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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約破棄

婚約破棄されたので新生活をはじめました

作者: 無人島

R15は保険です<(_ _)>

『ヴァレンティーナ・ノウラズ公爵令嬢! 貴様との婚約は破棄させてもらう! 私は本日をもって成人の儀を終え、次期国王継承者の第一順位にあたる成人王太子となった! よって今までのように貴様のような身分が取り柄なだけのなんの面白味も無い枯れた女を王太子妃にする必要は無くなった! 権力にすがり、長年に渡って王宮に手垢をつけた悪しき魔女、ヴァレンティーナ! 貴様が魔溜まりの根源であることは、高位貴族をはじめ、我がアデライト国、全国民に知れ渡る事実である! 即刻この国を出ていけ!』


 今朝、侍女のメイミが鼻歌まじりに小麦を練りながら教えてくれた。私の元婚約者、テタンジェ・ワールド殿下は廃嫡され辺境にある寂れた教会預りになることが決まったと。その理由の大半はノウラズ公爵家の後ろ盾を失ったことによる自然淘汰だと言っていたが、それでは辻褄が合わない。


『ヴァレンティーナ。テタンジェ殿下の心を引き留めることも出来ず、あまつさえ婚約破棄とは……ノウラズ家の顔に泥を塗りおって。これでは学園を卒業させる理由も無くなった。利用価値の無いお前には出ていってもらう』


 そう。お父様だ。

 王弟である摂政の派閥に君するお父様がテタンジェ殿下の廃嫡を許す筈がない。でも私が婚約破棄され、義弟の王族入りに望みを託したのだとしたら?


 外に出て郵便受けを覗く。新聞を片手に家に戻るとミルクと砂糖入りの紅茶が運ばれてきた。メイミにお礼を言って腰をおろす。


『ヴァレンティーナ。淑女として完璧なマナーを身に付けなさい。社交界では胸中を悟られないよう努めなさい。貴女は誇り高きノウラズ公爵家の第一子なのですから──その笑顔も要りません。安売りせず、いかに己の価値を高めるか、そのことだけを考えなさい。ああもう、髪も瞳も灰色でほんと地味で野暮な子だわ……とにかく、期待を裏切らないでちょうだい!』


 調達した新聞には、ノウラズ公爵家のリネンダ夫人が領地の外れにある監禁型の精神療養所付近で目撃されたと載っていた。その姿は痩せ細っていたものの、緑色と灰色が交互に混じった特徴的な髪色であることからリネンダ公爵夫人であると地元官僚の証言が載っていた。


 公爵夫人(お母様)いわく、精神療養所に世話になっているなんて醜聞でしょうに。わざわざ外に出たということは逃げ出そうとしたのかしら? そう考えながらメイミが淹れてくれた紅茶を飲み、クッキーを摘まむ。


「まぁ……これ、サクサクして、香ばしくて、とても美味しいわ」


「それはよかったです! ピウスト産の小麦にかえたので、ティナお嬢様の口に合うか心配でしたっ。美味しいと言って頂けて嬉しいです!」


 背後のメイミが弾けるような元気な声を返してくれた。


 朝早くから小麦をこねて、クッキーの他にもジャムパイ、ナッツ入りのスコーン、ドライフルーツのタルト、私の好きな物ばかり作ってくれる。


 でもそろそろメイミが食べるパンとか焼いた方がいいんじゃないかしら? なんて言葉は紅茶と共に飲み込む。言ってもきいてくれないだろう。婚約破棄され、このピウスト地方に来てからの私はメイミにどろどろに甘やかされているのだ。


「本当に美味しいわ……確か野生の小麦だったわね?」


「はい。この辺一帯は季節毎の自然の恵みを味わうのが主流な土地でして。果物や野菜も丘や森から採ってきたものが売られているんです。自給率は高いですよ」


「冬はどうするの?」


「冬も自然の恵みだけで充分食べていけます。現金収入が欲しい場合、野生の獣を狩って外部に流せばそれなりに儲けが出ます。ピウスト産のジビエは上質で人気が高いのです!」


