#002
「ッ!?くそ、まだ……ッ」
背後に飛び掛かってきた、魔物。
どうにか剣を盾にして防ぐが、完全には防ぎきれず、そのまま大きく吹き飛ばされてしまった。
すぐさま、近くに突き立てていた手斧を掴み、大きく跳躍する。
体勢を整えるまでの時間すら惜しい。一瞬の判断ミスが、死に繋がる。
空中に足場を創り、素早く武器を握り直す。
魔物の爪を力任せに叩き折り、返す刀でその胴体を真っ二つにしようと構えると――――魔物は、既にそこにいなかった。
「……はぁ、はぁ……」
逃げられた、その事実に、彼は大きく肩を揺らして座り込む。
息が苦しい。
爪が当たった肩は既に火傷したように張り付いており、あまり調子がいいとはいえない。
ただ、魔物の追撃は無かった。
消えた?
ついさっきまで目の前にいたのに。
周囲を見渡せば、先ほどまで誰もいなかった草原には、いつの間にか何体もの魔物の死骸が転がっている。
そして……周囲に点在する、今まで彼らが歩いてきた道に視線を向ける。
そこには、もう誰もいない。
「はぁ、はぁっ……!」
草原の向こう、遥か遠くにはヤマト王国の軍勢が隊列を組んで進軍している。
「なんだよ、あれ……」
さっきまで、確かに視界に映っていたのに。
「うへぇ……」
あれが、本当に人間……なのか?
今までと、明らかに違う姿の魔物たちが進軍する姿。
異様な光景に、吐き気が催し、背筋が冷える。
あれだけいた魔物の軍勢の姿が、文字通り煙のように掻き消えた。
まるで夢でも見たかのようだった。
見れば、平原には所々、死したのかと思う程の重傷を負った魔物の死骸が残されている。
その光景に、彼はようやく気づいた。
「俺は……夢でも見ているのか?」
自分で言って、あまりにも馬鹿げていると思い、彼はガシガシと頭をかいて地面に座り込む。
気づけば、彼はこの数十分間、夢でも見ているような感覚に陥っていた。
訳が分からなかった。だが、あの魔物たちは消えた。
あの魔物たちの恐怖、その咆哮は、彼の耳には今も響いている。
つまり―――。
「逃げたのか……?」
どう考えても、あんな化け物共を逃がしたとは考えられなかった。
つまり、彼は逃げたのだ。
あんな化け物共を……。
恐怖した瞳で、彼は前を睨みつける。
あれだけの魔物を前にして、もはや彼は立ち向かう気力を失っていた。
「はぁ……はぁ……」
ドンッ!と、地面に拳を叩きつける。
それだけで、ぐわんぐわんと体中が震える。
足は震えていた。
吐く息が痛い。
それでも彼は、立ち上がった。
足は動かない。だが、彼は再び魔物の軍勢を睨み付ける。
「くっそぉ……まだ、諦めるわけには、いかねーんだ……!」
震える足を無理やり立たせる。
ガキン、と再び魔物の爪と皮がぶつかる。
痛くて怖くて堪らない。
足は動かない、けど心は確かに、恐怖に震えていた。
「……ハァ…ハァ…」
息が荒くなる。
痛い、痛い。
今まで感じたことのなかった、何かが痛みを発する。
怖い―――怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
でも―――諦めない。
「だって、お前が、お前が居ないとダメなんだよ、俺の相棒が……ッ!」
自分の心が恐怖に震えていた。
怖い、怖い怖い怖い。
彼は、己の相棒である少女を思う。
自分はこんなにも人間という存在に恐怖し、恐怖している。
あの美しい外見と、何よりも恐ろしい程の戦闘力―――だが、それだけだ。
圧倒的な戦闘センスも脅威も、彼にはまるで歯牙にもかけない。
「……相棒って、なんだよ」
その問いに、魔物達は答えない。
いや、答えることができるだけの力がないのだ。
「相棒ってなんだよ……」
問いかけに、魔物達は答えない。
答える力を、彼等は持ち合わせていないのだ。
「……なんなんだよ、ちくしょうめ」
足が震える。
心が震えだす。
駄目だ、怖くて、立っていられない。
「ちくしょう……ちくしょう…グリフォンさえ、居てくれりゃ、こんな思いしなくても良かったのによ……ッ」
呟き、さらに足が震える。
ガタンと言う巨大な音と共に、ついに彼らは足を止めた。
「はぁー……良かった……本当に……本当に良かった……」
その場に崩れ落ち、彼は慟哭する。
それは、ひたすら漏れるだけ溢れ出る、彼の心からのものだった。
魔物たちは、そんな彼に近づくことはできない。
「……お前は……誰だ?」
彼の呟きを聞き、魔物達は動きを止める。
「………お前は、なんなんだ?」
それでも彼は問う。
恐怖ゆえに。
己の中に芽生える、どこまでも強烈な恐怖から逃れるために。
そして、彼はこう答えた。
「俺は―――……」
恐怖のままに、告げた。
「俺は―――……」
恐怖を振り払うために。
彼は、そう名乗った。
そして、彼の傍らに現れたのは紅い“龍”。
そして、彼は告げる。
「――――勇者だ」
その言葉に、魔物達の心は恐怖に染まった。
自分達は一体何と戦っているのだろうか?
彼は、かつて自分たちの前に立った“赤い龍”を見た。
自分達は、一体なんなのだろうか?
彼が、恐れる“龍”を相手に、自分は戦わなくてはならないのだろうか