64. ロナウドとエトウ
「エトウ、それは駄目だ。お前には本隊へ合流してもらわなければならん」
「えっ……!」
ずかずかとテントに入ってきたのは、数日ぶりに会う勇者ロナウドだった。
「ロナウド様……どうして、ここに?」
「司令部にピューク殿から伝言があったのだ。この陣地の司令官はどこにいる?」
「はっ。王国騎士団所属、ラグダ・コンマールと申します。私がこの陣地の指揮を任されております」
ラグダが立ち上がり頭を下げた。
「ラグダ殿、人払いを願いたい。今から口にすることは、機密事項にあたる。エトウと二人で話したいのだが、それは可能だろうか?」
「分かりました。すぐにでも場を整えます」
やはり王国軍の軍属にとって勇者は特別な存在なのだろう。あるいは侯爵家出身というロナウドの身分がそうさせたのかもしれない。ラグダは上官に対するような接し方をした。
人払いが終わると、テント内にはエトウとロナウドの二人が残された。
「お一人で来られたのですか?」
「ああ。ミレイとラナは司令部に残っている」
「そうですか……」
会話が途切れ、沈黙がおちる。
エトウはロナウドと二人きりで話をするのは久しぶりだった。正面からまじまじと見てみると、ロナウドの顔が大人びてきたことに気づいた。体も鍛えられて一回り大きくなっている。
女神の神託を受けた四人、ロナウド、ミレイ、ラナ、エトウは同い年で、十代最後の年を迎えていた。来年は揃って二十歳になる。顔つきや体つきが変わるのも当然だった。
「ピューク殿の伝言が司令部に届いたのは、ほんの数時間前だ。伝言といっても、魔法による情報伝達だった。おそらく戦闘中か、本格的な戦闘が始まる前に、取り急ぎ送ったのだろう」
短い沈黙を破ったのはロナウドだった。
「……そんな緊迫した場面でも、ピューク様には司令部に伝えなければならないことがあったのですね」
「ああ、そうだ。もたらされた情報は、ないがしろにしてよいものではなかった。ところで、このテントに入る前に騎士から聞いたのだが、ピューク殿を救出したのはお前たちだったのだろう。本人からなにか聞いていないのか?」
「いえ、残念ながら、なにも聞いていません。私たちが到着した直後、ピューク様は意識を失ってしまいました。私としても、敵らしき男を警戒しなければならなかったので……」
「その男とは、まさか!?」
「……はい。あとで分かったことですが、おそらく皇帝アービド二世だったと思います。ちょっと異様な感じだったので、現場では気づくことができませんでした」
「それで、どうなったのだ?」
ロナウドの表情には緊張が見てとれた。
「どうなった、というのは?」
「その……皇帝とは戦ったのか?」
「戦いになりませんでした。なにやら優先すべきことがあるとかで、なにも言わずに森の中へ消えてしまいました。今日か明日中には報告書を司令部に届けます」
「そうか……会話が成立したのか……なるほど、それは不幸中の幸いだったかもしれんな」
ロナウドは安堵したように息を吐き出した。そして再び真剣な表情になる。
「ピューク殿の伝言には、帝国が人の手で魔王をつくり出そうとしていることが書かれていた」
「えっ!?」
エトウは絶句してしまった。
長き生を得た龍神セイですら、魔王の出現について憂慮していた。それを人の手でつくり出すというのはどういうことなのか、すぐには理解できなかったのだ。
「そんなことが可能なのでしょうか。それにもし可能だとしても、帝国は世界を破壊しようとしているのですか……」
ロナウドは首を振った。
「そうではないと思う。帝国は、魔王の力を戦争に使おうとしているのだ」
「そんな馬鹿な!」
「あのピューク殿が、なんの根拠もなくそのような伝言を残すはずがない。司令部では、これを最重要事項として、こちらに向かっている援軍の司令官や王都におられる国王陛下にお伝えすることにした。そのうえで、先ほども言ったが、魔王が出現したときに備えて、賢者であるお前は我らと行動を共にしてほしい。これは司令部の要請でもある」