「そうなの? しばらくは大丈夫だけど、のちのち現金は必要になるわね……働こうかしら」


 山の恵みは自分で採りに行くことも出来るが買うことも出来る。それ以外の、例えば魚や肉は地元民はみんな自分で獲って食べていると聞いた。石鹸や香油なども手作りしているらしい。


 ウサギやキツネなら毛皮がとれるし、新鮮な肉も手に入る。とくに毛皮なんかは田舎で需要が高く、物々交換にも使える筈。


 色々考えているとメイミが溜め息をついた。


「ティナお嬢様……現金なら既に金貨が500枚程あります。あと故王太子殿下の親から届いた慰謝料の金塊もありますから、換金しながら暮らせます」


「今あるお金が破格だから働かなくても細々、ではないけれど、普通に生活はできるわ。でもなにがあるか解らないからね。きちんと収入を得てその金額に見合った暮らしがしたいわ。あと、故王太子殿下じゃなく元王太子殿下よ」


「……それは、そうですけど。ティナお嬢様を働かせるなんて……」


 珍しく厳しい目を向けてくるメイミに肩をすくめた。


「心配しなくても重労働なんてしないわ。爪が割れたら嫌だもの」


 これでも元公爵令嬢だからね。

 でも私、平民になったとはいえ責任感は人一倍あるの。大きな屋敷暮らしで使用人も沢山いた公爵令嬢だった時より水準は下がるけれど、それなりの生活がしたいなら、その生活費は自分で獲得したい。


「メイミのお給金だって、私が稼いだ収入から渡したいわ」


 それこそ公爵家や元婚約者からのお金は使いたくない。だってメイミは私の侍女だもの。


「この家にティナお嬢様と一緒に住ませてもらっている時点で、もうお給金は頂いてるようなものです!」


「うん?」


「水や火もティナお嬢様が魔法で出して下さいますし、食べ物も頂いてます!」


 公爵家でも食べ物は勿論、石鹸や香油、定期的に綺麗な侍女服が支給されていた筈だけど。


「それはお給金とはいわないのよ」


「お皿も服もお部屋も魔法で洗浄されちゃうし、わたしがやる事といったら料理か裁縫か買い物しかないんですよ!」


「他にもあるわ。私の髪も梳いてくれるし、体も磨いてくれるじゃない。それも毎日」


「……あのですねぇ……もし魔法を使わなかったとしても、ティナお嬢様ひとりのお世話にかかる労働力って、とても少ないんですよ。おまけに社交界に出る必要もなくなりましたから、その労力は減るばかりで……」


 エプロンからハンカチを取りだして潤んだ目を覆うメイミ。すぐにまた小麦を練りだした。働き者よね。


「ウォーターとファイアー、あと洗浄。それくらいならわたしにも賄う魔力はあります……でもそれすらもしなくなってっ……!」


「あー……うん」


 そういえばメイミが公爵家に勤めていた頃は、あまりの忙しさにゆっくり湯に浸かることもなく毎日自分で洗浄魔法をかけて睡眠時間を確保していたらしい。


 今のメイミは睡眠時間は勿論、肌をお手入れする時間もあり隈もなく髪もさらさらだ。おまけに毎日ゆっくり湯に浸かっているから毎朝元気一杯だ。こうして話している間も小麦を練って麺棒で平に伸ばしだした。打ち粉をして、重ねた生地を一定の長さに切り揃えていく。


