Scream in Maydream ~スクリーム イン メイドリーム~
駅前に設置された螺旋状にとぐろを巻いた銀色のモニュメント。通称「銀色のウンコ」の前で中村尚裕はソワソワと落ち着かない様子だった。
それもそのはず、尚裕は今日学生の頃から付き合っている彼女にプロポーズするつもりである。
尚裕は医学部の6回生。学生の分際でプロポーズなど十年早いと思われるかもしれないが、国家試験にも合格し、卒業後は市民病院で働く事が内定している。お互いもう24才だ、あまり彼女を待たせるのも可哀想であるし、テレビの占いでも部屋の掃除をするなら今日と言っていた。実際に結婚するのは仕事が落ち着いてからになるだろうが、彼女を早く安心させたかったのだ。
「待った~?」
向こうから手を振って小走りで銀色のウンコに近付いてくる中年の男性。頭頂部が薄くなっており、お腹もかなり出てきている、どこからどう見てもザ・オッサンである。
「かなり待ちましたね」
「えっ? でも、まだ待ち合わせ時間の五分前……」
「前世から貴方の事を待っていました」
襟を正し、背筋を伸ばしてオッサンに頭を下げた。
勿論このオッサンが彼女ではない。尚裕の彼女はおしぼりで隣の席の知らない人の顔を拭いたり、椅子に座る時に「オンキリキリバサラウンバッタ」なんて声が出てしまったりとオッサン的行動が目立つ女性ではあるが見た目はとても可愛らしい娘だ。茶髪のショートカットがトレードマークで尚裕の自慢の彼女である。
「も~! 尚裕君ったらお世辞が上手いんだから!」
オッサンは満更でもなさそうに身をくねらせてよがる。
このオッサンは彼女である七星こねこの父親だ。そのくねくねとした仕草が気持ち悪くて通報しそうになるが、尚裕はグッとアフタヌーン。
「こんにちはおじさん、今日は誘って頂きありがとうございます」
尚裕とこねこは家が近所で幼馴染みだ。幼少の頃から家族ぐるみで付き合いがあり、こねこの父親である七星だんでらいおんとも仲がいい。
(今日はおじさんの事をお義父さんと呼ぶぞ……)
尚裕は真面目な男である。先日も霊柩車が目の前を通った時に親指を隠していた。こねこにプロポーズする前に彼女の父親のだんでらいおんから結婚の許しを得なければならない、そう考えていた。
「いや、たまには娘の彼氏とサシでランチでもどうかと思ってね。こちらこそ来てくれて嬉しいよ」
だんでらいおんとのランチで結婚を認めてもらい、夜にこねこにプロポーズする、それが尚裕の計画だった。
「僕も今日を楽しみにしていました。おじさんの馴染みの店ならきっと美味しいでしょうから」
だんでらいおんの趣味は食べ歩きで、グルメを自称している。どの公園の草が美味いか、よく知っている。
「うん、今日行く所はね、私も初めてなんだ。なんでも新業態のバイキングレストランが出来たらしくて、一度行ってみたくてね」
「え? バイキングですか?」
意外だった。まさかだんでらいおんの様な舌の肥えた者がバイキングスタイルなんて低俗なレストランを利用するとは思わなかったのだ。寿司はカウンターでしか食べないし、「私は国立公園の草しか食べん!」と豪語していた事もある。
「若い子は好きだろう? バイキング。最近は行ってないけど、こねこが小さいときは家族でよく行ったものだ」
「確かにこねこは食べ放題好きですからね。僕もバイキングは大好きです。いやあ楽しみだなあ」
「……実はね、尚裕君。今日行くのは、普通のバイキングじゃないんだ」
「と言いますと?」
要領を得ない尚裕に、だんでらいおんはいやらしくニヤリと笑った。
「綺麗所が沢山いる、いわゆる性的なサービス店というやつだよ」
「静的な?」
