鬼の芽
今回が初投稿の猛禽類でございやす。
できるなら、最後まで読んでいただけるとありがたいです
暗い暗い空間で、少女はフワフワと浮かんでいた。落ち着くようで、しかしどこか不安になる気分であると、無意識に思っていた。
ボンヤリした意識の中でそっと手を伸ばしたり振ったりしてみるが、何かを掴むような感覚も、空を切るような感覚も無かった。無だけの空間であるということを、感覚が無いながらに理解していた。
やがてその空間に、巨大な影が現れた。それは人の様な輪郭であるものの、人とはどこか違う姿を現していた。少女にはそれがとても恐ろしくて、怖くなって必死逃げ出した。
手足をバタつかせるように振り回し、少しでも影から逃れようと足掻く。だがその抵抗も空しく、少女は影に体を握られた。
そしてーーーー
―――ジリリリリリリ。そんな風にけたたましく鳴り響く目覚まし時計へと、少女は手を伸ばす。深夜帯まで徹夜覚悟の読書をしていて眠りが浅かったのか、枕元にはページが一部折れた小説が無造作に置かれ、体を倦怠感が包んでいる。
(嫌な夢、これで何回目なんだろう)
先程まで見ていたであろう夢を思い出し、うんざりな様子を顔に浮かべながら起き上がる。ボサボサになった長髪を櫛で梳かしながら、カーテンを開ける。昇ったばかりの朝日が眼前に浮かび、その光に思わず目が眩む。
「・・・よし、今日も頑張ろう!」
最早習慣となった動作で完全に目を覚ました少女は、着ていたパジャマから制服へと着替え、長髪をリボンで結んだ。
「百那―、まだ寝てるのー?」
「すぐ行くから待っててー!」
部屋の外から母親の呼ぶ声が聞こえると、百那と呼ばれた少女は忘れそうになったメガネをかけながら部屋を出て、下の階へと降りていく。途中階段で転びかけるものの、何とか持ち直してリビングへ向かった。
「百那、今日こそは遅刻しないようにね」
「う、分かってるよ」
少しじっとりした発言に返しながら、百那は椅子へ座り、出されたベーコンエッグや白米を搔き込む。
「そんなに慌ててたら、喉に詰まるよ?」
「らいじょうぶらいじょう、う゛!」
言われた傍から、喉に詰まらせた百那。苦しみながら水を飲んでいる姿を見て、母親は案の定だと思いながら言葉を続ける。
「それより百那、今日は早く帰ってきなさいよ?今日は大事な」
「わかってるよ。大切なお客さんがくるんだよね?何回も聞いた」
「それが分かってるならいいわ。ほら、さっさと行ってらっしゃい」
「はーい」
適当に返事をしながら玄関へ行き、昨日のうちに用意した鞄を持って出る百那。その鞄を、傍に置いてある自転車のカゴへ入れて、学校の方へと漕いで行った。
家から出て半時間ほどの事。百那はやっとの思いで高校付近の駅までたどり着いた。
「ぜぇ、はぁ、はぁ・・・ほんと、この距離の長さはどうにかして欲しいなぁ」
片道約一時間の通学経路に意味の無い悪態を吐きながら、一旦休憩と自転車置き場へと向かう。毎朝遅刻承知でこの駅に寄り、軽く何かを買い食いしてから行くというのが、百那の日課なのである。自転車を停め駅の中へ入ると、近くのワッフル店へと向かう。
「すみません。プレーンとチョコ一つずつでお願いします」
「はーい、合計270円になります」
百那が注文し、カウンターで接客していた20前半程の女性は奥に行き、元々作ってあったワッフルを袋に詰めている。
その間に自分のポケットから財布を出しいつでも払えるように口を開け小銭取り出した。
が、よく見ると百円が一枚足りない。
「お待たせしました」「あ、はい。ちょっと待っててください」
女性がワッフルを入れた袋を準備し終わりどうしようかと思っていると、隣から自分の出はない腕が伸び、女性の掌に丁度の金額を渡した。
「これでいいですか?」
「えっ、はい、大丈夫です・・・270円丁度頂きました」
少し困惑しながらも、女性は接客的な対応をしてくれていた。不意な状況でも対応しようとできる姿は凄いなーと、百那は隣で見ていて思った。
「じゃあ行こうか、百那さん」「え、ええ・・・」
ありがとうございましたーという言葉を聞きながら店を離れ、近くの休憩所に立ち寄る。座る前に休憩所内にある自動販売機に千円を入れ、暖かい紅茶とお釣りを受け取ると、そのまま窓際のカウンター席へ座る。そうすると、先ほどの少年がその隣の席へ、さも自然な風に座った。その時、百那の目に少し不思議に思うモノが目に映った。
(・・・何かの、芽?)