「そ、それ……トマトと粉チーズの油たっぷりな棒麺ね! 今まで我慢してた超美味なやつだわ!」


「はい、質のいい植物油が手に入りましたからね〜」


「お願い! 大好物の厚切りベーコンも入れて頂戴!」


「なら今朝早くお隣さんから頂いた海老と貝も入れちゃいましょう」


「そ、そうね。なんなら昨日植木屋の女将さんから頂いたトリュフも仕上げに振りかけましょう」


「その上から一昨日雑貨屋のお婆さんから貰った天然ピンクダイヤ塩をかけて味を引き締めましょう」


「ついでに王太子妃教育満了の御褒美に陛下から下賜された王族秘蔵の金の林檎ワインも開けちゃうしかないわ。呑むでしょ?」


「で、ではノウラズ公爵家から拝借した門外不出の家宝ダーククリスタルグラスのペアを使いましょう!」



「「乾杯〜!」」


 豪勢な麺料理に加えてメイミがどんどんおつまみを作って、その度に私達から乾杯の声が上がった。朝からなんて爛れた生活。最高過ぎる。1日13時間も勉強させられていたあの頃にはもう戻れない。


「ふぅ。少ししたら散歩がてらキノコ狩りにでも行きましょ。ランチは抑え目でキノコソテーがいいわ」


「いいですね。そういえば肉屋から余ったオークを貰った大工の息子さんが、食べ切れないからとこれを差し入れしてくれたんですよ」


 メイミがひょいと掴んだオークの顔を見せてきた。私の顔10個分ぐらいありそうなでかさ。ぽっかり空いた目と口と頬は空洞だ。もう下拵えは済んでいるみたいね。


「ランチにはオークの頬肉のブラウンシチューと、オークの脳とトリュフのパイ包み、キノコソテーは前菜にしましょう」


 凄いわ。貴族学園にいた頃の一流シェフが作るものより豪勢なランチ。オークの舌を燻製して薄切りしたタンハムまである。これは気合いを入れて散歩しないとすぐ太っちゃう。


「あら? でも肉屋なんてあったかしら?」


 確か肉や魚は村人自ら獲ってきてる筈。


「大工の息子さんが教えてくれたんですが、先日開店したらしくて」


「へぇ。でも確かに、あると便利よね」


「はい。獲物の買い取りもしていて、今は店主が仕留めたオークでベーコンやパテの下拵えに入っているそうなので、本格的な品が揃ったら見に行ってみませんか?」


「いいわ。楽しみね」


 新しく開店した肉屋か。

 買い取りがあるなら村人も狩った獲物をわざわざ村の外に流しに行く必要もなくなる。私もなにか狩ってから行こうかしら。


「姉様、おはようございます! いらっしゃるんでしょ、ヴァレンティーナ姉様〜!」


 グラスに残ったワインを流し込んだ時に聞こえてきた声。メイミがギロリと村の入り口の方向を睨み付けた。


 今朝も義弟のヴィンセントが五月蝿い。

 拡声の魔導具を使って村の入り口から私の名前を叫ぶ。


 この村には元からいる村人か、その村人の許可がなければ他人はこの村には入れない。公爵令息とはいえ、この村の入り口には常に屈強な門兵がいる。メイミはその門兵の親戚で、メイミ繋がりで私もこの村に住まわせてもらっている。


「ヴァレンティーナ姉様! お願いですからそろそろ顔を見せて下さい! てか返事して下さい!」


 いけない。断首包丁を装備したメイミがふらっと家を出ていこうとする。もう片方の手に持ったオークの顔も誤解を招く。


「ころしてきますね」


「お待ち」


 母国アデライトは7代と12代と19代は王女が女王陛下となった国だ。テタンジェ殿下が廃嫡されたなら、その妹のプリンシア王女殿下が王太女となる可能性が高い。お父様もそう考えた筈。それなら殿下の廃嫡にも納得がいく。


