8. 台風の夜
大型の台風がやって来たのは、倉庫に土のうを積んだ翌日の夜だった。夕方から強い風が吹き始め、夜半過ぎには王都全域に警戒警報が鳴り響いた。
チュール奴隷商館の店舗の方は、念入り過ぎるほどに木材による台風対策を行っている。
さらに不測の事態に備えて、商館に一晩残ることができる奉公人を、店舗と倉庫の両方に振り分けていた。
エトウは普段どおり倉庫に泊まり込むことになった。
外は激しい雨風が吹き荒れ、倉庫の屋根がギシギシと音を立てる。
奉公人たちはとても寝ていることはできず、事務室に集まっていた。
一応は職務中のため、酒を飲んで気を紛らわすこともできない。カードゲームや話などをしながら、台風が通り過ぎるのを待った。
奴隷たちの様子を見に行ったエトウが事務室にもどったとき、天井からバリバリバリという物凄い音が聞こえてきた。
同僚たちも何事だという表情で天井を見上げている。
すると、天井の一部が轟音を立てて吹き飛んで、大量の瓦礫が部屋の中に降り注いだ。
「うわぁーーー!」
部屋の中から悲鳴のような叫び声があがる。
運良く出口近くにいた者は部屋の外に逃げることができたが、それ以外の者たちは瓦礫の他にも、天井の穴から吹きつける雨風によって視界と逃げ道がふさがれてしまった。
瓦礫は事務室に並んでいた棚を押し倒して、何人かがその下敷きになっている。
ちょうど部屋に入ろうとしていたエトウは、その状況をつぶさに見ることができた。
部屋にいた者と、出ていった者の人数を頭の中で数えると、部屋の中に取り残されているのが四人だと分かった。
エトウは部屋に入り、周りに人がいないことを確認すると、身体能力を強化するバトルスペルの上から、ヘイスト、ストレングス、プロテクトを重ねがけしていった。
部屋の中はかなり視界が悪い。
エトウは部屋のどこに誰がいたかを思い出しながら、散乱した瓦礫や事務用品などをかき分けて救助作業を始めた。
意識を失って倒れている者を部屋の外に運び出して、手当ては無傷だった同僚たちにまかせる。
エトウは部屋の中と外を往復しながら、三人の救出を終えた。
残りは一人。デントがまだ取り残されている。
ぽっかりと大きな穴が空いた天井からは、屋根の一部が今にも落ちてきそうだった。もう時間がないとエトウが焦りを感じ始めたとき、部屋の隅から声が聞こえた気がした。
雨風を片手で防いで視界を確保しながらそちらに向かっていくと、壁際にデントが倒れていた。
どうやら事務室の棚と瓦礫に片足を挟まれて動けないようだ。
状況を確認したエトウは、棚に手をかけて力まかせに引き上げる。
「クチナシ、お前一人では無理だ! 誰か他の奴を――」
少し黙っていろ、今助けてやるからと、頭の中で叫びながら、エトウはさらに両腕に力を込める。
棚が瓦礫ごとミシミシと鳴って、少しずつ持ち上がっていく。
これで足が抜けそうかと、エトウはデントを見た。
「もう少しだ。まだ引っかかっていて足が抜けない!」
エトウはうなずくと、腰を落としてもう一度力を入れた。
棚はさらに上へと持ち上がり、デントの足との間に隙間が開いていく。
「もう少し、もう少しだ」
「……」
そして、ついにデントの片足は引き抜かれた。
「やった、抜けたぞ! クチナシ、でかした! お前は俺の命の恩人だ!」
デントは大声で叫んだ。
やっとか、なんでお前のために俺が命を賭けなければならないんだと思いながら、成り行きまかせで人命救助をしてしまったエトウは力なく笑った。
☆☆☆
台風は朝方に王都を抜けたようで、雨風も次第に弱まってきた。
昼頃、台風の対応や後始末で疲労困憊の奉公人たちのところに、チュールがあらわれた。店舗に詰めていた者たちが後に続く。
彼らが手に持っているトレイからはいい匂いがしていた。