隣に座った少年の頭、額辺りに植物の芽らしいものが生えているのが見えた。明らかに目立つ部分にあるにも関わらず、本人どころか周辺の人も一切気にしていないらしかった。
「・・・・ぇ・・・ねえ。大丈夫?聞こえてるかい、百那さん」
「う、うん、聞いてるよ・・・で、何でここに居るの。木尾」
「哲良って呼んでよ。百那さん。僕達幼馴染じゃないか」
「ふざけないで。たとえ幼馴染だろうとなんだろうと、あなたの名前なんて呼ぶ気も、そんな仲になる気も一切無いって前々から言ってるよね。あとそっちも、馴れ馴れしく名前で呼ばず、吉野って呼んでよ。気持ち悪いったらない」
木尾と呼ばれた少年は、少し困ったように整った顔を曇らせる。そんな態度を鬱陶しがったのか、百那はチョコワッフルを食べながら、言葉を続ける。
「というか、あなた部活はどうしたの。こんな時間に登校してて大丈夫なの?」
「大丈夫。今日は部活は休みだし、単位も充分あるからさ。多少遅刻したり欠席しても問題ないよ。そんな風に心配してくれるなんて、やっぱり百那さんは優しいなぁ」
「あなたが遅刻した責任どうこうを言われたくないからよ。勝手に寄って来て勝手に尻尾振ってる男のせいで、私は散々な青春を送ってるんだから」
百那は溜息を吐きながら、木尾に今までの皮肉と関わるなという意思を交えた言葉を告げる。
実際百那は、木尾という容姿だけでなく中身も優秀という、稀に見る二次元的な優良な男がすり寄ってきた事により、小中高と続けて女子に嫉妬の念を疎まれてきた。
始めはそれでもいいとは思っていたが、それによる紛失物やケガ・己の関係者への危害という実害が出て以来、百那には木尾という人物が害悪にしか思えず、ただただ邪魔な存在としか感じなくなっていたのだ。
それを知らないのか、はたまた知っていながらなのか、木尾という少年は顔を少し近づけ口にした。
「それでも、僕はずっと百那さんのそばにいるよ。だって、昔からずっと好きなんだからさ。君がくれたものだって、ちゃんと大事にとってあるんだよ?」
真剣そうな表情を興味のない目で見ながら、百那は食べる手を止めず、最後の一口を紅茶で流しながら片手間で返す。
「あーはいはい。そんなスケコマシ的な発言はもう聞き飽きたわ」
「・・・本当なんだけどな」
最後の呟きを無視しつつ、百那は立ち上がり速足で外へ向かう。それを真似るように木尾も立ち、自分達が座っていた椅子を戻して追いかける。
「しつこいよ。私はあなたみたいな面倒で軽そうな人は好きじゃないの。誰にでも愛想を振りまくような人より、ちょっと堅物な位で、わたしの事をもっとしっかり見てくれる人の方がいいよ」
向かって来る木尾に対して、確固たる拒絶の意思を表す百那。しかしそれでも、木尾は少し傷ついた風に口元を強張らせながら退こうとしない。
「そんな、酷い事言わずにさ」
「だからしつこいって」
「あのー、そこのお・・・お姉さん」
「えっ・・・?」
声を荒げて怒鳴ろうとした時、近くで誰かを呼ぶ声がした。声の近さから、おそらく自分でかけられたであろう声の主を探すが、いくら振り向いてもそれらしい人物は見当たらなかった。
「・・・気のせい、かな」
「いや、もうちょっと下。し・た」
「え?」
そこに居たのは、大体150位の小柄な少年だった。背は低いものの、顔立ちは何処か大人びていて、雰囲気もどこか落ち着いていた。背には剣道の竹刀入れのような、その体躯に似合わない細長い鞄を肩掛けている。
「やっと気づいて貰えた・・・それはともかく。お姉さんに聞きたい事があるん・・・ですが」
慣れていないらしい敬語を使いながら、少年は問い掛け続ける。
「お姉さん。桃野咲2-17って、どっちに行ったらいい・・・のか、分かりませんか?」
(桃野咲・・・うちの近所か・・・そうだ!)