 だから公爵令息であるヴィンセントとプリンシア様が婚約する流れかと思ったのだけれど────。


「実は私も! 私も廃嫡されてきました! 姉様と同じ平民になったのです!」


 ヴィンセントの言葉にまさかと頭を振る。そんなことお父様が許す筈ない。


「政略婚を断った際、父様には泣いて縋られましたがいい気味でしたよ! わははは! これでようやく姉様を口説け、ッッ!?」


 途切れた声と次に拡声器から聞こえた鈍器でぶん殴るような鈍い音。やだ。崖崩れかしら? 平坦な丘しかないこの村では崖なんてなかった筈だけれど。


「チッ……姑息な真似を……やはり9歳の姫ではヴィンセント坊ちゃまも靡かぬか。あまりにも醜態故、連れてきましたぞ」


 低音で、それでいてよく響く声に振り返ればヴィンセントを背負った初老の女性がいきなり部屋に現れた。


「婆や!?」


「モーティシア様!」


 親戚でもあり侍女として大先輩のモーティシアにメイミがペコペコと頭を下げる。


 私の元乳母、女妖術士モーティシア。

 もとい魔女だ。おまけに世界で唯一の転移魔法持ち。今は故郷であるこの村で門兵をしている。王都の屈強な門番より恐ろしい存在だ。


「ティナお嬢様。今朝もお変わりなく健康でお美しい」


「ありがとう。婆やの薬湯のお陰でお肌もつるつるよ」


 婆やは魔女らしく常時どでかい杖を持っている。先程はそれでヴィンセントを黙らせたのだろう。幼少期もそうだった。


 婆やに雑に落とされ床に転がるヴィンセントを見つめた。ひとつ年下の私の義理の弟。


『イヤだイヤだ! 僕も姉様と一緒に食事する!』


『イヤだイヤだ! 僕も姉様と一緒に寝る!』


『イヤだイヤだ! 僕も姉様と一緒に勉強する!』


 幼い頃のヴィンセントの泣き顔を思い出し、胸に懐かしさと、それとはまた違った、あたたかいものが込み上げた。

 姉弟とはいえ血が繋がっていない男女という理由で、敷地内の別々の屋敷に住んでいた。学園に入るまでは、毎日散歩で顔を合わせていたが必然的に食事も馬車も別々だった。


『イヤだなぁ〜姉様、姉弟なんだから同じ屋敷に住みましょうよ〜、毎晩私が姉様の背中を流して差し上げますよ?』


 10歳くらいからこのような発言をするようになって、よく婆やに杖でぶん殴られていた。


 いま床に寝転がっているヴィンセントは、鮮やかな赤毛の髪をオールバックにして、端正な眉毛が男らしい。顔は陶器で出来た人形のように白い。こうして寝ていると人間味のない作り物じみた顔立ちだと思う。真っ赤な薄い唇がそれを際立たせている。


 また身長も伸びたようだ。

 猫のようにしなやかな体つきをしているが、服の上からでも筋肉がついているのがわかった。


 観察していると婆やがヴィンセントに腹蹴りを入れ、メイミはその逆から腹蹴りを入れた。それでも起きないヴィンセントも凄いわ。


「ヴィンセント坊ちゃんは11歳のとき、この婆やがいない隙にティナお嬢様のクローゼットからハンカチを盗んでそれを肌着の内側に縫い付けて着ておりました。これはその時の分ですじゃ」


「ヴィンセント様は12歳のとき、このメイミを呼び出し落とし穴に嵌めている間にティナお嬢様の部屋に侵入してお嬢様の飲み掛けの紅茶に口をつけていました。料理長からの目撃証言もあります。これはその時の分です」


 そんな事があったのか。微動だにせず転がるヴィンセントを見ると、心なしか頬が笑っているように見えた。まるで思い出し笑いしているみたいだ。


「懲りてませんな!」


「寝たふり上等!」


 とりあえずゲシゲシと蹴る2人を落ち着かせる。婆やは途中で蹴るのをやめて杖で殴打していたが、メイミは腰を捻って本格的に蹴り上げていたせいか息が荒い。


「婆や、そろそろ仕事に戻った方がいいわ。メイミも、ランチのキノコを採ってきてくれない?」


 まだやり足りなそうなメイミと婆やを無理矢理下がらせ、椅子に腰をおろす。


 メイミが作ったタンハムをつまみ食いしているとヴィンセントがごろんと寝返りを打って頬肘をついた。


「姉様、久しぶり!」


 やはり起きていたか。笑顔が爽やかすぎる。

 悪戯っ子のようにペロッと舌を出したヴィンセントの、その舌にはピアスが貫通していた。


 思わずタンハムを食べる手を止めた。


「……不良になったの?」


「ああ、舌のコレ? これはダメージを他者に移す魔導具だよ。辺境の教会にいる誰に移したかは、聞かないでね?」


「……聞かないわ」


 眉を寄せると、勿論このピアスを貫通させた舌の痛みも、ダメージを移した者が受けているよ。そう言って何故か頬を染めたヴィンセント。ごめんなさい、姉様、貴方の事が解らないわ。


