5. チュール商館の新人
「おい、クチナシ、こっちに来い!」
うなずいて小走りでやって来た少年は、左頬に青い痣ができていた。自分を怒鳴りつけた相手に頭を下げる。
「けっ、そこで待ってろ! おーい、お前ら、ちょっと集まれ。新人を紹介する」
倉庫内に散らばっていた男たちが集まってくる。
薄いシャツとズボンにベストを合わせたような商売人風の格好をしている者と、荷降ろしの人足のように厚手で破れにくい上下を来ている者とがいた。
「デントさん、新人というのは、そいつですかい?」
「おう、そうだ。こいつは、今度一緒に仕事を始める商館から預かってほしいと頼まれてる。口がきけねぇから、クチナシらしい。はっ、笑えねぇな」
「今度一緒に仕事をするというと、タマラのレミオ商館ですね。大丈夫なんですか? 頬に痣までこさえてしまって」
「いくら呼んでも返事しねぇから殴りつけたんだが、そういえば口がきけねぇんだと思ってな。わははは」
「……こいつに仕事を覚えさせればいいんですね?」
「おう、そうだ。読み書きができて、耳も聞こえるそうだ。倉庫内の雑用からやらせてみろ」
「分かりました」
男たちが新人に目を向けると、クチナシと呼ばれたその少年はぺこぺこと何度も頭を下げた。
左頬の青痣は痛々しいが、それがなくなれば黒髪と平たい顔をしたなんの変哲もない顔だった。
☆☆☆
「いいですか、エトウさん。くれぐれもやりすぎないようにお願いしますよ」
サイドレイクはエトウに何度目かの忠告をしていた。
「分かっていますよ。私は情報収集の係でしょう? しっかり務めてみせます!」
エトウは胸を張って答える。
「本当に大丈夫なんですか? 王都の一角が大破なんてことになったら、損害賠償がどんな金額になるか……」
「そのときは、ギルドの方でお願いしますね」
「エトウさん!」
「ははは、冗談ですよ」
大きなため息をついたサイドレイクの横で、エトウは自分にサイレントをかけた。そして、そのままの状態でも補助魔法が使えることを確認する。
エトウは詠唱なしで魔法を使えるが、キーワードとなる魔法名を唱えなければうまく発動できない。
キーワードを発することで、その魔法を使うための魔力の動きになるように、繰り返し練習したためだ。
だが、自分にサイレントをかけると、脳では魔法名を発していると認識しているのに、実際は声が周囲の者には聞こえない。
つまり、まったくの無音で魔法を発動することができるのだ。
「しかし、よくそんなことに気がつきましたね。サイレントによる無音での魔法発動なんて、聞いたことがありませんよ」
「ピューク様の影響でしょうかね。魔法をいろいろと試すのが習慣になっているんですよ。ヘイストなんかのバフは、魔法を唱えた直後に体が光を放つのでバレてしまいますけど、デバフは使い放題です」
サイレントを解いたエトウは言った。
勇者ロナウドに補助魔法を禁じられてから、エトウは魔法の使い方をいろいろと試していた。パーティーの雑用係から一刻も早く抜け出して、補助魔法を役立てたかったからだ。
最後までその願いは叶わなかったが、そのときの試行錯誤が今回役立ちそうである。
この能力があるからこそ、奴隷商館への潜入捜査をトライエやサイドレイクに認めさせることができたのだ。
「それが変装姿ですか」
部屋に入ってきたタマラは、商館の奉公人姿となったエトウを上から下までじっくりと眺めた。
「うん。いいでしょう」
どうやらエトウの変装は合格点をもらえたようだ。
「全然違和感がないですね。本当にうちの店で働いている下男のようです」
「それはそれで、どうなんでしょうかね……」
「いや、まぁ、エトウ様は普段から控えめな方ですから……ははは」
自分の地味な顔とその印象が役に立つ日がくるとはエトウも思っていなかった。
タマラの紹介でチュール奴隷商館に潜り込む手はずは整った。あとは無音での魔法発動を十分に使って、犯罪の証拠を見つけるだけだ。
エトウはギルドや騎士団の調査結果を待っているだけでは飽きたらなかった。
ソラノの言葉を借りる訳ではないが、誘拐して奴隷に落とす、邪魔になれば殺害するなど、ケダモノ以下の所業である。
その片棒をかついでいるチュールの商館など、いざとなれば叩き潰す気満々だったのだ。
そんなことを考えていたエトウの顔を、サイドレイクが疑わしそうにじっと見ていた。
エトウはすまし顔で、慣れない服の着心地を確かめるような素振りをする。
「それでは行きますか」
タマラはエトウに声をかけた。
変装の確認を終えたエトウは、黙ってうなずいたのだった。