少年の言葉に光明を得た百那は、少年に提案する。
「ああ、桃野咲なら知ってるわ。どうせなら案内してあげようか?」
「いいの・・・です、か?」
「ええ勿論。困った時はお互い様だからね」
百那の発言に、驚きと困惑半々な木尾は慌てて百那を引き留める。
「待ってよ百那さん!困っている人を助けなきゃというのも分かるけど、今は学校が先じゃないの!?」
「・・・学校なら、ある程度の生活態度と点数だけあれば問題ないじゃない?困っている人を見捨ててまで行く必要はないと思うよ」
「それはそうかもしれないけど・・・でも!」
「あーはいはい。終わったら行くからさ、『幼馴染』のよしみで先生に言っといてよ。じゃ」
さっさと会話が終わるように返しながら、少年と共に自転車置き場へと向かい、自転車を押しながら案内する百那。それについて行く少年の姿を見て、木尾は胸の辺りに嫌な物を感じた。
(・・・なんで、僕がこんな風に扱われるんだ)
その嫌な物は、次第に全身に広がって行って。
(なんで、初対面の、無関係な子供なんかに・・・)
だけど、それを拒むような気も湧かなくて。
(僕の方が・・・僕の方が・・・・!)
木尾が歯を食いしばり睨むと、それに呼応するように、額の芽が少し震えていた。
「・・・よし。確かにここみたいだね」
来た道を引き返して、何か所か迷いながらもなんとか辿り着くことができた。自宅の近所なのにも関わらず、辿り着くのに登校の倍以上の時間が掛かってしまった事に少し悔しさを感じる百那。それに反し、目的地に着けたと嬉しそうな顔を浮かべる少年。その手には、先ほど百那から貰ったワッフルを持ち、口いっぱいに頬張ろうとしていた。
「よーし、やっとたどり着いた。ここまで長かった」
「長かったなぁって、電車で来たんじゃないの?」
少年の発言に対し、大袈裟だという反応を見せる百那。本来なら駅から一時間足らずで着く所を一時間半になったというのは事実ではあるが、それでも長いというのは言い過ぎだと。そう思っていた。
「いや、そうでもない・・・んです。わ・・・自分は訳あってネットとかで目的地を調べたりとかは出来なくて、この場所を探すまで何ヶ月も旅していたんですよ」
「な、何ヶ月も・・・?」
少年の発言を訝しむ百那だったが、その真剣さに嘘の様なものは感じられず、その態度から本当なのだろうという、不確かでながらも真実であると、百那は断言できた。
そんな百那の事も目に入っていないだろうという位、少年も喜んでいた顔を浮かべ、目的地らしい小さな小屋敷へと向かう。だが、少年は入り口の門の辺りで止まり、そのままじっと動かないでいた。
「・・・・・・」
「えーっと、どうしたの?ここに用があるんだよね?」
動かないでいる少年に、百那は帰る事を忘れて尋ねる。その返しに、申し訳なさそうに視線を落とした少年は、意を決したように口にした。
「・・・違う・・・んです」
「違うって・・・場所が、ってことかな」
百那の問い返しに、少年は話すことなく首を縦に振る。
「でも、桃野咲2-17なんだよね。ならここで合ってるはずだけど・・・確認した?」
「ええ・・・ですが、聞いていた話とも、書いていた物とも違うん・・・です。多分、その住所自体が違うん・・・だと思います。この住所を書いた人は物凄く適当で、大まかな部分が合っていればなんでもいいって考えの・・・人ですから」
