52. 力の秘密
次の瞬間、獣のような低い唸り声とともに、アービド二世の首と腹にはまっていた結界が消し飛んだ。
「ほう、まだ残っているのか」
アービド二世は、いまだ自らの両手両足を拘束している結界を見た。そして、本来であれば容易には動かせないはずの両腕を無造作に動かし、手首にはまった結界を激しく打ち合わせた。片手に黄金のハルバードを持ったまま、結界同士を幾度もたたきつける。
ピュークはその光景を茫然と見つめていた。自らの結界術が、その機能を果たしていないばかりか、今にも壊されそうだということが信じられなかった。
「ふんっ!」
一際大きい衝突音が響くと、両手首の結界は粉々に破壊されていた。
両腕が完全に自由になったアービド二世は、ハルバードを肩に掛けて体をかがめた。そして足の結界を片手でつかみ、握りつぶすようにして砕いてしまった。最後に残ったもう片足の結界は、ハルバードの一振りで砕け散った。
「私の結界は、そんなにも容易に破壊できるものではないはずですが……」
「なぁに、結界に不備があったわけではない。これこそ余が長く切望し、ついに手に入れた力なのだ」
「手に入れた力……?」
「ふふふ、知りたいか? お前には特別に教えてやろう。余は龍脈の魔力を我が身に取り込み、人を超えた存在に生まれ変わったのだ」
「……っ!?」
ピュークは言葉を失ってしまった。
龍脈とは地下深くを流れる魔力の川のようなものだ。
一説にはダンジョンができる原因とも言われているが、その龍脈の流れがあるからこそ、この世界にはあまねく魔素がただよい、それを呼吸などで取り込むことで、人や魔物は魔法を使うことができるとされている。
しかし、その龍脈から人為的に魔力を取り出す方法など、ピュークは一度も耳にしたことがなかった。もしも魔法研究者の間でそのようなことを語ったら、一笑に付されるだけだろう。それほど荒唐無稽な話なのだ。
ただ、例外的な事例はある。
龍脈からあふれ出した膨大な魔力が、生物の形そのものを変容させてしまう事例、それは数百年に一度という頻度で起こる魔王の出現だった。
「龍脈から魔力を得た、と言いましたか? そんな馬鹿なことが……。それではまるで、伝承で語られる魔王そのものではありませんか」
「まさに、その通り。余が望んだのは、人の手で新たな魔王を生み出すことだ。魔王の力を自在に操ることができれば、この世界を支配下に置くのもたやすい。それどころか、周期的に発生する本来の魔王さえも、討ち滅ぼすことができるはずだ。余の力によって、世界は初めて恒久の平和を得ることになる!」
人の手で魔王をつくり出すなど、狂気の沙汰としか思えなかった。アービド二世の言葉を戯言だと片付けることができたら、どれほど話が簡単だったろう。
しかし、彼の話を完全に否定してしまったら、その明らかに異常な魔力量の理由を説明できなくなる。ピュークは首を振り頭の中を整理しようとした。
「人の手で魔王の力を得るなど……それは神をも恐れぬ所業ですよ」
アービド二世は眉根を寄せて険しい顔つきになった。
「神だと? 魔王を滅ぼすこともせず、数百年にもわたって被害を出し続けてきた神を、どう信じろというのだ? そのような考えにとらわれていては、なにをすることもできぬわ!」
「……エルベン帝国では女神教会の教えが盛んだと聞いていましたが、どうやら陛下のお考えは違うようですね」
「ふんっ! 女神に救われたいなら、教会で祈りをささげておればよいのだ。余は、自らの意思と力で覇道を歩む。女神なぞを当てにするつもりは毛頭ない!」
ピュークは、魔王の出現を自然災害に近いものだと考えていた。つまり、人知を超えた避けられない事態として受け入れていたのだ。それは女神教会の教えでもあった。
それに対して、アービド二世の主張は、女神など必要ないと言わんばかりだ。
「女神教に対する陛下の見解は分かりました。いろいろと思うところはありますが、今はいいでしょう」
「ここでお互いの宗教観を戦わせても仕方あるまい」
「ええ。問題となるのは、陛下が魔王の脅威をどれだけ理解しておられるか、です。こうして話ができているということは、陛下は魔王に成りきってはいないのでしょう。しかし、いつ自我が失われてしまうか、分かったものではありませんよ。過去、魔王となった者の中には、知性が高い者もいました。ですが、彼らはことごとく自我を失い、手あたりしだいに破壊と殺戮を繰り返す災厄そのものへと変貌したのです」
アービド二世はあきれたように鼻を鳴らした。
「そのようなことは対策済みだ。余の配下には、魔王の研究を長年してきたエルフがいる。その男は、過去の魔王に家族や恋人を殺され、故郷さえも滅ぼされた。男の哀しみと怒りは、なんとしても魔王を消滅させるという執念を生んだのだ。そのときの魔王は、結局、滅ぼすことができず、体をばらばらにして各地に封印するしかなかったらしいがな。これから余は、その魔王の残骸をも滅ぼしていくつもりだ。話がそれたな。余が魔王と成り果てたなら、そのエルフの男は事前に用意していた策を実行に移すことだろう。余を殺すことも躊躇しないはずだ」
「そこまでの覚悟がおありですか……。しかし、魔王を止める策とは、にわかには信じがたい話です。どれだけ説明をつくされても、人が魔王の力を制御できるとはとても思えません」
「そう思うのはお前の勝手だ。だが、ピュークよ、いかにすぐれた魔道士でも、魔王の力に抗えるものではない。お前ほどの者なら、それを十分に理解できよう。そこで余から一つ提案がある」
「……なんでしょう?」
アービド二世はにやりと笑った。
「余の下で働く気はないか?」
ピュークは驚きのあまり大きく目を見開いた。アービド二世はこのような状況で寝返りの誘いをしたのだった。




