1-14.更なる不幸
※親族の死があります。
1-14.
コンコンコン。
「デイジー? 入って」
今のグリード家には専属の使用人はいない。週に二回ほど持ち回りで来ては下働きを勤めてくれている領民しかいないのだ。
この家に住んでいるのは、カリンとエリハルトとデイジー、そしてライハルトだけだ。
ライハルトが気を失って倒れた今、カリンの部屋のドアを叩く者など、デイジーしか残されていない。
「お義母さま、旦那様、ライハルトが目を覚ましました」
そうして届けられた孫の様子に、カリンは少しだけホッとした。
「よかった。痛がっていない? お医者様はまだよね」
意識は戻っても、大きな怪我がないとは限らない。早く医者がついて診察が受けられればいいのにと思う。
なのに。
「……医者なんて呼んでない。この俺の権限で止めた」
暴力を振るって怪我をさせた張本人から信じられない言葉を聞かされてカリンは驚いた。
「なんですって?!」
「呼んでどうする? 治療費なんてどこにもないんだ。大体、あの位で気絶するなんて。訓練所で何をしてるんだか。平民だったらかすり傷ひとつ付かないだろうに」
憎々し気に叫んだエリハルトのその顔には、傷ついたのは自分の方だと書いてあった。
平民を貶す言葉も好意で受けさせて貰っている訓練所での鍛錬も、すべてに悪意を撒き散らす息子が、母には許せなかったのだろう。
カッとなったカリンは、エリハルトに掴みかかり、そうして……。
「あっ……っ、ぁ……っっ!!」
胸を押さえ、苦悶の表情でそのまま崩れ落ちる。
その唇が紫色へ変わり、苦し気に胸を押さえ咽喉を掻きむしり、のた打ち回る。
助けを呼ぶように、空中を掻いた手は何をも掴むことはなく、空気を求めてはくはくと動くばかりになった唇から音は漏れても言葉にはならなかった。
そうして。
呆然と、事の成り行きを見つめるばかりだった息子夫婦の目の前で。
カリンは、尊敬する最愛の夫と同じ死を、迎えることとなった。
********
勿論、父と母、ふた親を殺したのは自分の馬鹿な行いによるものなのだと、エリハルトには認められなかった。
そんな夫でありながら、いや、そんな夫だからこそ、妻デイジーには誰よりも大切で大事に大事に守って上げなくてはならない最愛の人だった。
王立ラキサ学園で知り合ったから時からずっと、デイジーはこの心が弱くて、憧れの祖父ウィリハルトの逸話を嬉しそうに話すエリハルトが放っておけないのだ。
家族からは散々、「グリード伯爵家が駄目なんじゃない。あのエリハルトという男が駄目なんだ」と反対されたが、それでもどうしても彼の傍から離れられなかった。
だから駆け落ち同然でグリード家に嫁に来た。家族は諦め、二度と関わらないと書面にして寄越した。
そうやって始まった結婚生活は、家族から散々言われた通り楽な道ではなかった。
けれどもデイジーは、エリハルトから離れたいと思ったことは一度も無い。
デイジーにとって、エリハルトがすべてなのだ。
そうしてそれは結婚して10年以上経った今も変わらない。
ふたりの愛の結晶である息子よりもずっと。
デイジーには、エリハルトのことだけが、なによりも大切だった。
当然の帰結として、父は息子にその責を押し付け、息子の母は、母であることより妻であることを選んだ。
つまりは夫婦揃って、息子ライハルトより、エリハルトその人を、選んだのだった。