「そ、それはまた災難だね」
苦労して手伝ったにも関わらず無駄足だった事に、繕いきれずがっくりと来た。それを見た少年が、更に申し訳なさそうな顔で謝罪する。
「ご、ごめんなさい!学校もあったのに、無駄な時間を過ごさせてしまい、本当に申し訳ございませんでした!」
「いや、いいよ。ここまで案内するって言ったのは私だし、そんなに頭を下げなくても」
「それでも、ご迷惑をおかけしたのは事実です。なので今度は、自分が貴女のお手伝いをさせて下さい!自分に出来る事なら、なんでもします!」
その言葉に困った百那だったが、その言葉を改めて考え、薄笑みを浮かべた。
「・・・じゃあ、ちょっと手伝って貰えるかな?」
「・・・あのー、一体どこに行くんです?」
「いいから、それ持ってついて来てね」
百那に先導され、少年はつま先を彷徨わせながら歩く。途中にスーパーで買った荷物を持ち、見掛けに反して軽いと思いつつ付いて行く。そして、その中身をちらりちらりと見ていた。
(樒に線香、酒やらに掃除用の雑巾・・・ということは)
「おーい、こっちだよー?」
少年がふと気づくと、少し離れたの所へと百那が居た。考え事に耽るのは悪い癖だと反省しながら、足早に百那の下へと向かう。
そうして辿り着いたのは、小さな墓場の奥側。他の墓から少し離れた所に、ポツンと置かれた小さな墓石だった。墓石やその周りは汚れていて、墓石に『吉野幸彦』と彫られていた。
「・・・これは」
「父さんのお墓だよ。最近来れてなかったから、この機会にって思ってさ」
「・・・」
先程よりも口数が少なくなりながら、少年は袋の中の物を取り出していく。その様子は、気まずいというだけではなく、何かを考えているようでもあった。
「流石に、連れてこられてもって話だよね。ここに居てもいい気分じゃないだろうけどさ、直ぐに終わらせるからさ」
「・・・いいえ、手伝います。なんでもするといった以上、どんな事だろうとやらせて貰います」
「・・・うん、ありがとう。ごめんね?」
謝罪とお礼を述べながら、百那は墓掃除を行い、少年もそれを手伝った。暫くの汚れが溜まっていたからか、濡れ雑巾などで擦っても中々落ちない汚れや、鳥の糞などが散乱していたが、二人は根気強く掃除を続けた。
そうして日が沈み始める頃になると、墓周りは綺麗になり、立派な樒と甘酒の瓶がお供えされている状態になった。傾きかけの日の光を、墓石の表面が反射しているのをみて、二人はやり切ったことを実感する。
「ふぅ、疲れた」
「本当だね・・・ぷっ」
少年の呟きに反応して振り向き、その顔を見て少しふき出した。鼻先や頬には土の汚れがつき、服も泥だらけになっていた姿を見て、百那は悪いと思いつつも笑いが堪えきれなかった。
「な、なぜ吹くん・・・ですか!」
「だ、だって・・・ふ、ふふっ、あははははっ!」
やがて、完全に我慢できず大声で笑ってしまった。その反応に対し、拗ねた様に顔を少し膨らませてそっぽを向く少年。
「あは、はははっ。ごめん、ごめんね。だって可笑しくて」
「・・・別に、気にしてませんよ」
「だからごめんって。ほら、また探すの手伝うから、ね?機嫌治してよ」
「・・・まあ、それならいいですけど」
百那からの再び手伝うという言葉で、少しだけ機嫌を治した少年。
「じゃ、そろそろ行こ・・・あれ?」
