狐耳ロリババアの神様にご相談
道徳とは方便である。ある有名な小説家は言った。
道徳とは、人と人が衝突しないように、生きやすいように。そのために必要とされているだけのものだそうだ。
優子はスマートフォンをいじりながら、SNSを見ていて、そのような考え方を知った。
スマホを手に自室のベッドに腰かけたまま、机の上に置いてある時計を見る。
もう行かなくっちゃ。
まだ普通の生徒の登校時間には早いが、優子は学校では風紀委員に入っていて、生徒が校則違反の服装をしていないか、遅刻者はいないかを校門でチェックする仕事がある。
優子はスマホを制服のスカートのポケットにしまうと、今日の授業の教科書が入ったカバンを持った。
準備は完了。
「気を付けて行ってくるんだよ」
優子は母親に見送られながら高校に向けてマンションの自宅を出た。
その日、優子は初めて学校を無断欠席した。
通学のために利用する満員電車に乗ろうとして、何となく乗るのが嫌になった。
何となく。その理由にならない理由のために、学校に行くのをやめたのだ。別に満員電車でぎゅうぎゅう詰めにされるのが嫌だったわけではない。これまでの通学でもう慣れている。
優子は真面目な性格で学校をサボったことなど一度もなかった。宿題も毎回きちんと提出していたし、親の言いつけをやぶったこともなかった。それほど優子は真面目な性格をしていた。駅の椅子に座りながら、サボったことに対する後ろめたさが次第に優子の心を満たしていった。
今更遅れて学校に行く気にもなれない。嘘をつくのは嫌だったが家に帰って母親に具合が悪くなったと言って、今日はずる休みしよう。
何で今日は学校に行けなかったんだろう。大事な風紀委員の仕事もあったのに。
重い足を引きずりながら自宅へ向かって歩いていると、神社が見えてきた。
そういえば家と駅の間に神社があったな。今まで特に意識したことはなかったけど。今日の罪滅ぼしを神様にお願いしていこうかな。
神社でお参りをしていると「ちょっと若いの」と幼いながら妙に威厳のある声がすぐ右隣りの足元あたりからした。
「えっ……」
声の主を探すと、巫女服を着た狐のような耳を頭につけた幼女がこちらを見上げていた。
「えっと、どこの子だろう。ご両親を探さないと……」
「たわけ! 誰が迷子じゃ! ほれ、この格好と耳を見よ」
優子は考える。
「最近の親は子どもに変な恰好をさせるんだね。それとも何かのイベント用の衣装かな?」
狐耳の幼女はため息をつく。
「はぁ〜。最近はアニメやらマンガやらでこういうのが人気だと言うから、せっかく似せてきたというのに」
優子はピンときた。
「あ、何かのコスプレなのかな?」
狐耳の幼女は涙目になりながら、もうそれでよい。では本題に入るぞと言った。
狐耳の幼女の目が鋭く光る。
「おぬし。今日学校サボったじゃろ」
「! 何でそれを……。誰にも言ってないのに」
今になって優子はこのへんてこりんな幼女がただ者ではないと気づいた。優子は風紀委員だから普通の高校生より早く家を出ているため、ちょっと時間をつぶしたが、まだこの時間帯は高校生が外にいてもおかしくはないのだ。それなのに学校をサボったことがわかるとは……。ここは神社だ。この幼女は何かの物の怪なのだろうか? いや、聖なる場所でそれはあり得ない。ってことは神様? 普段神秘的なことを認めてない優子だったがそれでもこの幼女のただ者でないことは認めざるおえなかった。例え神様だったとしても、ちょっと不気味だった。
優子が混乱しながら怖気づいていると、狐耳の幼女は悪意のない純粋な笑顔で、まあそう怖がらなくてよいと言った。
「学校をサボることは悪いことじゃが、別に気に病むようなことじゃない。好きにすればよい」
優子は恐々と返答する。
「でも、今まで通り真面目に学校に行くのが一番良いと思うんです。今日はたまたま行かなかっただけで……。風紀委員の仕事もサボっちゃったし」
「まあ、そうじゃな。でもそんなに肩ひじ張る必要はないと思うぞ。行かなかった言い訳ならいくらでもできよう」
狐耳の幼女は腕を組んで難しい顔をする。
「おぬしには息抜きが必要じゃな。ちょっとぐらい悪い子になってもいいのじゃぞ。わしが言うのも何じゃがの」
「そういうものでしょうか?」
優子は親に嘘をつく、風紀委員のみんなに迷惑をかけた、学校をサボった、その三つのことにとても負い目を感じていた。この神様かもしれない不思議な幼女の言うことに納得はできない。でも、少し気が楽になった気がした。
「まあ、今日は帰って、また来るといい。あまり寄り道してると言い訳に説得力が無くなるからの」
「そ、そうですね」優子は今何時なのかと考えたがよくわからなかった。あまり時間はたっていないと思うものの、不思議な出来事のせいで今まで時間がどれくらいたったのかわからなくなっていたのだ。
とりあえず、悩みの相談に乗ってもらったみたいになっていたからお礼はしとかないとと思って、狐耳の幼女に頭を下げる。
狐耳の幼女は、そんなのよいよいと手を振って、わしも暇じゃからのと付け足した。
優子が鳥居を出たところで背後から声がした。
「ここは稲荷神社じゃ。今度お願いに来るときは油揚げ以外のものなら何でも良いから美味しそうなものを持ってきておくれ。もう油揚げは食べ飽きたのじゃ」
優子は家に帰る道を歩きながら、今日の朝SNSで見た言葉を思い出していた。
道徳とは方便である。道徳とは、人と人が衝突しないように、生きやすいように。そのために必要とされているだけのものだ。
今日会った狐耳の女の子が言っていたことも、たぶん同じようなことなのだ。
私のやったことは些細な悪いことなのかもしれないけど、神社でお願いをしないと心が持たないほど、過剰に自分を罰してしまう。だけど、それは間違いで、道徳とは心まで強く縛り付けるものではないのかもしれない。
だけど優子はまだ自分を罰することをやめられない。心の中はずっともやもやとしていた。
狐耳巫女服の幼女は鳥居の上に座って、今日会った少女のことを思い出していた。
そして、ふふっと笑みをこぼし、ひとりごちる。
「きっと、あの子はいつまでも生きづらくて、優しい少女のままじゃ。少しはわしと関わって変わるところは変わるかもしれんが、本質はそのまま変わらぬじゃろう」
狐耳の幼女は、どこから取り出したのか手鏡で自分の姿をじっと見る。
「あの子は良い子だった。だからわしも珍しく姿を見せたのじゃが……」
渋い顔をしてひとこと。
「この格好がなぜウケなかったのじゃ? 研究に研究を重ねて最新の流行を取り入れたつもりだったのじゃが……、なぜか少し怖がられていたような」
しばらくじっくりと手鏡を覗き込み、あれこれ狐耳の幼女は考え込んでいたが、やがて手鏡を置くと、その姿が光に包まれ、彼女本来の姿、黄金色の毛並みを持つ狐になると、ほぼ垂直の鳥居の柱を駆け下りて行った。