「聞きたいことは山程あるけれどね……」


「ああ、ノウラズ公爵家なら父様の弟、ジン様が継ぐことになったよ」


「あら、そうなの?」


「うん。跡取りがいないから父様は貴族として脱落、それにより母様は自然発狂、これはもう、子沢山なジン様に任せるしかないと陛下が決めたんだ」


「……貴方が継ぐものだと思っていたのだけれど」


「わははは! 姉様が公爵夫人になってくれるなら、その可能性はあったかな!」


「は?」


 よろりと起き上がったヴィンセント。椅子に座っているせいか、目の前までくると先程とは違って大きく見えた。

 細めた眼は優しく弦を描くものの、その瞳の奥から鋭い光を放っている。12歳になり中等部に入った頃からだろうか、たまにこんな眼を向けてくるようになった。


「っ、」


「怖い? 久々に会ったからかな?」


 私は今、どんな顔をしているんだろう。

 ヴィンセントの瞳に写る女は──。


 濃淡の灰色がかった髪がまるで老婆のようだと、濁った灰色の瞳も視力が低下した老犬のようだと、お前は魔女みたいだとよく殿下に言われた。

 女妖術士モーティシアの知識を求めてノウラズ公爵家を嗅ぎまわっていた豪商に私こそが老魔女ではないかと付きまとわれたこともある。婆やと同じ灰色の髪と瞳、あと痩せた身体も魔女らしさを際立たせていたのだろう。殿下の言葉は間違いではないと思う。だからそんな愛しい者を見るような目を向けないでほしい。どうしたらいいかわからなくなる。


「その顔、どう受け取ればいいのかな? 出来れば私の都合の良い方に持っていきたいけど」


「だって……笑うと舌のピアスが見えて痛々しいわ」


 目前まで迫っていた顔を手で押し返すと、掌や手首を確認するように触られた。


「きちんと食べてそうだけど、まだ細いね」


「肌艶は悪くないわ」


「うん。姉様は素敵だよ。触り心地もいいし、その汗の香りも好きだよ」


「ありがとう。貴方の笑顔も素敵だけれど、そろそろ離してくれないかしら? 目の前で蠢く舌が気になって冷や汗が止まらないの」


 というかどこでそんな魔導具を手に入れたんだか。危険な道に足を踏み入れてなければよいのだけど。


「婆やの書庫には色んな禁書があってね、全部盗み読みしたけどその中身、半分くらいは私でもどん引きしたよ。人間をヒキガエルに変える呪術もあったんだ。しかも近親婚のあった時代の王家では奇形児や低知能児が産まれたらヒキガエルにして処分してたみたい」


 それはどん引きするわ。

 そのピアスも婆やの禁書からヒントを得て作ったのか。引くわ。これを知ったら婆やですらヴィンセントに引くわ。


「はぁ……とりあえず座って。紅茶でも飲んでいきなさいよ」


 冷めた紅茶をヴィンセントにすすめる。

 痛みはないといってもピアスが貫通した舌で熱い紅茶を飲むのはよくない。


「姉様」


「うん?」


 未だ掴まれていた手を離すとヴィンセントに抱っこされて膝の上に座らされた。こらこら。


「新生活、どう?」


「新生活?」


「そう。どう?」


 どうって……。

 もう殿下からパーティの度に虐めで贈られてくるウエスト50cmのドレスを着る為に貧血になるまで節食しなくていいし────もうお父様から『王太子妃教育費は王室もちだから何度でもうけろ』と言われて毎日13時間の勉強に明け暮れて気絶することもなくなった。妃教育は義務とはいえあれは虐待だった。見兼ねた陛下が満了の言葉をかけてくれなかったら、死んでたわ。