掃除道具の片付けも終わり、いざ帰ろうとした時に、墓場の入り口に誰かが立っているのが見えた。よく見ると、朝方に別れたはずの木尾が、鞄も持たず学生服のまま立ち尽くしていた。
「木尾―?何でそんな所に居るのー?」
「・・・で・・なんだ」
ボソボソと何かを呟く木尾を不信に思いながら、話を聞こうと近づく。
「ひょっとしてつけて来てたの?だとしたらストーカーだけど、わかってるの?」
「なんで、なんだ」
はっきりと聞こえた言葉に、妙な緊張感を受ける百那。その時無意識に、何歩か後ろへ退いていた。
「木尾、どうしたの。なんか変だよ・・・?」
「なんで、その子供ばっかり構うんだぁぁぁぁぁぁ!?!」
「ひっ」
普段は聞かない木尾の叫びに驚き、小さな悲鳴を上げた百那。その様子を気に止めず、木尾は百那の両肩を掴んで強引に引き寄せる。
「僕にはそんな風に構ってくれたことなんてなかったよね?僕が君に見てもらいたい一心のアピールを全部どうでもいいって突き放したのに、その子供の事は自分から関わるの?ずっと一緒に居た僕より、今日初めて会った様な子供の方が好きなの!?そんな訳ないよね?こんなポット出な奴を好きになる訳ないよね?ねぇ、百那さん!」
(・・・百那?)
「い、痛い」
木尾の早口な発言に恐怖する前に、掴まれた肩へ異常な力が込められ、痛みに気を取られる。
「そうか。これは僕を試してるんだね?僕がどれだけ一途なのか確認して、もし自分が良いって思えたら告白しようとか思ってるんだろう?いやぁ、本当に百那さんはいじらしい」
「ウリァ!!」
言葉を続ける木尾に、少年は横から蹴りを入れ倒す。そのまま、掴まれた手を離され体勢を崩しかけた百那の手を取り、軽く引いて立て直させる。
「あ、ありがとう・・・って、木尾は大丈夫なの?いくら乱暴したからって、いきなり人を蹴ったらダメでしょ!?」
「そうは言うが・・・御前さん、あ奴が本当に人に見えるのか?」
「え、え?」
少年の口調がいきなり変わったことに驚きつつ、少年が指差した方向、木尾が蹴り飛ばされた方を見る。
「ア、アガガッ」
蹴り飛ばされた木尾は、小刻みに奇声を出しながら痙攣している。だがそれだけではない。木尾の体の色が、人間の物ではないように青々しく、顔も恐ろしい形相へと否んでいく。体は不自然な形に膨らんでいき、その膨張のせいで身につけていた服が破け散る。
しかし、百那はそれよりも額の芽が気になった。芽は先ほどの物よりも二回りも大きくなり、まるで一本の角の様に変化していった。
「な、何あれ・・・どうなってるの!?」
「そうじゃな・・・あれは、言わば人間の邪心じゃ」
「じゃ、邪心・・・」
「そうじゃ。今まで自身の心の内にため込んでいた負の感情が爆発し、現世に顕現するほどの力を得た化物じゃよ」
そこまで口にして、少年は持っていた袋を側に置くと背中の竹刀入れを開く。その中から一振りの刀を取り出し、波と雲の描かれた鞘から抜き放つ。そうした途端。何処からともなく耳に刺さるような男の声が、墓場中に響き渡った。
『イエアァアァッァァ!とうとう俺の出番がきたぜぇ!!』
「やかましいわバカタレが!我儕の鼓膜を突き破る気か!」
『ああっ?ふざけんじゃねえぞ。数ヶ月も手入れすらせず歩き回りやがって。文句言うなら少しは剣技の練習に使えボケェ!』
「・・・ならええじゃろう。丁度、目の前にいい相手がおるわい」
そう言って木尾へ切先を向けると、声は期待的な物へと変わっていく。