「……要請ですか」
エトウは王国所属の騎士や魔道士ではない。それらの立場とは距離を置いた冒険者である。だが、ベールでは前辺境伯の許しを得て民政官の仕事もしている。司令部が命令ではなく要請という言葉を使ったのは、そうしたエトウの微妙な立場を考慮した結果にちがいない。
――強制ではなさそうだな。
エトウは司令官であるアンドレアの顔を思い浮かべる。これまでの関係性から、アンドレアが物理的な手段でエトウを拘束するとは思えなかった。
帝国が魔王をつくり出そうとしていると聞かされても、エトウは今のパーティーメンバーで戦いたかった。その方が連携にも慣れているし、自らが最大の力を発揮できると信じているからだ。それに重傷のピュークをエルフの里まで連れていく必要もあった。
「ロナウド様、こちらにも事情がありまして……」
エトウはそうした事情をロナウドに話した。
「事情は理解した。しかし、エトウ、魔王との戦いは絶対に避けられないのだぞ。魔王の力を手に入れたのは、お前が会ったという皇帝アービド二世なのだからな」
「えっ!? あれが、魔王……! でも、話が通じましたし、戦いになりませんでしたけど……」
エトウは驚いたが、王城で教えられた魔王の話とはかなり違っていた。魔王とは破壊の権化のような存在で、近くに人がいたら皆殺しになるのは当然だった。
「うむ、その点は私も驚いている。だが、王国では最強の一角であったピューク殿を打ち破っているのだ。アービド二世が魔王の力を制御できているとすれば、我らにとっては脅威でしかない」
「そうですね……」
「魔王との戦いは、勇者の神託を受けた私にとって、なによりも優先すべきものだ。倒すべき敵が定まったのであれば、こちらも最善の準備を整えて迎え撃ちたい」
ロナウドは苦しそうな表情になったかと思うと急に立ち上がった。そしてエトウに対して深々と頭を下げた。
「ど、どうしたのです!?」
「いい機会だと言ったら、不快に思うかもしれんが……。この場で謝罪させてもらいたい。過去、私がエトウに行った理不尽で不当な言動に対して、全面的に非を認める。申しわけなかった」
エトウは口を開けたまま固まってしまった。過去のことについてロナウドからきちんとした謝罪を受けるのは、これが初めてだった。
顔を上げたロナウドの真剣な目を見て、エトウはなにか言わなければいけないと思ったが、うまく言葉が出てこなかった。
「あの……ロナウド様に謝罪してもらえるなんて、想像したこともありませんでしたから、正直、とても驚いています。そのようなことをするお方ではない、と思っていましたから……」
エトウはそれを口にしてすぐに後悔した。しばらく逡巡してやっと出てきた言葉は、ロナウドを責めるような言い方になっていた。慌てて言い直そうとすると、ロナウドが先に話し始めてしまった。
「そうか……。私も、個人の強さばかりを求めていたあの頃とは、考え方が変わった。変わらざるを得なかったのだ。王城の訓練場でお前に敗北し、自分自身の在り方を一から見つめ直した。それでも間違ってばかりだったが、そんな私をミレイとラナがいつも支えてくれた」
エトウが勇者パーティーを離れて三年がたとうとしている。その間、エトウは冒険者としてさまざまな経験をしてきた。模索しながらやって来たことは、いつのまにか自分の血となり肉となっている。
――きっと、それは俺だけじゃないんだろうな。そうでなければ、あのプライドの高い人が、俺に頭を下げて謝れるはずがない。
エトウはそう思って、うつむきかげんで黙っているロナウドを見た。
心の中のわだかまりはまだ消えていない。しかし、ロナウドとの過去に区切りをつけるには、この機会が最後かもしれなかった。
「……分かりました。ロナウド様の謝罪を受け入れます。こちらこそ当時は至らない部分があったと思います。お互い様だったということで、手打ちにしませんか?」
「ああ、そう言ってもらえるとありがたい」
エトウの差し出した手をロナウドは強く握りしめた。




