出された。つまり、本来は侯爵家で行儀見習いを受けるような身分ではないのだろう。もしかしたら王族かその血を引くご落胤かと口にする者もいる。けれど、その言葉を発した者は周囲からギロリと睨まれて黙るのが常だった。
当主が「触れるな」と言ったからには冗談のつもりだろうと許される事ではないのだ。