『なーんだ。それなら早く言えってんだよったく、響はいっつも勿体ぶり過ぎなんだよなぁ。本っ当によぉ』
「下らない事言っとらんで、行くぞ」
『へいへい、俺の所有者は刀使いが荒いねぇ!』
「待って!」
響と呼ばれた少年は、剣を構え木尾の下へ向かおうとする。しかし、その様子を見た百那が慌てて呼び止めた。
「なんだ、御前さん。まだなんかあるのか」
「お願い、木尾を殺さないで。あいつは確かにいい奴とは思えないけど、それでも」
「・・・御前さん、一つ勘違いしとるぞ。我儕はあ奴を殺さんよ。逆に助けようとしとるんじゃ。わかったら、そこを一歩たりとも動かんようにせい」
面倒そうに口にする響は再び剣を構え、木尾に向かって行く。木尾は先の一分足らずの間に体勢を立て直していた上に、蹴られた事に怒り鋭い目で響を凝視する。
「ジャマ、スルナァァァ!」
木尾は響を叩き潰さんと、腕を振るって掴みにかかる。しかし、理性を失っているせいか、一回ごとの振りが大きく、なかなか響を捕まえられない。
「それでは、羽虫も捕まえられぬ・・ぞ!!」
振るった腕の隙間へ体をねじ込むように潜り、そのまま剣を振り上げる。その刃は青々しくなった肌を傷つける事無く、額の角だけを斬り落とした。
「グギャアァァァ!?」
角を斬り落とされた途端、背中から倒れ異常なまでの苦しみ方をする木尾。それに微塵も動揺することなく、脇腹に浅く刀を刺す響。
「吸い断て・・・加波霧!」
『おうさ!!』
響の呼びかけに、加波霧と呼ばれた剣が答える。その瞬間、刀身が薄白い光を帯び、青々しい肌から紫黒のモヤが溢れ出す。それが刀に吸われるほどに、木尾の姿が元の物へと戻っていく。モヤが出なくなった時には、元の爽やかな好青年の姿になっていた。
「ふぅ・・・たかが慚愧一匹とはいえ、あの馬鹿力には少しヒヤリとしたわい」
『ハッ。瞬殺しといてよく言うぜ』
ほんの少しの間。一瞬にも等しく感じる程の短い時間の出来事ではあったが、響の顔には幾つもの脂汗が滲み息を荒げていた。
「あのー・・・」
「・・・ん?どうかしたかの。どこか怪我でもしたかのう?」
「あ、いえ。さっきのは何だったろうなって」
その言葉に、響は一人で納得したように手を打つ。
「ああ、そうじゃったのう。この樹鬼は・・・あ、樹鬼というのはのう、こうデコ辺りに鬼の角木という苗木を植え付けられた疑似的な鬼の事でな。
植え付けられた芽は、其の者の持つ負の情を糧に芽吹き、宿主の魂を醜く変貌させながら肉体を変質させ、己自身も角の形へと変化してゆく。
その寄生樹の宿主が樹鬼じゃ」
先程の心身への疲労で震え、途切れ途切れの呼吸を挟みつつ説明を続けた。
「で、その樹鬼の中でも、この慚愧というものは己の罪や、劣等感などによる恥などを糧にして育った悪鬼じゃ。
そうして生まれた慚愧は、恥を晴らす為に恥の原因たるもの、それに成り得たるものを集中的に抹消しようと動く傾向にある。
我儕がもし傍に居らなんだら、襲われる事は無かったやもしれんが・・・
我儕が居らん時に襲われとったら、御前さんはとっくに鬼の腹ん中じゃったろうなぁ・・・しっかし御前さん。こ奴に一体何をしたんじゃ?今まで色々な樹鬼共を見てきたが、これ程の慚愧はなかなか目にかからんのじゃが・・・まあ、それは今はいいかの」
「き、君は・・・」
「・・・我儕は響。天音響。現代まで蔓延る悪鬼や、時に鬼に魅入られ、時に摂り込む鬼人を滅しながらも、今や衰退の一歩を辿る鬼人狩の一族。