尚裕も男だ。そういうお店に興味がない訳ではない。しかし、自分にはこねこという彼女がいる。今夜にもプロポーズしようという大切な恋人がいるのだ。
「うん。若いメイドが専属でついてくれて給仕をしてくれるそうだよ」
「明度?」
明度とは色の三属性の一つで、物体面の明るさを表す度数だ。反射率100%の白色の面の明度を10として,0〜10の数値で表示される。
つまり、静的な物体に光を当てて明度を測り結果を印刷する為の給紙をしてくれる、そういうお店か。こねこには申し訳ないが男として非常に興味がある。思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
(婚約前に一度だけ、明度を測定したい……こねこ、許してくれ)
「そう、メイドだよ! ワクワクしてきたねえ! さあ行こうか。ん? その荷物は何だい? 随分大きいね。スティック型の掃除機かい?」
尚裕は大事そうに小包を抱えていた。だんでらいおんの質問に恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。
「これは……一生モノのとっておきなんです」
◇◆◇◆◇
バイキングメイドレストラン「ム・ラモンタ」
区切らずにそのまま言うと色黒の大物司会者を連想するが「『ピザって10回言って!』『ピザピザピザ……ピザ!』『じゃあこれは?』『天叢雲剣!』」という意味の古代文字である。
開店前の店内では朝礼が行われていた。
「えー、今日から新しくム・ラモンタでメイドとして働いて貰う事になった七星こねこさんです」
店長兼オーナーのアンチリア・充希に紹介され、こねこは同僚達に頭を下げながら元気いっぱいに挨拶した。
「よろしくお願いしますっ! 七星こねこです!」
スタッフは充希をはじめ皆同じフリフリのメイド服に身を包んでいる。スカートの丈も短く、かなり露出も多いセクシーな物だ。
「こねこちゃん、無理言ってごめんね」
充希はこのム・ラモンタ以外にももう一つ、普通のお洒落なカフェを経営している。こねこはそのカフェで高校生の頃からバイトをしており、今では正社員となり店長を任されている。しかしム・ラモンタで急な欠勤があり人手が足らなくなったと急遽メイドとして充希に召集されたのである。
「大丈夫です。私と充希さんの仲じゃないですか」
高校生の頃は尚裕もカフェでバイトしていた。充希は尚裕の事もよく知っている。
「ありがとう。尚裕君には本当に申し訳ないんだけど」
この店が普通のバイキングレストランでない事はこねこもわかっている。いわゆる性的なサービスを提供する店だ。裸になったり客に体を触られたり触ったりする事はないが、抵抗がないと言えば嘘になる。
(ごめんね尚裕。でも心は貴方のモノだから)
尚裕への罪悪感で胸がいっぱいになる。しかし、彼女は持ち前のポジティブさでどんなことだって前向きに考える事が出来る。
(もし尚裕がこんな所で働いてる私を見たら、「許さない、俺の目の届くところに置いておく! 結婚しよう!」とか言ってくれるかもしれない。そして世界から争いが無くなる)
「何? こねこさん彼氏いるの?」
メイドの一人、ふみちゃが興味津々といった顔で尋ねる。勿論ふみちゃとは源氏名で、本名は佐藤九郎右衛門文忠である。縦ロールに巻いたド派手な金髪がトレードマークの美人だ。
充希はメイドを採用する際、容姿を重視している。こねこは綺麗と言うより可愛いタイプだが好かれる顔だ。充希自身もよく美人だと言われるし、作者もよくイケメンと言われる。
メイドは全員、胸にハート型の名札をつけている。こねこには「コケティッシュフォールドこねこ」、充希には「闘神の再来みつき」、そしてふみちゃの名札には「プロマグロ文忠」と書かれていた。
ふみちゃはプロマグロ。絶対に動かない。テコでも動かない。