「悪くないわ。だって昔は…………」


 殿下からは虐めどころか拷問かと危惧するようなサイズの合わない靴が贈られてきたこともある。しかも手直し不可のガラス製。足の指全てが紫色になってもダンスを踊らされ、帰りの馬車で壊死寸前になった。ヴィンセントの治癒魔導具がなければ腐敗を食い止めるために足首から切り落とされていたと後になってから聞いた。


 これには流石にまずいと摂政から殿下に注意があったそうだ。しかし陛下の耳までは届かず、その後が大変だった。理想とするサイズのドレスや靴を私財をはたいて用意したのに、感謝の言葉もなく、ただ贈り物を貶されただの、我が儘で卑劣な女だの、充分な期間を設けたのにサイズを合わせる努力もせず文句ばかり言うと学園中に言い触らされた。


 その頃にはもう、私は何も感じなくなっていて。

 自分でも生きているのか解らなかった。

 本当に、ヴィンセントがいなかったら──


「……貴方の魔導具にも、何度も助けられたわね」


「姉様が衰弱していくのが耐えられなかったんだ。どうにかできないかと、縋るような気持ちで3年かけて婆やの書庫の鍵を複製した」


「……やめなさいよ」


 それを知ったら婆や怒るわよ? 本気で怒ったところは見たことないけど、隣のバーバー大陸にある直径300メートルの大穴は大魔女モーティシアによる広範囲殲滅魔法によるものだと王家の禁書庫で読んだわ。おまけに大穴は難易度Sランクのダンジョンと化して今はバーバー大陸に人は住んでいないんだから。


「そっちこそどうなの? 平民になった感想は?」


「……平民になった感想? テタンジェ殿下はハゲでデブで悪臭な男で、しかもノウラズ家の後ろ盾で王太子になったくせに、ただの時間の経過で成人して継承権1位になったのを何を勘違いしたのか、国王と同等の権力があると思い違いしてね、それで公爵令嬢と婚約破棄した後は高位貴族から見放され、ついには廃嫡された。妹のプリンシア王女殿下はまだ若いから、皆そっちに希望を向けたよ。この事は高位貴族をはじめ、アデライト国、全国民に知れ渡る事実だよ──ってここに来るまで平民らしく言い触らしてきた」


「……やめなさいよ」


「そしたら周りの平民はそれは違うぞって教えてくれたんだ。婚約者だった公爵令嬢は殿下の後天的な低知能を長年庇ってその事実を国民に知られないよう努力していた。けれど学園では成績上位者に載ったこともない、日常的な公務さえまともに処理できない、国民にはバレバレだった。ついには婚約者も殿下の低知能を庇いきれなくなって、古の王族のようにヒキガエルにされてしまったんだと大笑いしてたよ────ねぇ、噂って怖いよね」


「え?」


 そこでタン、と玄関のドアが開いた。

 これは杖でドアを開けた音だ。

 振り返ると婆やが無表情で立っていた。

 その背後にいるメイミは背負いカゴに山盛りのキノコを……仕事が速すぎる。


「ヴィンセント坊っちゃま……ティナお嬢様と距離が近すぎますぞ」


「うん、姉弟だからね」


 ゴン! と杖で叩かれ、ポカンとするヴィンセント。

 婆やが舌打ちして、メイミがお茶をお淹れしますね〜、と言ってヴィンセントから私を引き離し、ソファーへ座らせた。


「王家の姫様からの伝言ですじゃ。飼いはじめたカエルが餓死しそうなので、依頼外であるピアスを外せ、と」


「っ、」


「その舌では餌の虫すら喉を通らんじゃろう?」


「……わかったよ、外すよ。ほら、これでいい?……ったく王家の老犬は王女にも尻尾をふるのか」


「あの姫様は一筋縄ではいきませぬぞ。恐らく陛下が退位したら、4人目の女王陛下の誕生ですじゃ。今のうち媚びを売っておいて損はなかろう?」


「…………へぇ。今度は王女に惚れたんだ。あ、じゃあさっきのプリンシア王女殿下から伝言って、それって互いの魔力を繋ぐことで可能になる念話魔法だよね? へぇ! ってことは王女の教育係になったんだ! ならもうヴァレンティーナは私の、」