「皆さん、お疲れ様です。まずは腹ごしらえをしましょう。ケガをしている人はそのままでいいですよ。こちらから持っていかせますから」
ピュールがそう言うと、店舗から来た者たちがテーブルやイスの準備を整えていった。
このときばかりはエトウも我先にと食事を詰め込んだ。温かいスープは疲れた体に染みていくようだった。
エトウたちが腹いっぱい食事をとって人心地がついた頃、チュールとデントは事務室に向かった。デントのケガはチュールが持参したポーションですっかり治っている。
冒険者のように危険と隣合わせの者たちは、ポーションをどんどん使って回復をはかるが、市井の者たちは薬草などで治癒力を上げるだけに留めることが多い。
ポーションはそれだけ割高の商品なのだ。
今回はデントだけがポーションを使い、他の者には薬草で作られた塗り薬などが配布されている。チュールは商館の経営者として妥当な判断をしたと言えるだろう。
「ひどい有様ですね。天井が壊れるとは……。建てたときに欠陥でもあったのでしょうか?」
事務室の瓦礫は大部分を取り除いたが、雨風でひどい状態なのは変わらない。
天井の穴から落ちそうになっていた屋根の切れ端は、外側から縄で縛って固定してある。
「天井が落ちてきたときは、風で上部が剥がされたようです。バリバリと物凄い音がしましたから」
デントがそのときの状況を説明する。
「なるほど。それだけの強風だったということですね。ならば商品には傷もなく、あなたたちにも大ケガを負った者がいないことに感謝すべきでしょうね」
「はい。ですが、困ったことがあります。今日は食料の搬入日です」
「そうでしたねぇ。人手が足りませんか?」
「店舗と倉庫の復旧をしながら、明日からの営業の準備、それに加えて食料の搬入となると、最低でもあと十五人はほしいところですね」
昨夜から倉庫にいた者は寝ずに復旧作業に当たっていた。彼らを順番に休ませながら、一刻も早い復旧を目指さなければならない。
店舗に詰めていた人員にも倉庫の片付けを手伝わせたいが、それだと営業再開の準備に支障が出てしまう。
そうなると食料の搬入に回せる人員が足りなくなるのだ。
「小間使いたちを食料の搬入に連れて行く訳にはいきません。今日だけ臨時で人を雇って、余計なものを見せないように厳重に管理するという方法もあるかと思います」
デントは悩ましい表情を見せながら言った。
「そういえば、クチナシさんは元気そうでしたね? 昨夜、彼が大活躍した話は聞きましたよ」
「……ええ。あいつは見た目よりも体力があるようです」
「食料の搬入には彼に行ってもらったらどうですか? あとは古城にいる者たちに手伝ってもらいましょう。デントさんには私の書状を持っていってもらいます。この非常時ですから、協力してくれると思いますよ」
「クチナシには、早すぎるのではありませんか?」
「しかし、他に人員もいません。誰かを新たに雇うことも難しいでしょう。それはデントさんにも分かりますよね」
「はい」
これから食料を搬入する古城は、チュール奴隷商館が関わっていることを秘匿しておきたい場所である。
新人のクチナシにその情報をもらすことをデントは躊躇した。
「先日、タマラさんとお会いしたとき、私たちがあの場所を使っていることを、彼は知っているようでしたよ」
「なんですって?!」
「街道沿いですからねぇ。目撃者もいるでしょうし、あれほどの商人がその気になって調べれば、土地の登記などはごまかしきれません。ちょうどいいではありませんか。タマラさんの口ぶりでは、そういった商売も含めて共同事業を起こしたいそうですから」
「はぁ、旦那がそう判断されたのなら、俺にはなにもありませんがね」
「それではクチナシさんを加えて四人になりますね。デントさんもお疲れのところ悪いですが、一緒に行って指示を与えてください」
「はい、分かりました」