「あ、はい。同い年の彼氏がいます」
「こねこちゃんの彼氏は医大生なのよ。超イケメンなんだから」
「お医者様なの? おまけにイケメン? すごーい、羨ましいなあ。こねこさん可愛いもんね。顔も小さくてアイドルみたい」
大袈裟に誉めるふみちゃの言葉がこねこにはくすぐったい。とてもくすぐったくて、笑いが我慢できない。
「アハハハハ、アハ苦しい……フゥ……ふみちゃ先輩は彼氏いないんですか?」
「先輩はやめてよ。こねこさんカフェの店長さんなんでしょ? こねこさんに比べたら私なんて鼻くそについた鼻毛みたいなもんだから」
ム・ラモンタはオープンしてまだ一週間だ。ふみちゃはオープン前から準備スタッフとして働いているが、それでもまだ二ヶ月ほどである。
「ちょっとふみちゃちゃん、お店の中で汚い言葉は使わないで」
「あっ、ごめんなさいオーナー」
オーナーとして一応注意したが、充希の教育方針は誉めて伸ばすだ。叱った後はフォローも忘れない。
「でもメイドとして時には下品に罵倒するのも大切な事よ。貴女には才能がある。そして貴女の鼻くそには鼻毛がついている。期待しているわ」
充希の誉め言葉がふみちゃにはくすぐったい。くすぐったくて、笑いが止まらない。
「アハハハハ、アハハ、嬉しい……オーナーにそこまで言われるなんて夢みたい。アハハ、私、同じ女性としてオーナーを尊敬しているんです。フヒッ」
充希にはふみちゃの返してくれた言葉がとてもくすぐったい。くすぐったくて、笑いが止まらない。
「フフフフフッ、フフフフハ……ヒィ、ありがとう。こねこちゃんにふみちゃちゃん、素敵な従業員に囲まれて私は本当に幸せ者だわ。ホヒッ」
誉め言葉の無限ループ。とてもくすぐったい。くすぐったくて、全員笑いが止まらない。
「アハハハハハハ……フヒィッ! フヘヒヘヘヘハ!」
「ヒッヒッフー! ヒッヒッフー!」
「フフフフッ、見ろ! 人がゴミのようだハハハハ!」
◇◆◇◆◇
少し緊張しながら尚裕はム・ラモンタの扉を開けた。先にだんでらいおんを通し、その後に自らも店内に入る。
開店と同時に入店する予定だったが、開店時刻を少し過ぎてしまった。だんでらいおんが道草を食っていた為である。
(室内の明度は10だな……)
白で統一された店内は非常に明るかった。静的なサービスをするには最高だが、性的なサービスをするには些か明るすぎる。
「おかえりなさいませご主人様!」
メイド達の元気のいい挨拶が客を迎える。
メイド達の他に一人、男性スタッフがいる。執事の格好をしており、主に客を席まで案内するのが役目だ。また、こういう店だからトラブルの際はメイド達を守る用心棒としての役割も兼ねている。その為、メイド達の信頼は厚い。
「2名様。ご指名はなしでございますね? かしこまりました。ご案内の準備が整いましたらお呼び致します。こちらでお待ちください」
執事の長曾根の案内で入り口横の長椅子へと腰を下ろす。この時だんでらいおんが「オンキリキリバサラウンバッタ」と洩らしたが尚裕は無視した。
長曾根はロボットの様な男だ。客に向けるその笑顔も無機質で気味が悪い。しかし、こういう店では馴れ馴れしいボーイよりも事務的なボーイの方がありがたいものだ。間違っても終わった後に、「お客さん良かったみたいだね、すっきりした顔してるもの!」なんて声をかけてくるボーイがいる店には作者は二度と行かない。
「お先の1名様、お待たせしました」
長椅子に先に座っていた客を長曾根が呼ぶ。
この客、黒野カイジーンはオープンしてから毎日来ている常連だ。彼は充希がお気に入りでいつも指名している。
入り口の先にもう一つ花で飾られたゲートがあり、そこでメイドとご対面だ。