「それとこれとは話が別ですじゃ!」


「痛い! なんだよ王都で新生活はじめろよ! さっさと荷物まとめてさぁ」


「たわけ! 坊ちゃんこそさっさと肉屋に行かんか! いつの間にか大工の次男坊まで懐柔し、勝手に村に肉屋まで建てよって!」


「チッ……あいつ(次男坊)、王都の金払いがいい家具工場の仕事まで紹介してやったのにバラしやがったのか……痛い!」


「言っとくが一人前になるまではティナお嬢様に手は出させませんぞ!」


「痛いってば、もおぉぉ……」


 ヴィンセントが縋るように涙目で私を見る。ここで見かねて助け船を出すと、いつも婆やには見えないようにペロっと舌を出すのだ。


「変わらないわね、2人とも」


 込み上げる笑いに、クスリと喉を鳴らすと、次の瞬間、突然視界が歪んで、目の前が涙で溢れた。


「え、わたし」


 これは公爵邸でよく見た光景だ。あまりにも懐かしくて、涙が出てきた? あの幸せな日々が、また目の前に現れて……今度こそ手離したくない……そう思うと、胸が苦しくて、また涙が止まらなくなってきて。


「……やった……ついに姉様を泣かせたぞ」


 なに言ってるの?

 姉様、貴方の事が解らないわ。

 メイミも泣きながら膝元にきて、どうしたの?


「ふん。いつものように魔導具に頼らなかっただけ、誉めてやります」


 そう言って、婆やまで泣き出した。


 皆が私を抱きしめてきて、訳も解らず沢山泣いた。







「うわああいんっ、ああああっ、サイテーよぅ……わ、たし死ぬところだったんだからっ……人間扱いすらしない、あの人でなし王子!」


「よしよし。うん。確かにアイツは人でなしだね。今は本当にもう人じゃないしね」


「だいっきらいよぅ……あんなやつ死んぢゃえ! 教会で無法者の慰みものになればいぃんだわああああっっっ」


「まぁ、アイツ。見た目は悪くなかったからね。でも男媚として放逐したら、王族の血を目当てに他国に子種を狙われたりするからね」


「わあっああんああっっ……ならちょん切っちゃえばいいのよぅ……私はあしを切りおとしかけたんだからあああっっ」


「よしよし。今は姉様の足は綺麗だよ。ほら、つるつるじゃん。よしよし、ヴァレンティーナは可愛いね〜、私の前では、いくらでも泣いていいよ。むしろもっと甘えて」



 全身のネジがぶっ飛んだように、私は三日三晩泣き続けた。ヴィンセントが幼子をあやすように私を抱き締め、頭を撫で続け、何度もキスを落とした。メイミも婆やも昼夜交代で慰めてくれた。心配ばかりかけた。そして婆やが王家になにか報告をしたらしく、国王陛下から王族秘蔵の金の林檎ワインが200本届いた────それは毎年200本、必ず届いた。


 あれから4年。

 今の私は呑んだくれ生活を卒業し、健康的な生活を送っている。大きくなったお腹をさすり、隣で微笑むヴィンセントに身を寄せた。


「今日は1周忌ですね。モーティシア様、お元気にされているでしょうか?」


「そうね……婆やなら、天から優しく微笑んでいてくれると、そう思うわ」


 メイミが淹れてくれた薬湯を飲み、安楽椅子に立てかけた、婆やが遺した杖に目を向ける。


 せめて私達の子を、婆やに見せたかったな……。

 肉屋店主としてのヴィンセントを、なかなか一人前として認めてくれなかったから、先に婆やが逝ってしまった。生まれた子を、婆やに抱っこしてほしかった。それだけが心残りだ。