その34代目の後継選定者であり、その後継者の護衛者じゃ。後、この刀は」
『おう!俺こそは、鎬造りの皆焼刃、猪首切先綾杉肌の名刀!その銘を、鬼殺しの加波霧ってな!』
二人(そう表現していいかはわからないが)の自己紹介に軽く反応を見せつつ。自身の紹介なども行う百那。
「私は、吉野百那って言います・・・で、そんな人が、なんでこの町に」
「それは簡単な話・・・その34代目後継者の候補として、御前さんが選定されたからじゃよ。吉野百那嬢」
「・・・そんなの」
突然の事に混乱し、百那は頭の中で様々な思考が飛び交っていた。
「そんなの知らないよおおお!!」
その思考が、自身の許容量を超えた途端、百那は自転車に乗って一目散に逃げだした。
先ほどの一件から逃げ出して数時間。時間はもうとっくに夕方となり、赤い夕陽の光や、鴉の鳴き声が何処かから聞こえてくる。そんななか、百那は自室のベットで寝ころんでいた。本来逃げ出すべきではない状況で逃げ出し、持って行った掃除道具も傷だらけの木尾も置いて来たという罪悪感から、己のやった事を少し後悔する度に布団の中で転げまわっていた。そんな中で、家のインターホンの音が鳴り響く。
「ん・・・誰だろう」
そう呟いて、そういえば今日はお客が来るんだったなと思い出す。そのまま寝ころんでボサツいた頭のままで、下に降りドアを開ける。
「はーい、どちら様でしょうか」
「おー、我儕じゃよ我儕」
その声が聞こえた途端。百那は全力でドアを閉め、鍵とチェーンロックを掛けた。
「ちょ、おーい!?何で閉めるんじゃぁ!開けとくれぇぇぇ」
ドアを叩きながら叫ぶ響を無視して部屋に戻ろうとする百那。しかし、その前に扉の前から母親の声が聞こえる。
『あら・・・あなたは・・・』
『あ、どうもこんばんはです』
『ええ、こんばんは。もうこっちに来てたのね』
どこか親し気な挨拶に、思わずかけた錠を全て外してドアを開ける。そこには、今日会ったばかりのはずの少年と、自分の母親が仲が良いという訳の分からない状況になっていた。その事に驚きながら、百那は母に問い掛ける。
「お、お母さん。その子と知り合いなの?」
「え?そうよ。というか、今朝言ってたお客さんって、この子の事なのよ」
「・・・嘘だよね?」
「こんな嘘言って、私に何の得があるのよ」
自分の娘の発言に今朝ぶりに呆れながら答える。
「この子は天音響君。なんでも、お父さんの親友のお子さんらしくてね。その人が長くないって事で、養子として引き取ってくれないかって言われちゃって。暫く家で生活するからそのつもりでね?」
「・・・いやいやいや」
母親の言葉に、思わず夢ではないかと思うほどのショックを受ける百那。それが現実逃避的な思考であると思いながらも、頬をつねって確かめる。少し摘まみ捻った痛みで現実を再確認し、頭を抱えた。
「・・・夢であって欲しかったなぁ」
「?なんか知らんが、これからよろしく頼むぞ。百那」
こうして、百那の平和な日常は崩されていくのであった。
ということで、節分短編というもの投稿させて頂きました。
友人の誕生日プレゼント(制作期間;数日w)だったものですが、いかがだったでしょうか?
これから気まぐれに投稿していく・・・かもしれませんので、これからも閲覧して下さるなら気長に待っていただけると幸いです。