「お帰りなさいませ黒野様。いつもありがとうございます」
恭しく礼をする充希。長い黒髪が美しく、エキゾチックな雰囲気の顔はまるで絵画の様だ。黒野はそんな充希を上から下まで眺めると満足そうに頷き、挨拶を返した。
「ポッ、ポッ、ポポロクロイスー!」
黒野カイジーンはその名前からわかる通り日本人ではない。謎の言語を話しユーロでいつも支払っていく素性の知れぬ客だ。気味が悪いがいつもチップとして大金をはたいてくれる上客である。何者かはわからないが、充希の指示も素直に聞いてくれる有難い客なのである。
「おっ、尚裕君、見てごらん。サービスが始まる様だよ」
長椅子から首を伸ばし黒野の受けるサービスを凝視する二人。
充希は真っ白な清潔感のあるテーブルに黒野を座らせる。改めて深く頭を下げると、下げたままプレイの開始を告げる。
「それでは黒野様、サービスを始めさせて頂きます」
頭を上げた充希の表情は一変。柔らかく微笑んでいたのに冷たい表情へと変わっていた。無言で席を離れていく。
「(あれ? あのメイド、充希さんじゃないか? ひょっとしてここは充希さんの新しい店? まあいい、来てしまった以上は明度を楽しもう。こねこはカフェの方にいるはずだし……)おじさん、ここはバイキングじゃなかったんですか? あのお客さん座ったままですけど」
説明するまでもないと思うが、バイキングとはコーヒーカップの形をした乗り物に乗り込み、床面が回転しコーヒーカップが周回し、更にコーヒーカップ内のハンドルを回す事で乗り物自体も回転する、という遊園地によくある遊具の事ではない。並べられた料理の中から好きなものを好きなだけ取って食べるという飲食店の食べ放題のスタイルの事である。にも関わらず、黒野は料理を取りに行かずに椅子に腰を落ち着けてじっとしている。
「言ってなかったけど、ここはね、バイキングSMのお店なんだよ」
「バイキングSM?」
尚裕は首を傾げる。バイキングSMなんて言葉は聞いた事がない。作者もそんなの聞いた事がない。
「ほらよ」
ガチャンッ、と充希は無造作にアイスクリームをテーブルに置いた。
「ロ、ロ、ロマンシアー?(い、いきなりアイスクリームですか?)」
「食え」
充希の底冷えするような声にそれ以上の口答えはせず、黒野は大人しくアイスクリームを食べ始める。本来デザートは最後に食べるものだ。どういう事だろうか。
「よし、待ってろ」
アイスクリームを食べ始めたのを見届けると充希は再び席を離れる。黒野がアイスクリームを完食したタイミングで新しい料理を運んできた。ドンッ、と不躾にテーブルに置く。湯気が立ち上ぼり、グツグツと煮えたぎる鍋焼きうどんだった。
「ん」
顎をしゃくり食べるよう促す。黒野は何も言わずに熱々のうどんの汁をレンゲで掬い、アイスクリームですっかり冷えきった口に運んだ。
「ブ、ブ、ブレスオブファイアーー!!!(冷たい物を食べて間を置かずに熱々な物を食べると舌が馬鹿になるぅーー!!)」
悶絶する黒野。その様子を見てプレイが始まってから初めて、充希は満面の笑みを浮かべた。
「いい声で鳴くじゃない……フフフ」
尚裕とだんでらいおんはあまりの刺激的な光景にしばらく言葉が出なかった。
「なるほど。これがバイキングSM……」
「うん、通常なら自分で取ってくる料理を、ここではメイドがメイドの判断で取ってくるんだ。持ってきた料理は食べなくちゃいけない」
そう、バイキングSMとはメイドの持ってきた料理を強制的に食べさせられるという、新次元のSMプレイである。
「こねこさん、今の見た?」
「はい。さすが充希さんですね……」
そして充希のサービスを見ていたメイド二人はそのテクニックの高さに戦慄していた。
