1-12.ライハルト・グリードの罪
1-12.
ライハルトは、ブラン伯爵の伝手により王都周辺を廻っている商隊の荷馬車に相乗りさせて貰う事で訓練所での鍛錬を続けることができる様になっていた。
週に一度、昼前に商隊の馬車に乗せて貰う。王都に着くのは昼過ぎだ。
午後の訓練を終えた時間からグリード伯爵領へ向かう商隊はいないので、ひと晩そのままブラン伯爵の家に泊めて貰い翌午前中に鍛錬に参加して昼過ぎの馬車で送って貰うのだ。
たった週に一度にはなってしまったけれど、それでも一人で黙々と剣を振っているのと指導者の下で仲間と一緒に行う鍛錬では質も違えば楽しさも違ってくる。
そしてなにより、ブラン伯爵邸にある図書室の本を自由に読んで良いと許可を貰えたことも、ライハルトには嬉しかった。
ブラン伯爵は「次に来る時に返してくれればいい」と本を貸し出してくれさえするのだ。
グリード伯爵家は元々ちいさな図書室しか備えておらず、その上、比較的価値のありそうな初版本などは祖父が売り払い借金の返済に使ってしまっていたので、その蔵書はこの国の歴史書や領内の運営に関する書物と辞書が数冊と、曾祖母が遺し祖母と母も手に取ったという恋愛小説が数冊だけ。子供だったライハルトには意味不明の恋愛小説すら手に取っていたライハルトには、新しい知識を得られる本を自由に閲覧することを許して貰えたことがとても嬉しかった。
その日も、一冊だけだが新しい本を借りて大事に抱きかかえて帰ってきたライハルトは、庭先で野菜畑の手入れをしているらしい父エリハルトに、元気な声で「ただいま帰りました」と声を掛けた。
「はぁ。いいなぁ、ライハルトは。毎週王都で遊んで、たらふくご馳走を食べて帰ってこれるなんて、最高だろう」
一瞬、ライハルトは何を言われたのか分からなかった。
「ブラン伯爵家では肉も魚も、甘い物だって食べ放題させて貰えるんだろう? お前ひとりだけ。よかったなぁ」
「え。……あの。え?」
それまでそれほど裕福ではなかったが、一応は使用人がいて、料理は専属の者が作ってくれる生活を送っていたのに、それを台無しにしたのは父エリハルトではないか──咽喉元までそんな言葉が出掛かったが、何故だかその言葉は、喉奥に引っ掛かってライハルトの口から出ていこうとしなかった。
ただ、途轍もなく寂しくて、悲しくなった。
泣きたくて仕方がなかったが、何故だかライハルトは泣くこともできなかった。
目の前で、ライハルトに向かってネチネチと絡んでくる父エリハルトの顔が、泣いて見えたからかもしれない。
滔々と。如何に自分が悲しく苦しく辛い思いを我慢しているのか。歴史も名誉もあるグリード伯爵家の当主と認められない事がどれだけ屈辱的なのか。切々と父は息子へ訴える。
段々と、自分の言葉に興奮してきたのだろう。
エリハルトの声は段々その声量を増し、言葉は汚いものへと変わっていく。
ついには父エリハルトの顔も見ていられなくなって、ライハルトは力なく、自分の足元を見下ろすばかりになっていた。
「父親の話を、ちゃんと聞けぇ!!!!」
ガッ。頬をいきなり殴られて、ライハルトはその場に転んだ。
手入れの行き届いていないグリード伯爵邸の庭は、今や小石や雑草だらけで、背中から倒れ込んだライハルトの肘や手のひらには血が滲んだ。
ずきずきとしたこの痛みは、擦り傷に小石が食い込んでいるからなのか、父エリハルトから殴られたからなのか、それとも言われた言葉の内容の理不尽さが理由なのか。
ライハルトにはわからなかった。
分からな過ぎて、目の前で仁王立ちして未だに罵倒を続ける父エリハルトが言っている言葉を、何とか理解しようと、集中しようとした。
「お前にそっくりな祖父ウィリハルトが作った借金が元凶だ」
「お前が名前を貰った父ロイハルトは貴族としての誇りをかなぐり捨て、金の亡者のような生活を強いた」
「お前に、貴族らしい生活を送らせてやりたかっただけなのに」
「だから、お前が。お前に、この借金漬けの生活を、なんとかする責任があるんだ!」
あぁ、そうだった。
祖父が亡くなった夜に、ライハルトはきちんと理解したつもりだったのに。
すっかり忘れて、毎日の生活に、ちいさな幸せを見出して、自分はそれで満足するとことだった。
そんなことを、許される訳がなかったのに。
ぐるぐると回る、父エリハルトの罵倒する声と顔。
ライハルトは、寝込んでいた祖母カリンが騒ぎを聞きつけ駆け付けた時には、完全に気を失っていた。