#005
夢を見てる時に目が覚めるの。昔、おばあちゃんとおばあちゃんが言ってたわよね。
夢見がちなのは、そういう時、人は何かに不安を感じてしまうのだって。
人は不安を無くせる力を持っている。それは、自分自身すらも不安をかき消す力。けれど、おばあちゃんが言ってたのは、そういう時は『良いことが起こる前触れ』だって。
そんな予感が、あるの。
ねえ、アイビスちゃん。
あなたはいつも言ってたわね。〝良い事は起こる前触れ〟だと。
良いことが起きたら、人は幸福なのね。
悪いことをして良いことが起こる。
なのに、その兆候はいつだって、他の人にないの。なのにね、世界はいつだってたくさんの出来事が起きるの。
地震。噴火。洪水。洪水。
悪いことをした人は、どこ? 悪い人はどこ?
それは、わからないのよ。
でもね、アイビスちゃん。
人は、いつだって一生懸命生きているのよ。
あなたはいつも、そうなのよ。
今、この瞬間の、幸せは。
とっても特別な、アイビスちゃんだけにあるのよ。
それは神様があなたに贈る何よりのプレゼント。
神は、あなたが幸せじゃないことに怒ってるの……。
ねえ、アイビスちゃん。お出掛けの前に少しお説教をしてほしいの。
ねえ、そんな顔をしないで。
あなたは世界で一番幸せで、そして一番不幸なのよ。
そう、神様は。
世界で一番、無慈悲なの。
ねえ、アイビスちゃん。
あなたはちゃんと、分かってる?
この世界が大好きなんだって。
世界で一番、愛されているんだって。
自分の罪も知らずに、『悪いこと』をしている人を見ると、不安で胸が張り裂けそうになるけれど、それでも大好きな世界だと思うの。
だから、そんな顔をするようなことは、してほしくないの。
あのね、アイビスちゃん。
あなたは――。
幸せなの。
とってもとっても、とても、とっても幸せで、
神様は、そのあなたをとても、愛しているのだと思うわ。
ねえ、アイビスちゃん。
悪いことをする人を見たら、その人を責めてちょうだい。
そうしたら、神様があなたの罪と向き合いましょう。
そうしたら、私があなたの幸せのために祈りを捧げるわ。
世界で一番幸せなあなたのために。
だから、お願い。
自分を責めてはダメよ。
苦しくても、辛くても、
ちゃんと、自分を責めていいのよ。
今までみたいに、笑顔でいよう。
今までみたいに、好きって言えばいいのよ。
あなたは精一杯頑張っているんだもの。
誰も、あなたが一番よ。
誰もが、一番を願っているものなの。
神様に祈ると、あなたが幸せになれますように。
だから、幸せになるのよ?
私、あなたとずっと、永遠に、一緒にいたいわ。
神様、私はいつでも見守っておりますからね。
「おはようございます、お嬢様」
次の日の午後。お嬢様は、リビングで読書をしていた。
珍しい。俺は昨日、お嬢様の分の弁当を作っていた。まあ、お嬢様の分だけでないかも知れないが。
しかし、昨日はやたらお嬢様が楽しそうに読書をしていたから、ついつい手伝わせてしまったのだ。
しかし、お嬢様がこんなに楽しそうに読んでいる様子は初めて見るかもしれない。
なんというか、可愛らしい女の子なのだ。
そんなお嬢様が、こちらを向く。
俺は持っていたバスケットを机の上に置いた。
「もうお昼かしら?」
「いいえ、お嬢様。……お出掛けですか?」
「ええ。本当はお昼まで張り付いて過ごそうかと思ったのだけれど」
お嬢様はそう言うが、俺はそんな命令はしない。お嬢様はそういう所があるのも、知っている。
少し、照れくさい。
そんな俺を窺うように、お嬢様が首を傾げる。その仕草がまた、愛らしい。
「どうか、なさいまして?」
「え、ええと……その」
俺がそう問うと、お嬢様は俺の前で足を止める。
そして、可愛らしい仕草で首を傾げ――――こちらを見て、にっこりと笑った。
「お昼に、一緒に出かけましょうか」
「え……」
「行きたいところがあるの」
驚いた。
お嬢様が俺に、そんなことを言い出すなんて……。
今までのお嬢様は気まぐれのように言っていたが、それが本気だと気づいたからだろうか。
―――俺は、自分の頭が本当におかしくなったんじゃないかと思う。
俺はお嬢様が朝昼晩、中庭で過ごしていたことを知っていた。
その上、授業中では、ほとんど必ずと言っていいほどお嬢様が側に居たのだ。
勉強熱心で良かった、と心底思う。
しかし、だけど……。
そしてなぜだろうか。
その無邪気な笑顔を守りたい、と思う俺はおかしいのだろうか。
―――『良いことが起こる前触れ』なんて、お嬢様が言うわけないだろう。
お嬢様は、俺の出したバスケットを抱え上げる。
お嬢様。そんなに沢山の荷物、どうするんですか。
……これきりなんてことは、ないだろうが……。
そう思いつつ、俺は昼食兼おやつにバスケットを広げるお嬢様を見ていた。
――――その日、俺はお嬢様のお弁当を持って出掛けた。もちろん、お弁当はサンドイッチで、そして水筒などの細々したものしかなかった。
お嬢様と昼食をとることなんて、きっと二度とないんだな……と思う。
放課後、俺はいつものように図書室に行く。
いつもの席に座り、いつもの本を開いた。
そして今日の出来事を、静かに頭に刻み込む。