「まだ2皿目よ。それなのにいきなり舌をぶっ壊すなんて……この後に何食べても味なんてわかんないわよ……ドSにも程があるわ」
「それに、絶対に食べなければいけないとわかっているのに出された料理に文句を言うあのお客さんも凄い……それにより更に酷い事をしてもらえるとわかっているんだわ。更なる言葉責めを引き出している。信頼関係が成り立ってないとあんなの無理です。最高のメイドに最高の客……私にあんなプレイが出来るのかしら……」
プロのマグロであるふみちゃには黒野の姿勢が響いた。サービスを受ける側でも、ただ受け身になるだけでは駄目なのだ。一緒に盛り上げる、その姿勢が大事なのである。
「負けてらんないわ。私達も行くわよ」
「初めてがふみちゃ先輩と一緒なんて心強いです。よろしくお願いします」
「そんなに誉めてもくすぐったいだけよ。アハハ、フフフフフ!」
次の客は二人組らしい。グループの客にはメイドもグループで対応する。
「2名様、お待たせしました。ご指名がないとの事で私が席までご案内致します」
長曾根が尚裕達を呼んだ。案内され真っ白なテーブルにつく。
「只今メイドが参ります。ごゆっくりお楽しみください」
長曾根が背中を向けてすぐ、メイドの二人がやって来た。恭しく礼をする。
「お帰りなさいませご主人様! ふみちゃです! お願いします!」
「お帰りなさいませご主人様! 新人のこねこです! ご飯にする? 食事にする? それともラ・ン・チ……えっ?」
顔を上げたこねこは驚いた。それもそうだろう。初めての客が自分の恋人と父親だったのだから。しかし、こねこは持ち前のポジティブさからどんな事でも前向きに考える事が出来る。
(なんで尚裕とだんでらいおんが? そっか、きっと充希さんが気を利かせてくれたんだわ。緊張しないように尚裕を呼んでくれたのよ。そして世界から核が無くなる)
一方の尚裕、彼は慌てなかった。さっき充希の姿を見てから、ひょっとしたらこねこもここで働いているかもしれない、医学生の明晰な頭脳はそう考えていた。充希にお願いされたらこねこは断れないだろう。なに、静的なサービスと言っても明度を測るだけだ。何も彩度まで測定しようって訳じゃない。明度なんて欧米では挨拶みたいなものだ、尚裕は自分にそう言い聞かせた。
「よろしくね。ふみちゃちゃんにこねこちゃん! 二人ともカワイイなあ!」
だんでらいおんに至っては何も考えていなかった。
イケメンとオッサンという両極端の客を前にメイドの二人はヒソヒソと相談を始める。
(こねこさん、私がオッサン相手でいい? イケメン相手だとどうしてもSになりきれなくてさ)
この提案はこねこには好都合だった。父親よりは彼氏の方がやりやすい。
(わかりました。私が尚裕の相手をします。父をお願いします)
(えっ? 尚裕ってさっき言ってた彼氏だよね。彼氏さんとお父さん? 大丈夫なの?)
普通なら知り合いが客として来たら奥に引っ込んでやり過ごすものだ。なんというプロ根性。この可愛らしい小柄な女性に充希が信頼を寄せているのも理解出来た。そして、胸を寄せて無理矢理谷間を作っている女性コスプレイヤーの気持ちも理解出来た。
(はい。今日が初めてでも、知り合いが相手でも、私はプロです。仕事はキッチリやります)
そのクリッとした大粒の目に炎が見えた。ふみちゃも自分を奮い立たせる。新人に負ける訳にはいかない。
(こねこですって……? とんでもない。この子はライオンよ)
「では早速お料理を取って参りますわ」
スカートをちょこんと持ち上げわざとらしい挨拶をすると、ふみちゃは獲物を狙う虎の様な形相でテーブルを離れた。一方、こねこはすぐに料理を取りに行かない。まずトークからだ。プレイ前のトークでお互いの緊張をほぐしておく。
「あの、ご主人様、このお店は初めてですか?」