「では……そろそろ判定が、……まぁ、第一子はヴァレンティーナ様そっくりの可愛い女の子ですわ」


 プリンシア王太女殿下の占いに、ヴィンセントが『よっしゃあああ! ティナ似、ティナ似!』と声を上げる。プリンシア様の占いは的中率100%で、1年前の水害による飢饉も回避した。現国王陛下から次期女王陛下として既に権力の8割を譲渡されている。


 そしてまだ13歳であるプリンシア様も、現在懐妊中だ。予定日は半年後。

 占いによると、今が一番良いタイミングである、その一声に、プリンシア様自ら決めた婚約者と即結婚した。何故かお相手は非公開で、プリンシア様の夫を見た者はいない。


『陛下には紹介したわ。そのせいで即位が速まってしまったのだけれど。フフ、夫はまだ生きているけれど、もうこの世界にいないの。神様だからね』


 どんなに周りから探られようとも、プリンシア様は神秘的な笑顔でお子の父親が誰か煙に撒く。


 プリンシア様は次期女王陛下であり懐妊中でもあるなか、公務もこなしている。つい先日も、プリンシア様がバーバー大陸を手に入れたと報告があった。おまけに魔溜まりと化して人間が住めなくなっていたあの大陸は、浄化され、手付かずの自然が溢れかえる豊かな大地となったらしい。これから人材も長期に渡って必要となるだろう。そんな超多忙なプリンシア様が、わざわざこんな田舎に訪れたのは、なんとなく察しがついていた。


 ヴィンセントがトイレで席を立った時、それとなく聞いてみると、予想通りの答えだった。


「ええ、そう。ヴァレンティーナ様のご令嬢に、婚約の打診にきたの」


 私のお腹を見つめ、自分のお腹をさするプリンシア様。


「……では王子、で確定なのですか?」


「ええ……兄のことは、本当にごめんなさいね。不安だろうけど、この子達は互いを底無しに愛すわ。だって前世では、死ぬまで愛を誓い合い、それを成就させた、運命の恋人同士だった二人だもの」


「…………運命の、……あっ」


 死ぬまで愛を誓い合い──それを成就させた──運命の恋人同士──聞き覚えのあるその台詞に、あれは確か、まだ私が6歳の時……婆やが話してくれた。



『ねぇ〜、婆やは好きな人いないの?』

『……おりましたよ。死ぬまで愛を誓い合い、それを成就してくれた、運命の恋人が』

『なにそれ素敵! どこで出会ったの?』

『若い頃、婆やはそれはもう荒れておりましてね。人間への腹いせで大地に巨大な穴をあけたら、その穴から怒った賢者が飛び出してきましてね。散々戦って、疲れ果てた時、────『私が幸せにしてやるから、もう泣くな』とキs……この話はまだティナお嬢様には早いですじゃ』

『えー! どんな姿? 王子様みたいだった?』

『黒髪黒瞳の──』




「……もしかしてプリンシア様のお子は、黒髪に黒瞳ですか?」


「フフ。そうよ。かつてバーバー大陸を支配していた、暗黒の大賢者アルマゲドンそっくりの子供よ」


 これで灰色の大魔女モーティシアも揃えば、この国も安定ね、そう言ってプリンシア様は私のお腹を見てにっこりと微笑んだ。


「……ティナお嬢様!」


「大丈夫」


 泣いてない。まだ泣いてない。まだ涙は落としてない。

 婆やに会いたい。だから生んでから泣く。

 むしろ泣いて心配ばかりかけたから、この子が嫁ぐまでは泣かない。あの婆やですら、私の前で一度しか泣かなかったんだから。私はその母親になるんだから。


「お願いメイミ……この子の乳母になってくれる?」


「っ、はい! はいティナお嬢様、はい!」



 ミルクも母乳も根性で出します! と暴走するメイミに、プリンシア様も私も今日一番声を上げて笑った。


ありがとうございました。

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