「あ、う、うん。明度とか、そういうの自体初めてなんだ」
尚裕は真面目な男だ。今までそういうお店には行った事がなかった。それもこねこへの愛が故である。こねこにはそれが嬉しくて、また、それが胸を締め付けた。
(ごめんね尚裕。やっぱり私にはこういうお店で働くなんて無理よ。尚裕とだんでらいおんが帰ったら充希さんに言って裏方に回して貰おう。大丈夫、牛一頭を捌くのなんて朝飯前よ)
この店は相場よりもかなり安い。充希による徹底的なコスト削減の賜物だ。牛は一頭買いが基本である。
「私も今日が初出勤で、ご主人様がメイドとして初めてのお客様なんです。精一杯頑張りますから、目一杯楽しんでください」
いつだってこねこは一生懸命だ。そんなこねこが尚裕は好きなのだ。結婚したい、自分の手で幸せにしたい、そう思える相手なのだ。
「うん、こちらこそよろしくねこねこちゃん」
こねこちゃん、なんて呼ばれるのは中学生以来だ。付き合ってからはずっと呼び捨てだった。初々しいその呼び方がとてもくすぐったかった。
「プヒィ、ププ、ご主人様。嫌いな食べ物ってありますか?」
勿論、こねこは尚裕の苦手な食べ物が何なのか知っている。しかし、ム・ラモンタの中では今日初めて会うメイドと客なのだ。
「嫌いな食べ物……ピーマンとかニンジンとか、匂いの強い野菜が苦手なんだ」
「かしこまりました! お料理を取って参りますのでお待ちください」
元気いっぱいに返事をしてこねこはテーブルを離れる。入れ替わりにふみちゃが戻り、だんでらいおんの前に料理を置いた。
「し、白ご飯だけ?」
どんぶりいっぱいの白飯だけが置かれた。
確かに、副菜なしのご飯だけで食べ進めるのはキツい。しかし、充希の強烈なサービスを見た後では些かパンチに欠ける。
「いえ、こちらもどうぞ」
コトン、と上品に小皿を置いた。そこに乗せられたのは目に刺さるような鮮やかな黄色をしたレモンが一つ。見るからに酸っぱそうだ。
「レモン? おかずとしては相応しくないけど、白飯だけよりはマシだ。ありがたい、レモンをいただこう」
レモンに箸を伸ばすだんでらいおんの手を、ふみちゃの白い手がペシリと叩いた。
「誰が食べていいって言った? 見るだけだよ」
「見るだけ……? ま、まさか!」
だんでらいおんの顔が真っ青になる。
レモンや梅干しといった「酸っぱいもの」を見ると酸っぱい涎が出てくる。ふみちゃはその涎をおかずにして大量の白飯を食べろと言っているのだ。なんというドS。
「ひもじい……。手取り60万の私がこんなひもじいランチをーー!! おかあさーん!!」
泣きながらだんでらいおんは白飯をかっこんだ。貧しかった幼いあの日を思い出し、皺の増えた母の年老いた顔が頭をよぎる。
(やるわねふみちゃちゃん。やっぱり貴女には才能がある)
黒野の接客をしながら様子をうかがっていた充希は満足そうに微笑んだ。バイキングSMの本髄をふみちゃは理解している。ただ苛めるだけでは駄目なのだ。ふみちゃはドSメイドとして一番大事な事をわかっている。
「ご主人様、お待たせ致しました。こちらをお召し上がりください」
涙を流しながら白飯を流し込む父の姿を横目にこねこが戻ってきた。生のピーマンとニンジンの野菜スティックが乗せられた皿を尚裕の前に置く。
尚裕は本当にピーマンとニンジンが嫌いだ。まだアルミホイルの方が食べられる。いや、むしろ枕カバーの方がマシ、そう思うほどにあの青臭さが苦手なのだ。
恐る恐る野菜へ箸を伸ばす。スティック状のピーマンを掴み口へ運ぼうとした時、こねこが叫んだ。
「お待ちくださいご主人様!」
尚裕はその言葉に手を止める。こねこはピーマンを皿の上に戻させると、おもむろに手で千切り始めた。
「こねこ? 何を……?」
ピーマンの内側、白っぽくなった部分を丁寧に取り除いていく。ピーマンの苦味は種や種周辺の白い部分に多く含まれており、外側の緑が濃い部分はそれほど苦くないのだ。
ピーマンを千切り終えるとフリーザーパックを奥から持ってきた。そのビニールの中には飴色の液体が光っている。その正体はごま油だ。
白い部分を除いたピーマンとニンジンスティックをフリーザーパックに放り込み、口を閉じ激しくシェイクする。30秒ほどかき混ぜ、皿の上に戻した。
「どうぞ、お召し上がりください」
意味がわからない。こねこの真意がわからず、狐につままれた様な顔で尚裕はごま油にコーティングされたピーマンとニンジンを口へ運んだ。
「……! 美味しい! 苦味や臭さが全く無い!」
野菜は油をよくからませる事で臭みが溶け出し少なくなっていく。更にごまの風味が鼻に抜けるから、野菜嫌いのお子様でもスイスイ食べられる、それがピーマンとニンジンのごま油和えなのだ。
パクパクと野菜を食べ進める尚裕。実に美味しそうだ。しかしそれがふみちゃには気に入らない。接客中だというのに大声でこねこに注意する。
「ちょっとこねこさん! 貴女、何やっているかわかっているの? 私達はドSメイド! ここはバイキングSM! 優しくしちゃ駄目なのよ!」
「私には出来ません!」
こねこの悲痛な叫びが響く。
「尚裕に酷い事なんて、私には出来ません! だって、尚裕にはいつだって笑っていて欲しいから!」
こねこの大きな瞳から大粒の涙がこぼれる。
「こねこさん……貴女はメイド失格ね」
「いえ、合格よ」
ふみちゃの辛辣な言葉を充希が否定する。
「オーナー? 何言って……」
「じゃあ聞くけど、何故ふみちゃちゃんは七星様に白ご飯だけを食べさせたのかしら?」
「そ、それは、白ご飯だけで惨めな思いをさせようと……」
「嘘よね?」
「え? どういう事ですか?」
こねこには理由がわからない。充希のプレイを見て感化されたふみちゃがドSを発揮したようにしか見えなかった。
「メ、メタボだから」
観念した様にふみちゃはポツリと溢した。
「メタボ?」
だんでらいおんのお腹はポッコリと出ている。おまけに額には脂汗も多く、日頃から油分の多い食事をしているのだろうと窺える。
事実、グルメを自称しているだんでらいおんは昼は外食ばかりでこってりとした食事が多い。
「まさか、父の健康を気遣って?」
そう、苛めるために白ご飯だけを持ってきた訳ではないのだ。見たところ運動不足だ、塩分も抑えた方がいいだろう。だからレモンも与えずに白米だけを食べさせた。このプレイはドSに見せ掛けたふみちゃの優しさの表れだったのである。
「バイキングSMの根底にあるのは『愛』と『優しさ』。ふみちゃちゃんもこねこちゃんも最高のメイドよ」
「で、でも充希さんのプレイのどこに優しさが……?」
充希は2皿目で黒野の舌をぶっ壊した。そこに愛があるようには見えない。
「メタルマックス……」
黒野カイジーンが充希を庇う様に口を開いた。
「黒野さん、いいんです」
「アルバートオデッセイ!!(よくない!)」
ぶっ壊れた舌で叫ぶ。黒野は充希に救われたのだ。黒野にとって充希は聖母も同然なのだ。そんな充希が誤解されているなんて我慢できない。
「カイジュウモノガタリ!!モモタロウデンセツ!!マカマカ!!イデアノヒー!!(僕は唐辛子中毒なんだ。何にでも唐辛子をかけてしまうジャンキーだ。綿棒にも唐辛子をかけるし、競馬もお金じゃなくて唐辛子をかけるほどだ。そんな生活を続けていたら内蔵がボロボロになっていてね、医者から唐辛子を止められているんだ。けどやめられない。唐辛子をやめられない。だから彼女は僕の舌をぶっ壊した。唐辛子を食べても何も感じない様に初手で僕の舌をぶっ壊したんだ! 誰よりも僕の事を思って! ……ありがとう充希)」
黒野はぶっ壊れた舌で快活に説明した。しかし、謎の言語のせいで誰も何を言っているのかわからない。
「そういう事だったのね……」
「オーナー、やっぱり貴女は尊敬する女性です」
とりあえずわかったフリをしてそれっぽい事を言っておいた。黒野が満足そうに頷いていたので恐らく正解だったようだ。
「こねこ」
尚裕は優しく恋人の名前を呼んだ。
「な、尚裕。ごめんね、もうこの店はやめるか……あ」
尚裕はこねこの頬を伝う涙にペンライトの光を当てる。
「こねこの涙は明度100だな」
(トゥンク……)
「な、尚裕……」
これ以上ないキザな台詞にこねこの胸は高鳴る。
「こねこ、さっきのごま油和え。毎日作ってくれないか? 俺の為だけに」
「そ、それって……」
予定ではだんでらいおんに許しを得てからプロポーズするつもりだったが、こねこへの愛おしさが止まらない。きっとプロポーズするなら今なのだ。
「渡したい物があるんだ」
(トゥンク……)
こねこはわかっている。わかっていて聞いているのだ。自分の為のその言葉を言って欲しいのだ。
「わ、渡したい物って、何?」
「約束する。絶対に幸せにする。だから、これを受け取って欲しい」
大事そうに抱えていた小包をこねこに差し出した。勿論その中身は……
「天叢雲剣……!」
◇◆◇ 5年後 ◇◆◇
ある晴れた春の日。歩道には幸せそうな家族の姿があった。
三歳ぐらいの女の子が父親に肩車され、父親に寄り添う様に母親がピッタリとくっついて歩いていた。母親のお腹は大きく、直に家族がもう一人増えるのだろう。
三人はある店舗の前で立ち止まった。
「懐かしい……」
母親は目を細めてあの日を思い出す。
「ママー? なにがなつかしいのー?」
「ここはね、パパがママにプロポーズしてくれた場所なんだよ」
「ぷろぽおず?」
「結婚しよう、って言ってくれたの」
母親は嬉しそうに腰の宝剣を抜いた。太陽に反射しキラリと輝く。その明度は∞だ。
「えー? パパはねー、F-14とけっこんするんだよー」
「そっか。F-14は大きくなったらパパと結婚してくれるんだね」
「うん! パパとけっこんするの!」
「ダ、ダメ! 尚裕は私のご主人様なんだから!」
実に幸せそうだ。そんな理想の家族に忍び寄る影が一つ……。
「七星さん! 偶然ね!」
ド派手な金髪縦ロールのふみちゃだった。三十路になってもその美貌は衰えず、パッと花が咲いたような存在感を放っている。
「ふみちゃ先輩! やだ、まさかこんな所で出会うなんて」
「だから先輩はやめてってば」
思わず二人は店舗を見上げる。「女性だけの20分フィットネス」を。
「早かったね」
「うん、あっという間だった」
結局半年ほどでム・ラモンタは潰れた。バイキングSMは令和の時代には早すぎたのだ。充希は元から経営していたカフェ一本で頑張っている。こねこが家庭に入ってしまった為に忙しいが、新しい店長候補の金髪縦ロールの店員に仕事を教えていて毎日が楽しそうだ。
ちなみにム・ラモンタの後はカラオケチェーンの「招き犬」と「女性だけの20分フィットネス」が競り合い、文字通り「招き犬」が負け犬となった。
「でも、楽しかった。また七星さんと働きたいわ。子育てが落ち着いたら復帰してね! っと、今は中村さんか」
結婚して4年になるが、まだこねこは中村と呼ばれるのに慣れていなかった。照れ臭くて、くすぐったかった。
「ウフフフ、フフフ、私なんかよりふみちゃ先輩の方が美人ですし、早く店長になっちゃってくださいよ。プヒッ」
「やだ、誉めてもくすぐったいだけよ。アハハハハハハ……」
「フフフ、ヘヘホヘハヘフフハ……」
5年前と変わらない、楽しそうな笑い声が春の空に吸い込まれた。
~完~